第79話
――月の力による阻害を受けています。
――治癒術による再生ができません。
――月の加護が反応しています。
――月の加護が阻害効力を低下させました。
――治癒術による再生を再開します。
――再生速度は通常より低下しています。
「くそっ……あの剣、月の力を宿してたのかよ……」
城外へと落とされた黒井は、魔王が握っていた白刃の剣を思いだし血反吐を吐いた。地面への衝突は咄嗟に取った受け身によって両足と肩から腕にかけた骨折程度で済んだものの、腹部から流れ出ていた血は止まらず、内部で崩れ偏った臓物は胃を下へと引っ張り、意識を遠のかせる程の気持ち悪さを黒井へと押し付けている。
「だから、角を再生できなかったのか……」
それでも、徐々に回復していく身体機能を確かめながら、歯を食いしばり思考を口にする黒井。
実は――魔王の前口上をスキップした直後、黒井は魔王に向けて【治癒術】を発動していた。
それは、かつて魔王の額に生えていたとされる角を復活させるため。
黒井は、アビス内で登場する者たちはゲーム設定を守るためのキャラクターに過ぎないと考えていた。しかし、回廊の烏帽子三人衆や、横浜ダンジョンのドラゴンと出会ったことで、曲がりなりにも彼らにはちゃんとした過去があることを思い知らされた。そしてその過去は、彼らの今現在を形作る重要な要素として機能している。
であるならば、魔王とて例外ではないはず。たとえゲーム内における設定であったとしても、魔王をかつて苦しめた角を再生することは不可能ではないと考えていた。
弱点がないなら、つくればいい。
それこそが黒井の企んでいた〝勝算〟。最初の一撃をかわせずとも、魔王の角を再生することができれば、状況を打開することは十分に可能だと考えていたからだ。
しかし、誤算だったのは、魔王が握っていた白刃の剣の存在。
かけた治癒術は無効化され、それどころか、甘んじて受けた攻撃は黒井の潜在能力までもを低下させた。
幸い、黒井にはセレナから与えられた月の加護があったため回復には向かっているものの、魔王からの一撃は未だ黒井にダメージを負わせ続けている。
「だが、これで疑問が解消された……。角を失ったままなのは、あの剣があるせいか……」
血を流しすぎたせいで朦朧とする意識のなか、黒井は立ち上がる。見上げた城の屋上からは、鉄と鉄が打ち合う音が聞こえていた。
――自我への侵食が90%に到達しました。
そして、黒井自身のタイムリミットもすぐそこまで迫っている。
「戻らないとな……」
黒井は、魔王に対して魔法の類が全く効かないとは思っていなかった。なぜなら、魔王には魔力があるはずだからだ。もしも魔王に魔力がないのなら、魔素が充満したこの世界で生きていけるはずがない。そして、魔力があると仮定するのなら、魔法による影響を必ず受けざるを得ない。
効かないのはおそらく、外部からダメージを与える攻撃系統の魔法。なら、内部から回復させる魔法はどうだろうか?
治癒術が効かなかったとき、黒井はこれもダメなのかと諦めかけた。しかし、剣で身体を貫かれた瞬間にそうでないことに気づく。
「あの剣をどうにかしないとな……」
それだけを考え、黒井は未だ回復しきっていない身体を引きずるように屋上へと跳んだ。
◆
ユジュンは、魔王が振るう剣を凌ぐことに全神経を集中させていた。一瞬でも気を抜けば、呆気なく殺されるであろうことが目に見えていたからだ。
防戦一方では勝てないと理解しながらも、彼は防御に徹するしかない。魔王は、反撃をする隙すら見せてはくれなかった。
それでも、彼に逃げるという選択肢はない。
逃げられない――というのも理由の一つではあったのだが、ユジュン自身に逃げるという考え自体が排除されていたことも理由の一つ。
彼は……彼自身が持つ能力によって選択をコインに委ねていた。故に、その結末が如何なるものであろうと、最後までその結果に従うことを誓っていたのだ。
やがて、息も吐かせぬ魔王の攻撃に疲労が溜まり、ユジュンの動きは鈍くなっていく。攻撃をいなす度にナイフを握る手の感覚は失われつつあった。
まさか、最後に立ち塞がる敵がここまで強いとは思ってもいなかったユジュンは、自身の死を予感しはじめる。
それでも、絶望に打ち震えようとする身体を、彼は精神力のみで抑えつけた。
たとえここで死ぬ運命だったとしても、それは自分にとって都合のよい死であるだろうと強く信じていたから。
もはや、何度目になるかわからない魔王からの剣撃。それに対応が一瞬遅れ、ナイフの刃は間に合わない。
死ぬ覚悟など、とっくの昔にできていた。ただ、それがここだとは思っていなかっただけ。
「
呟いた疑問。しかし、その答えを知ることはできないだろうと自己完結。
白刃の一閃が迫り、それにすら身を委ねて脱力。
そして、ユジュンが最期に見たものは、死ぬ間際に見るとされる走馬灯ではなく――魔王の首に振り抜かれた一蹴だった。
直後、ユジュンに迫る刃の軌道は逸れ、眼前にいた魔王の巨体までもが視界端へと吹っ飛んでいく。
代わりに現れたのは、死んだと思っていた黒井賽。いや、死ぬまでには至らなかったものの、彼の状態は万全とも言い難い。
「おじさん……なんで……?」
その身体で戻ってきたことに、ユジュンは唖然とした。
「なんでって、何がだ……?」
しかし、額にびっしりと汗を張り付かせる黒井は、訳がわからないというような反応をみせる。
「その傷で戦えるの……?」
溢れるように赤い血がポタポタと落ちていた。剣は確かに彼の身体を深く貫いていたはず。
「――
ユジュンは回復魔法を唱える。しかし、何故か黒井の傷は癒えなかった。
「回復魔法も使えるんだな……」
「一応ね? でも、上手くいかないみたいだ」
「奴の剣が原因だ……」
黒井は端的にそう答え、
「俺がもう一度刺されて動きを止めるから……その間に何とか剣をヤツから切り離してくれ」
焦点の合っていない虚ろな瞳で、そんな提案をしてきたのだ。
「刺されてって……そんなことしたら今度こそ死ぬんじゃない?」
「お前が受けるよりはマシだろ……それに、傷は少しずつ治癒してる……」
黒井は、ユジュンが魔王の攻撃に耐えることができない事を理解していたらしい。
「奴から剣を切り離せたら、何とかなるのかい?」
「ああ……説明は省くが、考えがある」
その返答に、ユジュンは頷くと黒井の前に立った。蹴りによって飛ばされた魔王に視線を向ければ、さほどダメージを受けた様子はなく立ち上がっているところ。
「奴の攻撃は僕が受けるよ。さっきの蹴りを見れば、僕よりもおじさんのほうが勝てる可能性があるのが分かったからね」
ユジュンはそう言って再びナイフを構える。彼は自分のことを決して弱くはないと評価していたが、正直に言えば魔王に勝てるビジョンが視えなかった。
なら、勝てる者に託す方が良いと考えたのだ。
「アホか……なんで俺より年下の奴を犠牲にしなきゃならないんだよ」
しかし、そんなユジュンを押しのけるように、再び黒井が前に出る。
「これがコインの選択なんだ。僕にとって都合の良い、ね」
ユジュンは黒井の腕を掴むと、引き止めるようにそう断言してみせた。
黒井は虚ろな瞳のままユジュンを見つめていたものの、やがて、
「たしか……コインに死ぬことを示されたら、お前は迷うことなく死を選ぶと言ったな……?」
それはアビスゲートに入り、ユジュンが『ハヌマーン』か『ガルダ』を選ぶときにしたときの会話。
それに、ユジュンはこんな風に答えたはずだ。
「たとえ生きることを選んだとしても、都合の悪い人生なんて死んでいるのと同じだからね」
黒井は再び嘲笑。そして、ユジュンの手を強引に振り払った。
「都合が悪くても生きてみろ……お前にとって都合の悪い結果は、誰かにとって都合のよい結果でもあるだろ。それが誰にとっての都合かは知らないが……もしかしたら、お前を大切に思う人間にとっての都合かもしれない」
「僕を大切に想う人間……?」
ユジュンの問いに、黒井はもう振り返らなかった。
「お前は死ぬことを覚悟してるようだが、その覚悟ができていない人間がいることも覚悟するべきだ……。お前が言う都合っていうのは、お前だけの都合じゃない」
魔王は、既に剣を構えて体勢を整えている。
「そのコインの能力がどれだけ凄いのか知らないが……年下の犠牲で掴んだ勝利なんぞ、俺にとって不都合なんだよ」
「……おじさん」
やがて、黒井が浮かべた笑みは嘲笑ではなく、シニカルな冷笑。もちろん、それが背後にいるユジュンに見えることはない。
「託されるのはいつの時代も若い奴の特権だろ。おじさんってのは、そいつらを守る役目があるんだ」
黒井は、自分がおじさんである事を否定したかった。だが、ユジュンの理屈をねじ伏せるため、仕方なく認めるほかなかった。
それでも――、
「俺は、まだおじさんって年齢じゃないけどなあ!」
やはり……最後まで認めることはできなかったらしい。
直後、魔王の攻撃が迫りくる。その手に握られた剣の刃は、今度、黒井の身体を真正面から貫いた。
止まった刃の切っ先は、ユジュンまでには届かなかった。
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