第89話

 時刻は既に21時を回っている。話をする場所として真田が呼ばれたのは、都内にあるオカマバーだった。


 何故こんな場所を? と思わなくもなかった真田だが、薄暗い店内に怪しげなネオンが光る空間は、俗世から外れた話をするには十分な雰囲気があるように思えた。


「おぉ、真田こっちだ」


 そんな店内の隅。L字型に設置されたソファから真田を呼んだのは、グリードの探索者管理部にいる高木たかぎという男。


「久しぶりだな」


 彼はお酒を飲むよう勧めてきたものの、真田はそれを丁寧に断った。代わりに、店員にジュースを頼みソファへと腰をおろす。


「さっそくで悪いが、電話で話してたことを教えてくれ」


 酒場であるにも関わらず、仕事モードの真田に高木はつまらなさそうにしたが、それでも彼はゆっくりとした口調で黒井賽という探索者について話してくれた。


 もちろん高木は、黒井賽という探索者と知り合いというわけじゃない。彼が持つ情報は、探索者である黒井賽としての情報でしかなかった。しかし、その業界に関わっている人物からの話はそれなりの信用価値がある。たとえそれが真田自身でも調べられる事柄であったとしても、こうして話を聞くことは重要な事でもあった。


 なぜなら、そこから思わぬ真実が出てくる事もあるからだ。


「――経歴としてはドラマ性がある探索者だな。二年前の横浜ダンジョン攻略の唯一の生き残りで、リベンジを果たした探索者……まぁ、記者会見には出てないから貢献度は低かったんだろうが」


「……リベンジ? 待て。アストラが行った横浜ダンジョン攻略に黒井賽も参加してたのか?」


 そんな真田の反応に、高木はまるで予測でもしていたかのように口元を吊り上げて笑った。


「どうせ記者会見に出席する探索者名簿しか見てなかったんだろ? 横浜ダンジョン攻略に参加した探索者は30人もいたからな」


「なんで記者会見に出てないんだ」


「あの記者会見は、あくまでもアストラ主導で行われたものだ。お前たちマスコミが参加者名簿と照合していれば気づけたことだし、本人に取材もできたはずだ」


 そう言って高木はグラスに注がれたお酒をグイッと飲む。


「……まぁ、時藤茜が話題を全部掻っ攫っていったから、それどころじゃなかったのも頷けるがな?」


 たしかにあの時、世間の話題は横浜ダンジョン攻略と時藤茜の発言で一色だった。高木の言う通り、記者会見にすら参加していない探索者のことなど誰も眼中になかったのだ。


「そこから、ランクAへの到達もドラマ的ではある。これだけで一本のドキュメンタリー映画でもつくれそうじゃないか?」


 高木は楽しそうにそう言ってみせた。


 そして、


「まぁ、それもここまでだろうがな? 今後、黒井賽が活躍する展開はないだろう」


 確信を持った口調でそう断言したのだ。


「……なんでだ?」


 そんな真田の疑問に、高木はもったいぶるようにゆっくりとグラスをテーブルに置く。


「企業が望む探索者ってのは、三種類あるんだよ」


 彼は、真田に向かって三本指を立てた。


「一つ目は、そこそこのランクで使える探索者。これはヒーラーやサポーターに当てはまる。攻略に直接的な貢献はしないが、パーティーとしての役割を果たせる者。もしも真田がランクDかCまで上げてたなら、俺はお前をスカウトしたと思うぞ?」


「やめてくれ」


 ウンザリしたような真田の反応に高木はクククッと笑った。


「二つ目は、攻略に直接貢献できる探索者。もちろん戦闘系の探索者だ。ランクはBが好ましい。ランクAになると払わなきゃいけない給料が跳ね上がるからな? 日本に出現するゲートは高くないからこれだけで十分なんだ」


「給料って……結局金か」


「金に決まってるだろ。俺たちは企業だからな。だから、レベリングもある程度まで行ったら止めさせるし、ランク昇格試験を受けさせるのも最初から枠決めしてる所も多い。この業界の闇でもあるが、本来はランクBの実力がある探索者を、ランクCの給料で雇ってるところもあるはずだ。まぁ、うちはそうじゃないが」


「不満は出ないのか?」


「不満があるなら本人から辞めるだろ。それに探索者に限らず、一歩間違えば死と隣り合わせの職業なんて世の中にはごまんとあるんだ。彼らだってもっと多くの給料を欲してもおかしくない。できることは家族のために生命保険をかけることだな」


 高木の説明に真田は押し黙るしかなかった。彼も不満を抱いて探索者を辞めた一人ではあったから。


「……それで、三つ目は?」


「三つ目は、企業の看板となる探索者だ。芸能人とまでは言わないが、この探索者にはそれなりの容姿を求められる。謂わば、美男美女だな? そして、この条件に当てはまる探索者には手厚いレベリングをほどこした後、ランクAに昇格させるんだよ。企業の宣伝になるからな」


 そこまで聞いた真田は、ようやく「黒井賽が活躍する展開はない」と言った理由を理解した。


「写真を見たが、黒井賽は顔は悪くないが目付きが悪い。まるで、世の中の誰一人も信用してないような雰囲気がある」


「まさか……社会人にもなって外見格差の話を聞くことになるとは思わなかった」


「外見格差じゃない。ランクが上がると、払わなきゃいけない金が多くなるのが問題なんだよ。だから、これは企業側が悪いって話にもなる。それに、今は整形もできるし男だって化粧をする時代だ。やりようはいくらでもある」


「なら、黒井賽にもチャンスはあるだろ?」


 そう反論した真田に、無情にも高木は首を振った。


「ランクAに払う金を考えるのなら、黒井賽は戦闘系じゃなけりゃ企業は取らないだろう。ヒーラーに払うにはどうしたって金が過分に見えてしまう。ヒーラーは結局魔物を倒せるわけじゃないからな。魔物が倒せなけりゃ、攻略もできない。そう考えると、外見格差っていうよりは職業格差だな」


「別に企業所属じゃなくたって、活躍はできるんじゃないか?」


 それでも食い下がる真田に、高木はため息を吐いた。


「企業所属じゃないと話題になるような高ランクゲートになんて潜れやしない。たとえ募集枠で潜ったとしても、結局話題になんてならない。彼自身の経歴がそれを証明してるじゃないか。あの横浜ダンジョン攻略に参加してて記者会見にも出席しないなんて、おかしな話だろ?」


 そう言って高木が肩を竦めた時だった。


「――あら、彼はタンクじゃないのかしらん?」


 突然現れた巨大な影。それに真田は驚いた。そして、話を聞かれていたことに気づいて身を固くする。


「マーガレット……紹介したら来るように言ったじゃないか」


 その者は、筋肉質の体にドレスを着るキャストだった。その顔には濃い化粧が施してあり、唇はネオンの光に照らされて光沢を放っている。


 高木の反応を見るに、マーガレットと呼ばれたキャストは知り合いらしい。そのことにひとまず安心する真田。


「だって、黒井ちゃんの悪口を言ってたんだもの。わたし、居ても立っても居られなくなって」


 マーガレットはそう言いながら高木の隣に座ると、ガッチリとした体をくねらせた。


「この方は?」


 真田の質問に、高木は諦めたようにため息を吐いた。


「彼女はうちに所属してる探索者だ。そして、もうすぐランクAになる実力者でもある。真田をここに呼んだのは、マーガレットを紹介したかったからだ。美男美女かは別として……話題性はあるだろ?」

「んふっ、マーガレットですぅ。よろしくねっ」


 完璧なウィンク。それに苦笑いをするしかない真田。店内が薄暗くて良かったと心底思った。


「それよりも……黒井賽のことを知ってるんですか?」

「ええ、彼とは一緒にダンジョン攻略をした仲だものっ」

「言っただろ? 黒井賽と時藤茜がうちのダンジョン攻略に参加してたって」


 マーガレットの返答に高木が補足をした。


「さっきの……タンクじゃないのかっていうのは?」

「あの瞬間のことは今でも夢に出てくるわ。彼、わたしが魔物に襲われそうになったとき、身を挺して攻撃を防いでくれたのよ」


 マーガレットはうっとりとした表情で語り、大事そうに自身の身体を抱きかかえた。


「へぇ……というか、ヒーラーが?」

「ヒーラーではなかったわ。最初からタンクとして参加していたし」

「タンク?」


 そのことは高木も知らなかったらしく、真田は彼と顔を見合わせた。


「それに、さっき黒井ちゃんの外見のことボロクソに言っていたようだけど、黒井ちゃんは格好いいのよ? 目つきは確かに悪かったけれどアレが良いんじゃない。ほんとッッ、何も分かってないわね!」


 マーガレットはそう言い、高木の胸ぐらを躊躇いもなく掴み上げる。高木はマーガレットの行動に狼狽した。


「お、おい、やめろマーガレット! 仮にも記者の前だぞ!」

「知らないわよ。黒井ちゃんのことを悪く言うのは高木さんでも許さないし、彼の変な記事でも書いたら、わたし出版社に殴り込んでやるからっ」


 マーガレットの凄みのある視線が真田にも向けられる。それに真田がコクコクと頷くと、マーガレットは鼻息を鳴らして高木を放した。


 やがて、真田は気になっていたことをマーガレットへと切り出す。


「できれば……その時の攻略を詳しく聞きたいんだけど、いいかな?」

「えぇ、もちろんよ」


 そして、マーガレットは頬に片手を当て、黒井賽との出会いを語り始めた。


 その内容は、マーガレットが勘違いするのも無理はないと納得するほどに、ヒーラーとはかけ離れたものだった。

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