第88話

――ドイツ。ハンブルグ市


「なんッッで、ランクAなのよ!! 頭のネジ外れてるんじゃないの!?」


 室内に響き渡った怒声に、ラルフはため息を吐いた。そんな彼の視線の先にいるのは、激昂するセレナ・フォン・アリシア。彼女はソファーに腰掛けながら、目の前のパソコン画面に頭突きでもしてしまいそうな勢いで日本のとある記事を読んでいる。


「あっ痛ッッ」


 やがて、本当に頭突きをしてしまうセレナ。


「……お嬢様、それくらいにしたほうがよろしいかと。そんなことで怒るのは時間の無駄です」


 しばらく静観していたラルフは、そう言ってセレナを宥めようとする。しかし、彼が予想した通り、こちらをキッと睨みつけたセレナからは、怒りを鎮めようとする気配は感じられない。むしろ、その逆。


「ラルフは我慢できるわけ? 彼はあなたを倒しているのよ? その強さが、たかがランクA……? ハッ! 馬鹿にするのも大概にして!」


 セレナは言いながら、近くにあったクッションを掴みあげると、片手でボフボフとパンチをし始めた。


「しかも! 彼はアビス内ランキングで1位にまでなってる! 一体どんな手を使ったのか知らないけれど、こんなのはあり得ないことよ!」


「日本までわざわざ勧誘しに行ったお嬢様の目に狂いはなかったということですね。さすがお嬢様です」


 ラルフは冷静にセレナをなだめ続ける。それでも、彼女の怒りは収まらない。


「なのにッッ、こんなにも見識に優れたわたしの提案を断って、わたしの【血の支配ウィルス】まで拒絶した奴がランクッッA!? 日本人って本当に謙虚なのね? ……だったら大人しくわたしの支配下に落ちろっっ! なに断ってんだッッ!」


 殴られ続けたクッションは床へと叩きつけられる。そして、怒りのあまり肩で息をし始めたセレナは、パソコン画面を指差した。


「極めつけはこれよ! なにこの記事の小ささ!! 小さすぎてラルフが持ってくるまで気づかなかったわ! どうしたらこんなに自分の実力を隠せるわけ!? 角は隠せないくせにぃ!」


 それは、『魔力測定器破壊で、あわや捕まりそうになったヒーラー。無事、ランクAに到達』という、見出しが付けられた小さな記事。しかも、本人に取材などは一切なく、そこにあったのは黒井賽という探索者がランクAになったという事実のみが記載されていた。魔力測定器の破壊は、不具合ということで処理されている。


「いや、魔力測定器破壊はランクSの可能性を考慮しろッッ!」


「もしかしたら、日本の探索者協会内部で箝口令かんこうれいが敷かれたのかもしれません」


「そんなことするくらいなら、ランクSにしたほうが良いじゃない! なんで、わざわざランクAに留める必要があるわけ?」


 セレナは理解不能を大げさに表現。ラルフにもその答えは分からなかったものの……代わりに、セレナの態度に別の疑問を抱く。


「あの……失礼ですが、お嬢様は黒井賽をどうしたいのですか? 彼がランクSになれば、お嬢様の人形にするのが難しくなると思いますが?」


 セレナは、黒井を自分の人形オモチャにするため日本に出向き、【月の加護】まで与えた。そんな彼がランクSになってしまえば、それは個人間の交渉ではなく、国同士の取り引きにもなりかねない。


 なら、黒井がランクSにならなかったは、セレナにとって好都合のように思える。


 にも関わらず、彼女は分かりやすく怒っていた。


「わたしはただ、彼が在るべき正当な評価を受けてないことがムカつくだけ。それが彼の意図することであるのなら、なおさらムカつくわ」


 そう言い、セレナは静かに拳を震わせる。


「なるほど……お嬢様は優しすぎますね」


 そんな彼女にラルフはフッと微笑み、小さく呟いた。それは囁きにも近い呟きだったため、彼女の耳までには届いていない。


「わたしは……自分に絶対的な自信がある奴が好きなの! そういう奴を支配して屈服させる瞬間が最高に気持ちいいのよ! だからムカつく!」


「どうやら……私の勘違いだったみたいです」


 心底悔しそうに言葉を吐いたセレナ。そんな彼女に、ラルフはやれやれと肩をすくめて訂正を呟いた。


 やがて怒り疲れたのか、セレナは不満そうにしつつもソファーに裸足をあげて座りこむ。そのままクッションを拾い上げて抱きかかえると親指の爪をガリガリと噛んだ。


「でも……あなたの言う通り、ランクSじゃないのは好都合ではあるわね? まだ付け入る隙はあるもの」


「はい。月の加護が失われれば彼も気づくでしょう。結局は、人に紛れるしかないことを」


 ラルフの同意に、セレナはパソコン画面の小さな記事を見ながら頷いた。


「この程度じゃ、誰も守ってなんかくれないわ。本格的な戦争が始まったら、私たちは表に出なきゃならないんだから」



 ◆



――東京都、某出版社。そこに勤める真田さなだ慎也しんやは、このご時世によって狭くなった建物内唯一の喫煙ブースに入るやいなや、胸ポケットから取り出した煙草に火をつけた。


「お前、タバコの臭いなんかつけていいのか? 時藤茜に横浜ダンジョンやセレナ・フォン・アリシアのこと聞きに行かなきゃいけないんだろ?」


 既にブース内にいた男が話しかけてくる。真田はそれを無視して煙を吐いた。


「何度もお願いしにいってるが取り合ってくれねぇよ。記者会見での一件を、俺たちは面白おかしく書いちまったからな」


 真田の言う〝俺たち〟というのは、彼が勤める出版社のことを指しているわけではない。メディア業界全体のことを指していた。


「面白おかしくって……別にアストラの公表をそのまま書いただけだろ? こっちに非はないはずだ」

「だとしても、彼女に話は聞きに行くべきだったんじゃないか? それもせず記事を書いて、事態が変わった途端に近づいても話してくれるわけがない」


 真田の返しに、男は呆れたような表情をした。


「あれは彼女だって悪いだろ。真実を話すならあんな記者会見じゃなく、秘密裏に情報提供してくれりゃあよかったんだ。ランクAダンジョン攻略に世の中が沸き立ってる中、そこに水を差すような記事を書く身にもなってほしいね」


 男は他人事のようにそう吐き捨てた。真田はそんな彼を睨んでいたが、やがてため息を吐くと、まだ半分以上残っているタバコをすり潰す。


「なんだ、もう行くのか?」


 それに真田は「あぁ」と端的に返した。


「……そういえば探索者協会で起きた魔力測定器ぶっ壊れ事件だが、当事者がヒーラーで残念だったな? 戦闘職だったらもっと大きなネタだったろうに」


 背中にかけられた言葉に、真田は再びため息を吐いて振り返る。


「ヒーラーがランクAになるなんて聞いたことねぇよ。アレはあれで大きなネタだったんだ」


 男は、真田の意見にふぅんと鼻を鳴らした。


「お前も同じヒーラーだもんな? まぁ、今となっては、だが」


 思わず舌打ちをしてしまう真田。彼は真田のことを気にかけていたわけじゃなく、皮肉を言うために呼び止めたことを理解したからだ。


「世知辛いよな。戦闘職だったら、もっと前線のゲートに潜って記事でも書けたのに。ゲート内の記事はよく売れる」

「黙れ」


 そう言って真田は今度こそ喫煙ブースを出る。一服するために入ったのに、まるで休憩した気にならない。時間を無駄にしてしまった事を真田は後悔した。


 真田慎也は、男が言ったとおり元はヒーラーで探索者だった経歴を持つ。しかし、そのランクは一番下のランクE。魔物を倒す力はなく、戦闘系探索者について回るしかなかった探索者活動はろくな金に繋がらず、結局、一年足らずで引退をしてしまった。


 とはいえ、それで良かったのだと彼は考えている。その考えは雑誌記者となり、様々な探索者のことを追って強まったものでもあるが、戦闘系じゃない探索者に将来性はない。


 それでも、もう少しランク昇格を頑張っていれば、ランクの高いゲートに潜って記事でも書けていたんじゃないかと思うことはあった。まぁ、今となっては、企業所属でもない限りヒーラーがレベル上げを行うことは難しいため後の祭りだが。


「黒井賽、ねぇ」


 探索者協会であった魔力測定器の破壊。その連絡を最初に聞いたとき、『探索者による事件』か『ランクSの出現』かに結びついてマスコミが協会へと押しかけた。


 しかし、蓋を開けてみれば魔力測定器は不具合であり、ランクAに昇格したのはヒーラー。もちろん、それは凄いことなのだが、最初に想像した話題のスケールと比較すると、どうしても落胆せざるを得ない結果だった。


 結局、その件は記事の枠すら小さく指示され、一面を飾るほどでもない。


 それでも真田は、ヒーラーがランクAにまで到達した事実を信じられず、黒井賽という人間に興味を持ち始めている。


 それは、同じヒーラーとしての純粋な好奇心だった。


 そんな時、ポケットに入れているスマホが震えた。画面を見れば、近年力をつけてきた『グリード』という攻略組の探索者管理部にいる知り合いからの連絡。


『おぉ、真田。この前調べてほしいと頼まれた黒井賽って奴のことなんだが、もしかしたら記事にできるかもしれないぞ!』


 電話に出た途端、音量調節を間違えたような大声が聞こえ、真田は耳をスマホから離してしまう。


「……記事にできるかどうかはこっちで決める。簡潔に話してくれ」

『悪い悪い。黒井賽って奴なんだが、以前うちで募集したダンジョン攻略に参加してたらしい』

「それで?」

『ダンジョンランクはB。しかも、黒井賽はその時ある人物・・・・と一緒に参加してるんだよ。……誰だと思う?』


 その勿体ぶった言い方に真田はイラついたものの、最初に頭に浮かんだ者を名前をあげた。


「時藤茜か」


 冗談のつもりだった。だから、「そんなわけないだろ!」という大きな笑い声に備えて真田は身構える。


『なんだ、知ってたのか』


 しかし、返ってきたのは予想外の返答。


「……それ本当か?」

『え? あ、あぁ。まさか当てずっぽうだったのか?』

「当たり前だろ! こんなとこで彼女の名前が出てくるなんて普通は思わない!」

『だろ? 俺も調べて驚いたんだ。しかも、ダンジョン攻略があったのは、彼女がランクAに昇格する直前なんだ』


 その話に、真田は唖然とした。


『しかも、驚くのはまだ早いぞ? 黒井賽は、二年前に壊滅した横浜ダンジョン攻略パーティーの生き残りでもある』


 驚きのあまり思考停止しかける真田。それでもなんとか我に返り、頭の中でこれからやらなければならない仕事を確認すると、終わる時間を素早く逆算した。


「直接話せるか? できれば今日」


 切羽詰まったような真田の声に、電話越しからニヤリと笑ったような吐息が聞こえた。


『あぁ、20時には会社を出れるぞ』

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