第87話

「……私と同じランクAですか?」


 茜が発した疑問の声には、まるで当事者であるかのような驚きと怒りが滲んでいた。


「間違いなくランクAです。おめでとうございます。ヒーラーでランクA到達というのは凄いことですよ」


 対して、穏やかに答える大貫の声音には、茜とは真逆の祝意があった。


 その温度差が、大貫の乾いた拍手を滑稽に施設内へと響かせる。


 ……確かに、ランクAというのは現在日本にいる探索者の中では最高ランクだった。そのライセンスを持っているだけで、普通の探索者とはかけ離れたお金を稼ぐことができる。そこに認められた探索者に不満や文句などあろうはずがない。


 もちろん、それは普通の探索者であったならの話――。


「俺はランクSになるつもりで試験を受けにきました。足りないことがあるのなら教えてもらえますか?」


 黒井は普通の探索者ではない。それどころか、普通の人間ですらない。そんな彼がランクSを目指したのは、普通でなくとも存在できる権力をランクSに見いだしたから。


 足りないこと? そう言って大貫は眉をひそませた。


「そもそも、ランクSというのは測定できないから与えるしかなかったランク帯です。測定できもしないことに足りないものなどわかるはずないでしょう?」


 そう答えた大貫の表情には、黒井の真意を図りかねた疑問符が浮かんでいる。……当然だろう。ランクSの探索者など世界においても稀な存在であり、日本においては未だ未到達のランク。にも関わらず、黒井の発言にはランクSになることが当然だとでもいう考えが透けていたのだから。


「それはつまり……俺の実力を測定できないから、足りないものが分からないってことですよね? なら、測定不能とされるランクSじゃないとおかしくないですか?」


「ふむ……黒井さんはランクSを望んでるんですね? それはなぜですか?」


 大貫からは、黒井の大言壮語を笑うような態度はなかった。むしろ、目を細めて厳しい視線を向けてくる。


「それは……」


 答えられるはずがない。答えられないからこそ、黒井はランクSを望んだのだから。


「……俺が言ってるのは、ランクAとランクSの違いについてです。それとも、俺がそれを答えたらランクSにしてくれるんですか? その場合、実力不足でも望めば別のランクになれてしまう可能性を示唆することになりませんか?」


 だから、はぐらかすしかなかった。


 大貫は黒井をジッと見つめていた。が、やがて大きなため息を吐く。


 それから彼は、他の探索者に向かって施設内から出るよう指示をだした。もちろん、そのなかには茜も含まれている。


 そして、施設内に大貫と黒井の二人だけが残されると、彼は再び鋭い視線を黒井に向けたのだ。


「黒井さん……いくら私に探索者としての経験がないと言っても、ただのヒーラー・・・・・・が、ここまでの力を持てたのだと簡単に信じるとお思いですか?」


 そこにはもう、拍手をしていたときの穏やかさはなかった。


「黒井さんが提出してくださったステータス……あれは本当のステータスではありませんよね?」


 疑問の形で問われた言葉。しかし、そこには責めるような攻撃性があった。


 黒井は上手い返答を頭のなかで巡らせたものの、結局諦めてしまう。どんなに言い繕っても、目の前の大貫という男を騙し通せると思えなかったからだ。なにより、他の探索者を退室させたのは確信があったからなのだろう。


 黒井は反省する様子もなく、開き直りの息を吐いた。


「……そうです。だから、俺はランクSを望んでいるとも言えます」


 その自白に、大貫は怒るどころか笑みを溢した。


「やはりそうですか。なるほど? ……ランクSは国家機密級の情報と同等に扱われる場合が多いですからね。ですが、それでも黒井さんにランクSは与えられません」


「足りないのは信用って認識でいいですか?」


「もちろんそれもあります。我々は得体のしれない者を、おいそれと認めることはしませんから」


「他にも理由が?」


 大貫は頷き、


「そもそも日本自体がランクSを必要としていません。だから、黒井さんがどんなに強くても、どれだけ信用に値する人物であったとしても、ランクSを与えることはないでしょう」


 そうキッパリと断言したのだ。


「日本には高ランクのゲートが出現しないからですか? 横浜ダンジョンのようなゲートが、今後出現しないとは限りませんよ」


「私が言っているのは国際関係のほうです。日本は抜きん出た探索者を輩出すべきではありません。もしも横浜ダンジョンのような高ランクのゲートが出現したら、他の国に協力を要請すればいいだけの話です。そのための友好関係も築き上げています」


「横浜ダンジョンが出現してから二年の間、一体どの国が攻略にきてくれたんですか? 結局、日本で攻略したじゃないですか」


「横浜ダンジョンは、民間人に実質的な被害が出ていません。緊急を要する攻略ではありませんでした」


 その言葉に黒井は驚いた。


「それは――民間人に被害が出ないと他の国に頼れない、と言っているように聞こえますが……?」


「要請はしていました。ただ、他の国からしてみれば、横浜ダンジョンは緊急を要するゲートに見えなかった事も確かでしょう」


 それでも大貫は淡々と答える。


「被害が出てからじゃ……遅いんじゃないですか?」


 それでも大貫は眉尻をすこし下げて首を横に振った。


「言いたいことは理解できますが、そもそもこのゲート、ダンジョン、魔物という問題について早期解決を進めようとすること自体が間違いなのです。最低でも半世紀……いや、もしかしたらこれらの問題は人類がずっと付き合っていかなければならないことかもしれません。我々は慎重に事を運ばなくてはならない。たとえ犠牲が出てしまったとしても、その場しのぎでランクSをポンポンと輩出し、得体のしれない脅威を未来に残すことは賢明ではありません」


「それが……日本のためだと言いたいんですね」


「私が考えうる限りはそうです。それに、日本には一騎当千の英雄ヒーローなど要りません。我々は他者との連携を上手く図りながら文明を発展させてきた国家です。個の力よりも、協力することがより大きな力になることをよく知っています。ヒーローというのは、その力を半減させてしまう要因だと私は思っています」


 黒井はしばらく無言で反論を考えていたものの、その時間は大貫に返答を用意される時間であることにも気づいて、諦めのため息を吐いた。


「……ランクAに甘んじろってことですか?」


「それだけの待遇は用意します。もしも、今までのように探索者協会所属で居てくださるのなら」


 そして、探索者協会の管理下であることを条件につけてきた大貫。


「わかりました……取り敢えずはランクAで大丈夫です。企業所属になるつもりは今のところはないので」


 その言葉に、大貫は安堵して笑みを浮かべる。


「ありがとうございます。ステータスの件については不問としましょう」


 それも待遇のなかに入っているのかもしれない。見過ごしてくれることは難有かったが、それでも黒井が納得したわけではなかった。


 黒井は既に、鬼が周囲にバレてしまったときのことを謎の記憶によって疑似体験している。そうでなくとも、彼は味方に裏切られる危険性を経験によって知っていた。


 協力することがより大きな力になることは間違いではないだろう。しかし、だからこそ仲間内で行われている審査というのは厳しい。そして、その審査によって不利益だと判断された者は呆気なく排除される。それこそ、「仲間のためだ」という大義名分によって。


 黒井が鬼だとバレたとき、果たして大貫は日本のため・・・・・に彼を生かしてくれるだろうか?


 おそらく、答えはNOだろう。結局、黒井自身を守れるのは、脅威だと分かっていながらもその存在を認めざるを得ないランクSしかなかった。


「それと……黒井さんがランクAに昇格することはすぐに公表してもよろしいですか?」


 そんな結論に至っていると、目の前の大貫がふと難しい顔をしてそんなことを言った。


「構いませんが、なぜです?」

「今回、黒井さんが魔力測定器を壊したことで外が大騒ぎになっていましてね……一応こちらでも対応はしますが、面倒なことになる前に良い情報を公開し収束させたいのです」

「あぁ、なるほど……ちなみに魔力測定器の破壊については……」

「心配いりません。あれは不具合で処理します。黒井さんに代金を請求することはありませんよ」


 大貫の返答に安心する黒井。魔力測定器がいくらなのかは知らなかったものの、到底返せるレベルの金額じゃないことだけは想像できた。


 それにしても……。


 ランクSになることは簡単ではないだろうと覚悟していた黒井だったが、まさか、日本においてランクS自体必要ないと言われるとは思ってもみなかった。


 現状、思いつく限りでランクSになるには、国籍を変える他ない。もちろんそれは、変えるまでに角を隠していられればの話。


 もしくは――日本探索者協会の会長トップが変わるか。


「もしや、なにか物騒なことをお考えだったりしますか?」


 黒井の視線に何か感じたのか、大貫はそう言って朗らかに笑う。勘は良い方なのだろう。そして、探索者を前にしてそんな態度を取れてしまうのは、信念を貫く覚悟があるからに違いない。


 ……これは厄介だな。


 目の前にいるのは魔物でも探索者でもないのに、黒井にとって大貫の存在は彼らよりも難しい敵に思えた。 


「一応言っておきますが、暴力では何も解決しませんよ」


 そして、念押しでそんな事を言ってきた大貫。


「そうですかね? 俺は――そう思いませんけど」


 それを黒井はアッサリと否定してみせる。その直後、黒井の足下がピシリと音を立ててヒビ割れた。


 頑強に造られた特殊な床に亀裂が入ったことで表情を強張らせる大貫。


「解決自体はできると思いますよ? ただ、その手段として、暴力は良くないとされているだけで」


「……危険な思想ですね」


 大貫は言い、ゴクリと唾を飲み込む。


 やがて、黒井を中心として広がっていた亀裂は、大貫の手前で止まった。


「まぁ、俺は手段が一つじゃないことも知っていますから安心してください」


 最後に黒井はそう言って終わらせる。


「そうですか……。その選択が、私と黒井さんにとって良いものであることを願っていますよ」


 大貫は変わらず毅然とした態度をしていたものの、額に滲んだ汗は顔の輪郭を伝ってポタリと下に落ちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る