第82話 ランク昇格試験
東京都、探索者協会関東本部。
その場所で、時藤茜はもはや何度目になるかわからない呼出しを受けていた。
「――それで……仮面を付けた者が鬼を引き連れて現れたんですね?」
狭い室内に設けられた簡素な机と椅子は、まるで刑事ドラマで見るような取り調べをするための部屋と似ている。まぁ、その部屋で行われていることは『横浜ダンジョン攻略』についての事情聴取であるため、あまり変わりはないのかもしれない。
向かいに座っているのはスーツを着た女は、すこしやつれた顔で疲れたように茜へと確認をとった。彼女とは事情聴取の度に顔を合わせるため緊張はない。それでも、事情聴取の度に同じことを詳しく質問してくる彼女への印象はどうしても悪くなっていた。
「だから……何度もそう言ってるじゃないですか」
茜はそう言ってため息。声にはウンザリするような疲労が滲んでいる。
茜がここに案内されたとき、最初セレナ・フォン・アリシアとの戦闘について聞かれるのだろうと思っていた。
しかし、始まった事情聴取は横浜ダンジョンについてのこと。そのとき、茜は探索者協会を呪ってやろうかと思うほどの怒りに駆られた。
記者会見のときは何も言ってこなかったくせに――。
茜は、なぜ自分がこんな状況になっているのかを正しく理解していた。ランクAという、日本においてはトップクラスの探索者となったうえ、ランクSのセレナ・フォン・アリシアから注目されるほどの女性探索者――。そんなレッテルが、横浜ダンジョン攻略において供述した内容に信憑を持たせ再調査をすることになったのだと。
しかし、何度も話したはずの横浜ダンジョン内での出来事は、探索者協会にも半信半疑なのか呼び出される度に同じ質問をされた。世論が覆ったからこそ再調査をしているはずなのに、こうして真実を語っても未だ信用されていないことに茜は悔しさを覚えてしまう。それでも同じ内容を冷静に話し続けるのは、彼女の中にある正義を信じてもらいたいという祈りからだ。
しかし……それも限界に近くなってきている。茜は、腹の底から湧いてくる怒りを隠すことができなくなっていた。
その理由の中には、セレナ・フォン・アリシアのことを聞いてこないことも含まれていた。おそらく、彼女との戦闘のことを探索者協会も知りたいはず。にも関わらず何も聞いてこないのは、セレナがランクSであり情報が流出しないよう探索者協会に圧力をかけているからだろう。
それには忠実に従っているくせに、茜に対しては疑惑の目を向け続けるその態度に、彼女は失望せざるを得なかった。
そんなとき、扉が軽くノックされ部屋に恰幅の良い白髪交じりの男が入ってきた。
「会長!」
その男の登場に、向かいの女は素早く立ち上がる。茜が顔を向けると、優しそうな瞳から放たれる鋭い眼光と視線がぶつかった。
「時藤茜さんと二人きりで話をしたい。いいかな?」
「あ、はい」
男は数秒茜と見つめ合ったあとで、向かいの女にそう言い席を外させた。やがて、彼女が頭を下げて部屋から出ていき、「会長」と呼ばれた男が向かいに座る。しかし、茜の心境は変わらぬままだった。むしろ、上役が出てきたことでまた何かしらの圧力がかけられるのではないかと警戒したほどだ。
横浜ダンジョンでのことは、所属していたアストラの上役たちから他言しないよう言われた。セレナとの戦いも、秘密にするよう病室で口止めをされた。
そして、意図せずして有名になってしまった今も探索者協会において、おそらくトップの人間がこうして出てきた……。おおかた、今回も都合の良いように事実を捻じ曲げるんだろう。そう、茜が考えてしまっても仕方のないことだった。
「はじめまして。私は探索者協会会長の
しかし、彼の口から出てきたのは謝罪だった。
「すれ違い……?」
「簡単に言うと、君の話があまりにも突拍子もないから、私への報告に変な気を回そうとしたらしい。これは彼らを管理する私の責任だ。すまなかった」
大貫はそう言って、頭を下げた。
「では、今度こそ信じてもらえるんですか?」
「信じる、というのは的確ではないが、アストラルコーポレーションを調査する機会にはなるだろう。君の話が本当なら、アストラは事実を隠蔽したことになるからね? その点で言えば、君の話を重要な証言として扱うことを約束しよう」
「そうですか」
茜は感情のない声で返す。そこには感謝も安堵も何もない、ただの疲れた返答だけがあった。
「それと……気になっているかもしれないがセレナ・フォン・アリシアとの一件は、向こうから何も聞かないよう言われていてね。これは国同士の関係にも影響してくることだったため我々は従うしかなかった」
「予想はしてましたから大丈夫です」
茜はなおも冷たい端的な言葉で返すのみ。大貫は渋い表情をするしかなかった。
「そうか……。協力してもらったのに連日君を拘束し不誠実な対応をしてしまった。この瞬間を以て事情聴取は終わりにする。ただ、今後アストラの調査において、所属していた君にもう一度調査協力をしてほしいことがあるかもしれない。その時はお願いしたい」
大貫はそう言って再び頭を下げる。茜はしばらく無言だったものの、探索者協会のトップが謝罪しているという事実は溜飲を下げる理由にはなり得た。
「……わかりました」
だから、そう言って終わらせることにする。
ちょうどその時だった。突然ノックもなく扉が勢いよく開き、一人の男が入ってきた。
「あの! 会長がこちらにいると聞いて……!」
彼は額にびっしりと汗をかいており、どこからか必死で走ってきたのだとすぐにわかった。ただ事ではないその雰囲気に、大貫は立ち上がると「少し外します」とだけ茜に言い、男を連れ立って部屋を出る。
「――会長、現在行われてるランク昇格試験で、先程妙な探索者がきまして……」
「声が大きいぞ」
扉越しの声は、大貫の指摘によって聞き取れなくなってしまう。それでも、何か焦ったような囁きだけは聞こえていた。
気になった茜は扉のほうに寄ってみようかと思ったものの、首を振って我慢する。
そんなことをしていると、不意に扉が開いた。
立っていたのはやはり大貫。彼は、困ったような顔で茜を見ていた。
「時藤さん……よければランク昇格試験が行われている特殊専用施設に今から行けますか?」
「私がですか?」
「はい。実は……ランク昇格試験を受けにきた探索者が……測定不能らしいのです」
「測定不能?」
茜は、わけが分からないというように小首を傾げた。
「申し訳ない……実は、私も自分で何を言ってるのか理解できてない。どうやらその探索者、ランクがA以上あるかもしれなくてですね……」
「A……以上ですか?」
「いや、こればかりは行ってみないとわからないのですが、その探索者が事前に提出したステータスの数値によると――」
大貫はそこで言葉を区切り、脇にいた汗だくの男を一旦見る。彼もまた、わけが分からないという表情のまま大貫を見つめ返す。
やがて、大貫は視線を茜に戻した。
「――レベルが120で……魔力値が少なくとも1000あるらしい」
「……は?」
今度は、茜が同じ表情をする番だった。そのレベルも魔力値も聞いたことがなかったからだ。
そして、彼女を最も驚かせたのは次に大貫が言った言葉。
「その探索者は……現在ランクCのヒーラーらしいのです」
「ランクCのヒーラー……」
現在、茜のレベルは87であり、魔力値は300を超えている。この数値は、ランクAではあったものの、魔法を扱うランクA探索者からしてみれば劣る数値ではあった。だからこそ、茜のような物理戦闘系探索者は模擬戦闘試験によって実力を示さなければならないのだが、ヒーラーとなるとそれすら難しくなってくる。
しかし、茜には『ランクCのヒーラー』に思い当たる人物がいた。
その人物が即座に思い浮かんだからこそ、彼女は驚いたのだ。
「もしかして……黒井賽という人ですか?」
出てきた名前に大貫が目を見開く。やがて、彼は何かを思い出したようにハッとする。
「そういえば……レベル上げをしていたとき、一緒にダンジョンに潜っていたという……」
それは独り言だったのだろうが、茜にも聞こえる声量だった。やがて、大貫は険しい顔つきに戻ると茜を見やる。
「実は……企業所属ではないランクAの探索者で、模擬戦闘ができるほどの実力者が今居ないのです」
「なるほど。その代役を私にお願いしたい、ということですね?」
「ええ、そうです。……黒井賽の実力を知ってるのですか?」
「はい……ですが、そこまでの実力があるかは知りませんでした」
「わかりました。では、一緒にきてもらえますか?」
それに茜は頷いて立ち上がる。それから彼女は、ふと疑問を抱いた。
「あの……もし、そのレベルと魔力値が本当だとしたら、彼はランクAになるんですか?」
茜がした質問に大貫はしばらく無言。それは、彼女が『ランクS』を示唆していることに気づいての沈黙だろう。当然だった。そのレベルはランクAの茜よりも高く、魔力値に関しては3倍以上の差があったのだから。
「本当だとしたら――ランクAでしょうね」
やがて大貫はそう言い切る。
「わかりました」
それに対し、茜が追加で質問をすることはなかった。彼女の意識は既に、黒井のことに向いていたからだ。
彼のランクがAかSかということよりも、何故ランク昇格試験を受けに来たのだろう? その疑問で頭が一杯になっていた。
「なんだか、嬉しそうですね……」
逸る気持ちを抑え、それでも足早に歩く茜に大貫は話しかける。しかし、その言葉は聞こえていないのか無視されてしまった。
そんな茜の様子に、大貫は話しかけるのを諦めて、やれやれとため息を吐く。やがて大貫は、後ろから付いてくる汗だくの男のほうに話しかけたのだった。
「すぐに昇格試験を中止して関係者以外は立ち入らないようにしてくれ。それと、情報が漏れないようにもな」
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