第76話

 流石に見せすぎただろうか。


 そんなことを思いながら、黒井は驚きで目を見開くユジュンを見つめた。しかも、彼には鬼門だけじゃなく角を生やした姿まで見られてしまっている。現時点で、人間ではないと確信していてもおかしくはなかった。


 しかし、黒井に焦りはない。むしろ、心は落ち着いていた。もしも彼が黒井に対し、敵対するような行動を取れば――戦えばいいだけの話だったからだ。


 飛雷神の効果が切れた今、ランクSの探索者相手に勝てる自信があるわけではなかったものの、自我への侵食を受けている黒井にとってはどちらも同じ。誰かを倒して経験値を得るより他に方法はなく、それが魔王かランクS探索者かの違いだけ。


 まぁ、できれば人間とは戦いたくない、というのが黒井の本音ではあるのだが、戦いになっても仕方ないとも思ってしまう。


 もし、黒井が彼の立場であったなら、素直に怖いと感じてしまうからだ。


 ユジュンは、しばらく何も言わずに黒井を見ていた。


 が、やがて。


「……まぁ、今回は何も見なかったことにするよ」


 そう言って、黒井が予期していた質問や展開を呆気なく裏切った。


「いいのか……?」


 その言葉を完全に信用したわけじゃなく、騙し討ちを警戒しながらの確認。それにユジュンは頷いた。


「ここにはクリアポイント稼ぎで寄り道しただけだから。おじさんみたいに経験値や新たな能力を得るためにきたわけじゃない。……まぁ、ここでおじさんを殺しておくのも、最終的な目標には繋がりそうなんだけどね」


 彼はそう説明した最後、不穏なことを付け加えて笑った。


「最終的な目標?」

「クリアポイント稼ぎをしてるのは僕だけじゃない。今、韓国国内にいるランカーたちは、ランキング上位を維持することを国から義務付けられているんだよ。だから、今後上位に来そうな探索者を排除しておくことも結果に繋がる」

「なるほど……。それで国外のダンジョンを回っているのか」


 ユジュンの説明に黒井は納得する。韓国は日本同様、高ランクのゲートが出現しない比較的平和な国だったからだ。


「おじさんのおかげで、ここでもそれなりのクリアポイントが貰えそうだし、それでチャラってことにしておくよ」

「俺はランキングに興味はないし、国がそういったことを探索者に強いてるわけでもない。見逃してもらえるのは助かる」


 そう言って、黒井はようやく警戒を緩めた。


「まぁ、別に強いられてるからクリアポイントを稼いでるわけじゃないんだけどね? 僕らが周囲の大国に囲まれながら勝ち残っていくにはそれしか手段がないだけだよ。実力を持たない者は奪われるしかない。攻勢に転じれない者は何者も守れない。結果を出せない者は生きていても意味がない。だから、やるだけのこと」


 ユジュンは、まるで当たり前のことみたく自分の死を発言のなかにチラつかせる。それはつまり、戦うのなら決死の覚悟でやるという意図を含めているのだろう。浮かべた笑みによって細くなった目の奥には、未だ緩まることのない敵意がある気がした。


「それに……アビスゲートが何のために存在してるのかもおおよそ知ることができたしね」


 その視線は今度、ぐるりと振り返ってハヌマーンとガルダへと向けられた。


「我々の意図を、人間であるオマエごときが読み取ったと?」


 それにハヌマーンも鋭い視線を返した。封印から解かれてから落ち着いているものの、彼もまた戦意を失ったわけではなさそうだった。


「不思議だっただけだよ。このアビスゲート……出現した当時は、誰もクリアできない無理ゲーだったみたいだし」


 その言葉に、ガルダの眉が一瞬ピクリと動いた。


「でも、ある時から、それなりの強さがあればクリアすることが不可能じゃなくなった。もちろん、それでも毎年たくさんの探索者が行方不明になってるけど、出現当時に比べたらクリアしてる探索者の数は多い」


「……何が言いたい?」


 口を開いたのはガルダだった。


「難易度が設定できたんだな、って。しかも、最高難易度にできたってことは、今までは低く設定してたってことでしょ? 人間を滅ぼそうとする敵なら、わざわざそんなことしないよね」


 ユジュンは、ガルダの質問に対して明確な答えを言ったわけじゃなかった。しかし、それはもはや明言しているも同然ではあった。


 ガルダは視線を伏せてため息を吐き、ハヌマーンは渋い表情でユジュンを見つめるだけ。その反応を表現するのなら、図星といったところだろう。


 黒井はその事実を初めて知ったものの、言われてみればユジュンの理屈には筋が通っている気がした。


「……オマエがどう考えようと勝手だが、これだけは言っておこう。我々はオマエたち人間の味方ではない」


 それでも、ハヌマーンはそう言って終わらせる。ユジュンはそれを否定せず、それ以上追及することもなかった。


「魔王がいる島へ送り届けるのは我らの役目ではある。この山の頂で、薬草を採取したときにまた会おう」


 やがて、ガルダがそう言って翼を羽ばたかせた。ハヌマーンは、身軽に跳んでその背に乗る。


「……ただし、魔王もこの地にいる魔物の強さもこれまでの比ではない。油断すれば、これまでここにきた人間たちと同じ運命を辿ることになるだろう。そうなったとしても我らが助力することはない。ゆめゆめ忘れぬことだ」


 ガルダは最後にそう付け加えて空へと一気に上昇する。その姿は小さくなり、すぐに見えなくなった。

 

 黒井は、先程のやり取りからふと想像した。


 もしかしたら……彼らは諦めていたのかもしれない、と。


 ハヌマーンは、黒井に対して突き放すような態度を取った。そこには「変異体だから」という理由が述べられていたものの、それ以上に排他的な意図があるように思えた。


 彼らは、どれだけアビスゲートに人間が入ってきてもクリアできない事に、いつしか失望していたのかもしれない。


 だから、彼らは自分たちが待つ人間だけに希望を絞った。そうすることで、他の人間に対して期待しないようにした。


 期待しなければ失望することもなかったから――。


 とはいえ、そんなのは黒井の憶測にすぎない。


 そして、彼らが残した言葉通り、油断すれば簡単に死んでしまうかもしれない。


 なぜなら――。


「グオオォォォ!!」


 彼らがいなくなると、まるで待ち構えていたかのように、強大な魔力を纏ったアサルトベアが姿をみせたからだ。しかも、その数は一体だけじゃなく、どこにいたのか木々の間から次々と増えていく。


「薬草って……僕はとっくの昔に、ナーガを倒して終えてるんだけど」


 その光景に、ユジュンは呆れたような顔をして肩をすくめた。


「無理に戦う必要はない。倒す数が減ったら、経験値もすくなくなるからな」


 黒井は、そんなユジュンを守るように彼の前に立つ。しかし、彼は黒井の横をゆっくりと追い抜いた。


「知ってた? クリアポイントには、ダンジョン内で倒した敵の数も影響してくるんだよ」


 そう言って、彼は手のひらの上に炎の玉を出現させる。


「――業火ヘルフレイム


 次の瞬間、その炎は大きく膨れ上がり、息苦しいほどの熱を周囲に発しながらユジュンの手の動きに合わせて木々を燃やした。


 目の前は、あっという間に火の海と化す。


「……範囲攻撃じゃ火力が足りないのか」


 しかし、それに倒れるアサルトベアはいなかった。そして、敵を認識した一体のアサルトベアが、ユジュンへと襲いかかってきた。


「……横着せず、一体ずつ倒すしかないな」


 そのアサルトベアを殴りつける黒井。瞬間、アサルトベアの体は倍に膨れ上がると、破裂して血と肉の破片を飛び散らせて絶命。



――レベルが上がるほどの経験値を得ました。

――借り入れている経験値を返済します。

――自我への侵食を多少食い止めました。



「そうみたいだね」


 ユジュンは、ため息を吐いてナイフを構えると、追加で襲いかかってきた別のアサルトベアの眉間に刃を突き立てる。刃を突き立てられたアサルトベアは勢いをなくし、すぐに動かなくなった。


 数が多くなる敵に対して、一対一で戦わなければならないというのは、誰が見ても不利にしか思えない。


 にも関わらず、黒井もユジュンもそんな素振りなど見せず、むしろ面倒くさそうに見えるような余裕を漂わせている。


 彼らにとって、それらは『ポイント』と『経験値』にしか見えていなかった。


 その証拠に、彼らは次々と現れる魔物を前にしても臆することなく、まるでいつものことのように進み始めた。

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