第90話 裏回廊
真田は記者としての嗅覚があるわけじゃない。かといって、探偵のように謎を解き明かせるほどの能力を持つわけでもない。しかし、そんな彼でも黒井賽という探索者の
彼は、間違いなくヒーラーではない。
それは、ランクAに昇格したという事実だけでも分かることだが、マーガレットから聞いたゲート内の話がその裏付けでもある。
疑問なのは、なぜ彼がヒーラーという枠に留まっているのか? という点。
珍しい例ではあるが、サポーターから戦闘系に変更した探索者は存在するし、逆に戦闘系からサポーターに変更した探索者も少なくない。もちろん、ステータス内の職業が変わることはないから出来ることなどたかが知れているものの、それでもランクAに昇格できるほどの能力を有しているのなら黒井賽はヒーラーとは呼べない。
そしてこれは、真田がヒーラーだからこそ言えることでもあった。
「なぜ誰も気づかない? いや、それよりも、なぜ黒井賽はこの程度に収まり続ける……?」
ヒーラーであるならば、おそらく誰もが自身の職業に劣等感を持ったことがあるはずだ。それを覆せるスキルを得たのならば、きっと誰もがそれを周囲に知らしめようとするはずだ。
少なくとも、真田だったらそうしただろう。
なのに、黒井賽はそうではない。
彼は、高木が言う通りドキュメンタリー映画でも作れそうな経歴を持っているくせに
まるで、彼自身がそれをひた隠しにしているかのように。
「臭うな……」
真田は一番低いランクではあるものの、それでも探索者ではあった。そして、短い期間ではあったが探索者という人間を同じ探索者として見てきた人間でもある。
彼らが何かを隠しているのだとしたら、それは後ろめたいことがあるからに他ならない。
だから、黒井賽には隠さなければならない何かがあるのだろうと確信する。
それが何なのかは分からなかった。しかし、調べてみる価値はあるとは思った。
そんな事を考えながらパソコンに向かっていた真田は、何か情報はないかと黒井賽のことをネット検索にかける。
「……なんだ?」
ふと、目にとまったのは20年前の古い記事。そこには、当時行方不明になっていた6歳の男の子が自宅付近の山の中で見つかったという内容が記載されていた。その男の子の名前は、偶然にも黒井賽。
しかし、20年前といえばちょうど世界にゲートが出現した時期と重なる。そのためか記事自体は小さい。おそらくテレビのニュースにすらなっていないだろう。
「これが本人なら、マジで運悪く目立ってないのな……」
真田はそんな独り言を呟くと、他に情報がないかウェブサイトをスクロールする。彼が知りたかったのは探索者としての黒井賽であり、探索者になる前の黒井賽ではなかったから。
◆
「黒井さんどうしたんですか? その髪」
探索者支部に入ると、聞き慣れた声が黒井へと向けられた。見れば、受付の女性職員が驚いた顔で黒井を見ている。
「あー、染めたんですよ」
「そう、なんですね」
それでも、女性職員はまじまじと黒井の髪を見つめてきた。以前の黒井を思えば印象がガラリと変わるため驚くのも無理はない。実は、黒井は日本に帰国してから何度か元の黒髪に染めていたのだが、どういうわけか一晩立つと白髪に戻ってしまっていた。しかし、白髪自体にパサつきはなく、老けた印象もないため黒井は髪の色を訊かれた際は染めたと答えるようにしている。
「あ、それよりもランクAに昇格されたんですか!?」
やがて、女性職員は思い出したようにそんなことを言い出す。黒井はそれにどう答えるべきかを逡巡したものの、隠せることではないと諦めてコクリ頷く。
「はい。ランクAになりました」
「そうなんですね……! おめでとうございます!」
女性職員はそう言って笑った。その反応は、黒井が予想したものとは違ったため、逆に戸惑ってしまう。
「……俺が言うのもあれですけど、変に思ったりしないんですか?」
「え? 何でですか?」
「いや、俺はヒーラーですよ?」
その返しに彼女はしばらくキョトンとしていたが、遅れて「あぁ」と納得するような表情。
「確かに黒井さんはヒーラーですが、わたしは黒井さんをヒーラーとして見てないです」
「ヒーラーとして見てない?」
「ないというか……最初はそう思ってなかったんですけど……黒井さんランクDダンジョンのメンテナンスを一人でずっとしてくださってるじゃないですか。わたし途中から変に思ってたんです。ソロでこんなに戦えるヒーラーなんているのかな? って」
「別に変じゃない気がしますけど……ダンジョンのランク自体は低いので」
黒井が実質的なメンテナンス担当となってしまっているダンジョンは、ソロで潜ることができるランクDのダンジョンである。無論、ヒーラーという職業でソロ活動をしているのは珍しい部類ではあったものの、そういった探索者がまったくいないわけでもない。
しかし、黒井の返しに彼女は首を振った。
「馬鹿にしないでください。これでもわたし、たくさんの探索者の方を見てきてるんですよ? その中でも黒井さんは……何というか、
「最初から変わってた……?」
黒井は、自身が変わったことを否定はしない。人から鬼へと変わってしまったのだから。しかし、その変化はここ数ヶ月のこと。
「これはわたし自身の感覚的なものですが、ヒーラーの方と戦闘系の方はなんとなく違う気がします」
「違う? どこかですか?」
それに女性職員は躊躇うように言い淀んだ。
「なんというか……ヒーラーの方はまだ人間っぽいというか」
「……」
「あ、いや、戦闘系の方が人間っぽくないって事じゃなくて、これはあくまでもわたしの個人的な印象で!」
まだ何も言ってない黒井に対し、慌てたように取り繕う女性職員。
「だから、何が言いたいのかというと、黒井さんがランクAに昇格したことに妙な納得感があって、わたしは黒井さんにその実力があると思ってたってことです!」
多少無理やりではあったものの、彼女はそう言ってまとめる。それに黒井が怒ることはない。
「そういうことですか」
むしろ、女性職員に対して笑みを浮かべただけ。
「……えと、今日はメンテナンスで良かったんですよね?」
「はい」
そう答えると、女性職員は話題を逸らすかのように手続きのほうへと集中する。その様子を黒井は穏やかな表情で眺めていた。
彼女の言う、「最初から変わっていた」ということに対して、以前の黒井なら未だ疑問を持っていたに違いない。しかし、アビスゲートを通して変異体のことを知った今の黒井には、思い当たる節があった。
おそらく、変異体というのは突発的に変異した者を差した言葉ではなかった。その変異が起きるのは魔力を持つよりも前――つまり、探索者になる以前から既に変異していたのだろう。
その証拠として、黒井が最初から持つ魔眼があげられる。魔力を覚醒させ、探索者となった時点で保有していた魔眼ルーペ。
鬼になってからというもの、黒井には理解できない変化が数多く起こった。その大半は、彼の持つ魔眼によるもの。それを黒井は〝適応〟や〝対応〟などといった言葉で納得していたのだが、それにしては不可解な点が多すぎることもまた事実。
魔眼は、まるで黒井が鬼になるのを待っていたかのような変化を彼へと与え続けた。それはあまりにも都合が良すぎて、既に適応や対応といった言葉は黒井のなかで説得力を落としてしまっている。
だからこそ、最初から変わっていたという発言は、その裏付けとして黒井にも納得感を与えたのだ。
やがて、手続きを済ませた黒井が久しぶりに【名も無き洞窟】に向かうと、ゲート内の魔素濃度はランクAに届きそうなほど濃くなっていた。
その原因を黒井は知っているため、もはや苦笑いをすることしかできない。
『――王よ、お待ちしておりました』
そして、真っ先に現れ、黒井の前に片膝をついた【名も無き洞窟の主】。
「お前、喋れるようになったのか……いや、それよりもその姿……」
意図せず黒井が配下においたホブゴブリンは、いつの間にか流暢な人語を喋るようになっていた。しかも、その身体は以前よりも大きくなっており、凶悪な魔力を放っている。その姿はまるで――鬼。
『少し前に王の力が大きくなったのを感じました。そのときにオーガへと進化したのです』
角を通して話しかけてくる言葉からは、もはやノウミたちとは変わらない知性を感じる。しかも、黒井を驚かせた変化はそれだけじゃなかった。
目の前のオーガに遅れてやってきたゴブリンたちの中に、数体のホブゴブリンが紛れていたのである。
『私以外にも進化した者がいます。彼らは、王から直接指導を受けた者たちです』
オーガの説明で、ホブゴブリンが目の前までやってきた。さすがに彼らが人語を喋ることはなかったものの、意思疎通は問題なく行えるようだった。いや、もはやそれ自体が問題ではあったのだが……。
黒井は綺麗に整列するゴブリンとホブゴブリン、そしてオーガを眺め見てからため息を吐いた。この【名も無き洞窟】は既に、かなり危険なダンジョンランクにまで成長してしまっていたからだ。もしも黒井以外の探索者がゲートをくぐれば、すぐに異変に気づくだろう。このまま隠し通せる自信はない。
「お前ら、まとめてここから引っ越しする」
だから、黒井は考えるのをやめて【鬼門】を開いた。それに彼らは不思議そうな顔をしていたものの、黒井に従う意思はあるようだった。
「それに……俺もちょうど確認したいことがあるしな」
そうして、黒井は開いた鬼門を通じて回廊へと足を進める。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます