第77話

 本来のストーリーを踏襲するのならば、黒井はハヌマーンと共に山を縄張りにする大猿を倒し、奴らが占有していた薬草を入手しなければならない。しかし、彼が変異体であったことが起因し、そのストーリーは大きく崩れ、今やクエストの難易度自体も跳ね上がってしまっていた。


 アビスゲートは、ゲートを攻略し、クリアポイントによってランキング入りした探索者しか入ることのできないまさに深淵。


 高ランクの探索者ですら簡単に帰らぬ人となるその空間で黒井は現在――大猿の脳天を岩壁へと打ち付けていた。



――神の山のボスである猿王を倒しました。

――犠牲者を出すことなくミッションをクリアしました。

――称号【英雄】を獲得しました。

――クエストクリア時の報酬がアップしました。



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【ミッション】魔王討伐。


 あなたは神の山を魔物から解放することに成功しました。神の山には人が入山できるようになり、共に戦ったハヌマーンはあなたの強さに感銘を受けています。倒した猿王は、この世界を支配する魔王の配下でした。配下が倒されたことに魔王が怒り、人間への本格的な侵攻を始めようとしています。


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――レベルが上がるほどの経験値を得ました。

――借り入れている経験値を返済します。

――自我への侵食が70%に到達しました。



「他の奴より強いと思ったら……コイツがボスだったのか」


 黒井は、顔もわからなくなるほどに潰れた猿王の頭をその場に投げ捨てて呟いた。


「おじさんのほうが、よほどボスみたいだけど……」


 そんな黒井の所業を、ユジュンは顔をしかめながら遠巻きに眺めている。テキストには『ハヌマーンが感銘を受けています』とあったものの、共に戦ったのはハヌマーンではなくユジュンだったうえに、彼の表情は明らかに感銘とは真逆の感情を滲ませていた。


 それもそのはず。今の黒井は魔物の返り血を全身に浴びており、素手で戦ったせいか黒井の後ろにある死体はすべて筋力で強引にねじ伏せた酸鼻さんびなものばかり。ユジュンではない他の誰が見ても、今の黒井を英雄とする者はいないだろう。


 逆に、ユジュンが倒した魔物の死体は原型をとどめた綺麗なものばかりだった。戦闘においても近接攻撃と魔法攻撃とを器用に使い分けており、たった一人でダンジョン攻略できるというのも納得できる多彩な能力を持ち合わせている。しかも、彼の着る服には魔物の血一滴すら付いていない。彼を見てから黒井を見れば、英雄どころか野蛮人とすら思われても仕方がないほどに対照的だった。


「――予想はしていたが、まさかこんなにも早くクリアするとは……」


 そんなとき、上空からそんな声が聞こえた。見上げれば、巨大な鷲が舞い降りてくる。無論、その正体はガルダであり、声の主はガルダの背に乗っているハヌマーン。


 彼らは黒井とユジュンの前に降り立つと、やはり、感銘とは程遠い呆れたような表情を向けてきた。


「この空間内で得られる称号は、次の段階に移る鍵としての役割を果たすが……〝英雄〟などという名称にしたのは失敗だったかもしれない」


 ガルダがため息混じりにそんな愚痴を吐く。


 どうやら、称号である【英雄】や、ラハルを倒した際に獲得した【超新星】なんかは、アビスゲートに入るための資格【深淵への挑戦者】と同じ役割を持っていたらしい。


「それよりも、はやく魔王のところに連れて行ってくれないか?」


 そして、黒井はそんな彼らに動じることなく次のミッションを催促する。ここまででかなりの経験値を返済しているとはいえ、それでも彼には時間があまり残されていなかったからだ。


「……いいだろう、私の背に乗るがいい」


 それにガルダが答え、黒井とユジュンはガルダへと歩み寄っていく。


「待って……おじさんとは乗りたくないんだけど」


 しかし、ユジュンがあからさまな拒絶を示してきた。


「なんでだよ……」

「なんでって、今のおじさん汚れてるし……一緒に乗ったら何されるか分からないし……」


 ユジュンが言った理由の前半は納得できた。しかし、後半がよく分からない。一緒に乗ってる間に、攻撃してくるとでも思っているのだろうか。


「俺は何もしないぞ」

「信用できないよ……他人を変態的な格好にして従えてるような人なんて」


 その言葉で、ユジュンが烏帽子三人衆のことを言っているのだと黒井は気づく。


「いや、あれはあいつらが勝手に!」

「うん、そうだよね……あの人たち、なんだか嬉しそうだったからね。その喜びを、おじさんが教えてあげたんだよね。……ごめん、僕は新しい世界・・・・・なんて知る気はないからさ」


 ユジュンはそう言い、苦笑いしながらガルダへと飛び乗る。気づけば、ガルダが憐れみの視線を黒井に送っていた。


「……」


 そんな黒井の視線に気づいたガルダは、咳払いをしながら顔をそらす。


「私に乗るのは元よりこの人間だ……お前はハヌマーンに連れて行ってもらうがいい……」


 そう言い残し、ガルダは逃げるように空へと舞い上がった。まぁ、ガルダのルートを選んだのはユジュンであるため、納得いかない理由を除けば正しい選択ではある。


 黒井は多少の不満を持ちつつも、浅く息を吐いて気持ちを切り替えると、ハヌマーンの方へと振り返る。


 ハヌマーンは、自身の腕を掻き抱くようにしながら、黒井に対して不信感を募らせた表情を向けていた。


「……いや、あんたもかよ」

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