第78話
ハヌマーンの移動方法は至ってシンプルだった。
「では、ワタシの体に掴まれ人間」
それは、巨大化して跳躍をするだけ。ただその姿はガルダが鷲になったのと同様、多くの体毛を生やしてより猿らしい姿になっていた。てっきり、風を操る能力を用いてスーパーマンのように空を飛ぶのかと想像していた黒井はそのことに驚いた。そして、ハヌマーンが屈伸をして足にぐぐぐと力を入れた時点で嫌な予感をしてしまう。
「おい、まさか……」
思わず抑止の声が漏れた。しかし、魔王がいる島へはガルダかハヌマーンしか行くことができないため、それを察しながらも本気で止めることはできない。
結果、黒井は身体をなるべく硬くして、来たる重力加速度に備えるしかなかった。
やがて、ハヌマーンがジェットコースター、あるいはロケットの如く爆発的な速度で空へと跳び上がったとき、黒井の叫びは地上へと置き去りにされた。
「――人間、オマエは……ワタシを殺す理由を「自分のためだ」と言ったな?」
地上の景色が小さくなり、ハヌマーンの跳躍はもはや、飛んでいるとしか思えないほどの滞空を維持し続けている。空気は薄く向かい来る風は冷たく、それでも生物の痕跡すら見当たらない広大な空間を進む爽快感に気持ちを委ねていると、ハヌマーンがそんなことを聞いてきた。
「世界のためだというのなら私はまだ理解ができる。オマエが死んでしまっても世界は続くからだ。しかし、なぜ自分のためだと言い、自分の命をかけられる?」
誰もいない空を飛んでいるせいだろうか。どうやら、ハヌマーンはセンチメンタルになっているらしい。そして、そういう気持ちになっている時の話というのは、だいたい後々になって見るとどうでも良いような事が多い。黒井は聞こえないフリにでも徹しようか迷ったものの、魔王のいる島にはいつ到着するかわからず、そんな話を聞かされ続けるのもしんどいと考え、仕方なく口を開くしかなかった。
「……アンタはそもそも人間に対して勘違いをしてる。人間が言う「自分のため」っていうのは、正確には自分のためじゃない。「誰かのため」っていうのも正確には誰かのためじゃない。たとえ「世界のため」と言っても世界のためじゃない。そんなのは自分が行動を起こすために吐いた自分に対する言葉でしかない」
「では、何のために命を賭ける?」
「それを言葉したところで、アンタには理解できないだろうな」
「……言葉にしてみなければわからぬだろう?」
ハヌマーンの声には馬鹿にされ苛立ちを隠せない怒気があった。
「いや、わかるよ」
それを黒井は一言で突っぱねる。
「例えば――ここに六面体の箱があったとして、俺が言葉にできるのは一つの側面だけだ。だから、俺が何を言おうと、アンタはそれを六面体の箱として認識できない」
「自分のためだと言いながら、そうではないと言ったのはそういうことか」
「間違いじゃないが正しくはない、ってやつだ。俺の主張は嘘なんかじゃなく、真実に含まれる一つの側面に過ぎない。アンタが理解できないっていうのはなにも馬鹿にしてるわけじゃない。俺が全てを説明できないだけだ」
「なるほど……では、人間を強欲だと思うワタシの考えも一つの側面に過ぎぬということか」
「さぁ? それは合ってるんじゃねぇの? 俺が命をかけるのは自分のためであって、他人のためでも世界のためでもない。だが、それは同時に、他人のためであり世界のためであり、自分のためじゃないとも
ハヌマーンはしばらく何かを考えていたようだったが、やがて諦めたように肩を落とす。
「……確かに、ワタシには到底理解できぬことのようだ」
「別にアンタがそれを理解する必要はないな。これは、誰かに説明するための言葉じゃないからだ。俺のためっていうのは、俺自身を説得するのに一番都合がいい言葉なんだよ」
黒井がそう言うと、ハヌマーンは黙り込んでしまう。おおかた言葉の意味を必死に考えているのだろう。そのことに対して黒井は気にもとめない。
それでも、何となくのニュアンスは伝わったはずだと黒井は思う。
大義名分とでも言えばいいのか、黒井が今こうしてるのは自分のためだった。そして、それを「他人のためだ」と言う者もいるだろう。そして、ハヌマーンが望む通り「世界のため」、あるいは「人類のため」だと
なんにせよ、黒井は行動の意義についてハヌマーンに理解されようなどとは微塵も思っていなかった。
そんなことを考えていると、やがて高度が徐々に下がり始める。センチメンタルな空の旅も終わりが近いのかもしれない。
「そろそろ着くぞ」
それを証明するかのように、ハヌマーンが告げた。
「人間について教えてくれたお礼に、一つ忠告しておいてやろう。これからオマエが戦う魔王といつ存在は、これまで倒してきた魔物の比ではない。なぜなら、奴の存在には、ワタシたちがかつて戦った敵に対する認識が混在しているからだ」
「認識?」
「そうだ。まだ超越者同士が戦いを繰り広げていた時の認識。つまり、オマエはこれから、超越者同士の戦いを変異体の身で経験しなければならない。例えるのなら、蟻が象に挑むようなもの」
「はあ……そうですか」
その忠告を、興味なさげに流す黒井。その態度にハヌマーンはついに笑いだしてしまう。
「気にもしないのだな」
「やることは何も変わらないからな。それに勝算もある」
「勝算……?」
ハヌマーンの疑問に黒井は頷く。
「魔王っていうのは、誰も勝つことができないから魔王なんだろ? だからゲームには大抵、魔王を倒すための活路が用意されてる。それは魔王を倒す聖剣だったり、弱体化するための装置だったり、大ダメージを入れられる弱点だったり」
「ふむ。奴には魔法の類が効かぬゆえ、物理戦闘のみで戦わなければならぬ。弱点はないように思うが」
それを聞いて黒井は
「なんだ。そこは元のゲームと同じなんだな」
そんな黒井の言動にハヌマーンは顔をしかめながらも何も言わない。
やがて、目下には島が見えてきた。その島の中央には、ゲームでよくありがちなお城があり、城の屋上部につくられた広い場所には、三メートルはあろうかという人の姿をした者が仁王立ちをしている。その者は、片手に白い刀身をした剣を握っていた。
事前に調べていた特徴と一致する。あれが魔王なのだろうと確信する黒井。そして、彼は魔王についての情報も思い出していた。
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【魔王:羅刹】
羅刹は鬼であるため、かつてその額には角を生やしていた。角は繊細に魔力を感知するセンサーであり、その角により彼は大魔法使いとなる稀有な才能を有していた。しかし、鋭敏すぎたそのセンサーは彼の心身に多大なるダメージを負わせ、精神を狂わせた要因となってしまう。やがて、精神を狂わせた彼は自身の角を掴むと、二度と生えてこないよう強引に角を引き抜いてしまう。羅刹に魔法が効くことはない。なぜなら、角を引き抜いた際、魔法を感知する脳の部位までもを失ってしまったからだ……。
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それは、魔王の過去について記載されていた設定資料。ハヌマーンが説明したとおり、『魔法が効かない敵』を登場させるための謂わば
やがて、黒井がお城に降り立つと、ちょうどガルダも到着したようで、傍にユジュンが降りてくる。
「健闘を祈る」
ガルダがそう言い残して城から離れ、ハヌマーンもその後を追った。
残されたのは黒井とユジュンの二人。
「おじさんは、魔王の倒し方は知ってるよね?」
ユジュンが確認するように言いナイフを構えた。魔法が効かないという情報は彼も知っているらしい。それに黒井は頷いた。
やがて、
「――なるほど。お前たちが我が配下であった猿王を倒し」
「スキップ」
喋りだした魔王の前口上を黒井はスキップ。
直後、魔王が姿を消した。
いや、それはただの移動だった。しかし、あまりにも速すぎて見えなかっただけ。そんな魔王が現れたのは黒井の背後。
そして、魔王の握る剣は――黒井の背中から腹にかけて貫いていた。
「え?」
突然のことに、ユジュンが声を漏らす。黒井は貫かれた刃を見ながら、喉から込み上がってきた血を堪えきれずに口から吐いた。
魔王はそのまま剣を払うと、遠心力によって黒井の身体が剣から離れ、足場のない城の外へと放られる。そして、黒井はそのまま城外へと落ちていった。
「それは……冗談きつくない?」
目の前で起きたことに引きつった笑みを浮かべるユジュン。
彼は黒井の強さをある程度知っていた。だから、そんな彼が一撃で負けるなどとは思ってもみなかった。
やがて、黒井を貫いた刃はユジュンへと向かい、それはナイフによってなんとか受け止められる。
「くっ……!?」
しかし、受け止められたのは一瞬であり、ユジュンはすぐに後ろへと退いた。止めきれなかった刃の覇気は、退いたはずのユジュンにまで届き、ダメージはなくとも背筋を凍てつかせる。
「これは……ちょっとまずい、かな」
ハヌマーンの忠告通り、魔王の強さはこれまでの魔物とは一線を画していた。
黒井とユジュンがその強さを直に看破できなかったのは、魔王から一切の魔力が漏れていなかったため。
魔法が効かないのは、魔法やスキルによるものではない。魔王自身が魔法という概念自体を捨てたために効かなくなっただけの話。だからこそ、魔王からは魔力の欠片も漏れてはいなかった。
そして、魔法が使えなくとも……いや、魔法が使えなくなったからこそ、魔王は突出した物理戦闘能力を有することになる。
その現実を、ユジュンは今更になって思い知らされる。
彼の本能は、逃げろと警笛を発していた。
それは、生態ピラミッドの頂点に君臨する捕食者と出会したかのような感覚。ユジュンの身体は否応もない悪寒に襲われ、額からは汗が流れる。
何故かは分からなかったが、ユジュンは魔王に勝つイメージを抱けなかった。
魔王が、絶対者であるかのような雰囲気を纏っていたからだ。
「なんだよこれ……こんなのはまるで、象と蟻みたいじゃないか……」
無意識にこぼれた言葉は、現実味のない絶望によって支配されていた。
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