第75話

 鳥人族であるガルダは、人ひとりを乗せられるほどの巨大な鷲となって空を翔けた。そんなガルダの背に乗るユジュン。彼が向かう先は、本来の目的地である魔王の島ではない。


「どうなっているのだ……」


 不意に、ガルダの飛行が停止して困惑の声。周囲には、翼を羽ばたかせる音だけが聞こえている。


 ガルダは、この空間に起きている異変に予想外だという反応を見せた。


 そして、ユジュンもまた、明らかにおかしな変化をもたらしている光景に険しい表情。


 彼らが見ているのは、まさに混沌を思わせる世界の終わりだった。二つの強大な魔力がぶつかり合い、飽和した魔力は空と大地を震わせ、その境界で起こる摩擦は亀裂のような線を走らせている。


「聞いてた話とは……すこし違うみたいだけど?」


 その光景から視線をそらすことなくガルダへ問いかけたユジュン。彼がガルダから聞いたのは、ハヌマーンが魔素を集めすぎたことによって、この空間が保てなくなるというもの。……確かに、この空間は崩壊に向かっているのかもしれない。しかし、空間を崩壊させている要因はハヌマーンだけではなさそうだった。


「信じられん……まさか、ハヌマーンと互角に渡りあう者がいようとは……」


 ユジュンの質問にガルダは答えず、代わりに愕然とした独り言を呟いた。まぁ、ガルダにも予想外だったであろうことが窺える時点で、答えることができないのだろう。


「あなたは友を助ける手伝いをしてくれと言ったけど、それはつまり……あの戦いに介入しろってことだよね?」

「……ああ、そうだ」

「空間ごと破壊するような戦いにどうやって介入するの?」

「それは……」


 ガルダは未だ驚きの反応を見せたまま言葉を失うだけ。


 やがて、しばらく待っても答えが得られないことに、ユジュンはため息を吐いて自分から口を開く。


「もしも――僕たちがあの戦いに介入するのなら、偶然にも有利な状況下にはある。空と陸なら空のほうが有利だし、近接と遠距離なら遠距離のほうが有利だから」

「遠距離……? お前の戦いは近距離ではないのか?」


 ガルダはチラリとユジュンに視線を向けて疑問の声。その言葉の奥には、ユジュンがナーガとの戦いをナイフ一本で戦った光景がこびりついているようだった。


「僕は魔法も高水準で扱えるんだよ。ナイフを使っていたのは、あれが一番手っ取り早いと思ったからさ」


 そう説明したユジュンは、指の先に青い炎を出現させる。それは、火の魔法を扱う探索者ですら難しいとされている高難易度の魔火だった。


「……キメラ・・・か」


 ガルダの喩えに、ユジュンは眉一つ動かさずに頷く。


「僕の国では、使い物にならなくなった探索者は他の探索者のために細胞を提供するんだ。その細胞のおかげで、僕は一人でもダンジョンをクリアできるたくさんの能力を得た」


 淡々と語る彼は、もう片方の手から水を出現させる。その水は、まるで生き物のように青い炎を包むとジュッという蒸発音をたてて炎を握りつぶした。


「なるほど……お前もまた、哀れな変異体でもあったのか」


 ガルダからの同情の視線に無視を決め込む。そのことについて、彼は何の感情も抱いてはいなかったから。


「それより、戦いに介入するタイミングは、決着がつく頃が一番いいかな。漁夫の利みたいで気に食わないけど」

「そうだな。だが、お前はいいのか?」

「いいって、なにが?」

「ハヌマーンと戦っているのは、お前と共にこの空間へと入ってきた者だろう? タイミングを間違えば、その者を見殺しにすることになる」


 それにユジュンは「あぁ」と納得するような渇いた声を吐いた。


「彼とは入ってくるときに一緒になったってだけで、別に親しいわけじゃない」

「……そうか」


 彼の冷淡な返しに、ガルダはそれ以上何も言わなかった。


 ただ、ユジュンは言葉にこそしなかったものの、見殺しにするのはガルダも同じ・・・・・・だと思っていた。


 なぜなら、目下で行われている戦いは全くの互角であり……いや、むしろ――ハヌマーンと思われる魔力のほうが押されていたから。


 もしもガルダの願いを聞き届けるのなら、ハヌマーンを死なせてはならない。


「面倒だな……」


 ユジュンは小さく呟いて舌打ち。彼が視線をむけているのは、ハヌマーンと対立するもう一つの存在。


「あんなの……どうやって止めろっていうんだ」


 そこには、この空間に入ってきた時とは比べることもできない黒井の姿があった。既にランクSに到達しているユジュンですら、彼が纏う魔力には表情を強張らせてしまう。


 そんな彼を見ていたユジュンは、無意識のうちに口もとを吊り上げていた。



――もし、彼の細胞を採取できれば、自分はもっと強くなれるかもしれない。



 ◆



 空間を走る二つの魔力の痕跡は、まるで緻密に計算された図式を描くかのように遠ざかっては衝突を繰り返す。その度に、周囲の空気は張り詰めて破裂し、激しい戦いの残痕をその場に記録した。


 危うい均衡が織りなす戦闘はもはや、競技や芸術といった言葉として遜色なく、しかし、すべてを破壊し尽くす結果だけをすくい取れば、空虚であるともいえるだろう。


 殺意に満ちた拳同士が交差すると、圧力の狭間にある魔素が擦れて弾けた。それらの破片は互いの身体を掠り、致命傷とは呼べない傷を身体に刻んでいく。


 極論、「ただの殴り合い」とも呼べる古典的なそれは、次元の違う攻防を織りなすことで「――戦闘バトル」とでも詠唱したくなるほどの魔法じみた現象を発生させている。


 その術式に組み込まれる二人は、無論そんなことなど微塵も考えてはおらず、頭にあったのは目の前の敵を殺すことのみ。


 秒間に詰め込まれたその殺意のやり取りは、永遠にも思える時間感覚を両者へと与えた。


 もしかしたら、この戦いは終わらないのかもしれない……そんな考えを過ぎらせてしまうほどの永久機関。


 しかし、この世界に永久機関なんてものは存在しない。始まったものには、いつか終わりがくる。


 そして、それは時に……思いもしない出来事によって、予想していたよりもずっと早くに訪れることがあった。


「――そわか」


 戦いの最中、突如ハヌマーンの顔に人の能面が出現して貼り付いた。


「なッッ!?」


 ハヌマーンは突然視界を奪われたことよりも、そのお面によって力が減少したことに驚く。


 対峙していた黒井も突然の出来事に面食らったものの、すぐに理解した。そのお面は、ノウミの術式によるものだと。


 やがて、黒井自身がかつて回廊で経験したように、他の術式もハヌマーンを襲う。


「――そわか」


 今度は、六枚の四角い板がハヌマーンを囲むように現れると、辺と辺を隙間なく埋めるように箱を組み立てる。ハヌマーンは結果的に箱内へと閉じ込められ、黒井はかつての思い出に苦笑い。これはヒイラギの術式だろう。


「――そわか」


 最後に、三方向から箱めがけて飛んできた三本の鎖が、箱に巻き付いてジャラジャラと施錠された。言わずもがな、ジュウホの術式。


 この空間を崩壊させるほどに激しかった均衡の戦いは、思わぬ者たちの参戦により形成が一気に傾く。黒井は鎖の元を視線で辿るも、彼らは木々に隠れてみえない。


 三人とも、離れた位置から術式を準備していたのだろう。


「やるじゃねぇか」


 黒井は笑みを浮かべながらそう呟き、ハヌマーンが閉じ込められている箱へと視線を戻す。


 彼を閉じ込めるそれらは、あくまでも封印という名の束縛に過ぎず、閉じ込めたからといって倒したわけではない。


 そして、彼を倒せば少なくない経験値が黒井に入るだろう。


「どれくらいの経験値になるかはわからないが……」


 拳に渾身の魔力を込めると、箱に向かって構えた黒井。


「これで返済の足しにはなるだろう」


 その拳を放とうとし、


「――光の槍ライトスピア


 不意に、攻撃を遮断するかのように差し込まれた光芒こうぼうに、寸でで気づいて距離を取った。


 攻撃を邪魔されたことに黒井は舌打ち。光の槍が飛んできた方向を仰ぎ見れば、邪魔をした者が空から降りてくる最中。


 その者は、巨大な鷲の背に乗っていた。


「あー……、説得できるのか知らないけどさ、取り敢えず話だけでも聞いてくれないかな? おじさん」


 それは、ガルダのルートへ進んだはずのユジュンだった。そして、ユジュンがここにいるということは、一緒に降りてきた鷲がガルダなのだろうと容易に想像がつく。


 ハヌマーンとガルダのストーリーが交差することはない。つまり、ユジュンは黒井に会うため、わざわざここまで来たのだろう。


 戦闘を邪魔してまでも。


 その意図に黒井は首を傾げる。それでも、とりあえず彼の言葉に耳を傾けようとした黒井は、ふと、とあることを考えてしまった。


――ハヌマーンだけじゃなくガルダ……そして、ランクSのイ・ユジュンまでもを倒したら、一体どれくらいの経験値になるのだろう、と。


 ユジュンは、わりかし物腰柔らかな言葉を黒井へとかけたものの、その視線にはどこか獲物を視るような好戦的な私欲が籠もっている気がした。


 そして、黒井もまた、彼を獲物として捉える私欲を隠せずにいる。


 彼らは互いに、殺し合いも厭わぬ雰囲気をだしていた。


 傍にいたガルダはその気配にいち早く気づき、急いで口を開こうとしたものの、


「話ってなんだよ?」


 黒井がユジュンの言葉に応じたことで、ひとまずは場が収まる。


 ガルダは思わず胸をなでおろした。


「実は、おじさんが倒そうとしてるコイツがいなくなると、この空間が消滅するらしいんだ」


 ユジュンは、ハヌマーンが捕らえられている箱をコンコンとノックしながらそう言った。それは簡単な説明ではあったものの、黒井はふむと納得。アビスゲートを創ったのがハヌマーンなら、彼を倒してしまうと空間が消滅するという理屈は当然だろうと理解できたからだ。


「俺は経験値が欲しいだけだからな。この空間がどうなろうと知ったことじゃない」


 それでも譲る気はなかった。


「……正気?」

「あぁ」


 空間が消滅すると聞いても黒井がそう答えられるのは、回廊と繋げることのできる鬼門があったからだった。いざとなれば、それで脱出すればいいだけの話。


「さすがに正気とは思えないかな? 今のおじさんの姿……人間かどうかも怪しいし……」


 ユジュンはナイフを取り出しながらそう言った。


「お前こそ、人間じゃない奴の言葉なんかを簡単に信用したのか? 空間が消滅するなんていうのは嘘かもしれないだろ?」


 それに黒井は拳を構えて応じる。


「嘘を吐く理由がないからね。おじさんはもっと他人を信用したほうがいいんじゃない?」

「若いな。俺は他人を信用してないんじゃなく、信じられるのは自分だけだと知ってるだけだ」


 二人の好戦的な態度は、今にも一触即発の雰囲気を膨らませる。


 戦闘が起きるのは時間の問題かに思えた。


 しかし――、


「ま、待ってくれ! 戦うのはやめて欲しい!!」


 ガルダが戦々恐々とした表情で二人の間に割って入る。


「私はこれ以上、この空間が崩壊することを望んでいない! できることがあるのならば何でもする!」


 そんなガルダの言葉に、黒井とユジュンはぴくりと反応。


「「なんでも……?」」


 その食いつきを好機と捉えたガルダは、大きく頷いてみせる。


「この空間を創ったのはハヌマーンだが、この世界の設定に関わったのは私だ! お前たちがこの空間にやってきた目的を叶えられる可能性が私にはある!」


 自信満々に翼を胸に充てたガルダ。そんなガルダに二人は、


「できるだけ多くの経験値がほしい」

「できるだけ多くのクリアポイントが欲しい」


 それぞれの目的を即答。


「いいだろう!!」


 その瞬間、黒井の前に聞き慣れた天の声が響いた。



――現在進行中であるクエストが最高難易度にまで引き上げられました。

――クエストクリア時の報酬が大幅にアップしました。



「これが私にできる最大だ! クリアしたときのポイントは通常よりも多い! 出会す敵は通常の魔王と同じくらいの強さだが、お前たちならば倒せるだろう! これでかなりの経験値が入るはずだ!」


 まくしたてるようにガルダはそう言う。


 黒井はすぐに頭の中で、ハヌマーンやガルダを倒したときの経験値と、ガルダが用意したクエストクリア時点での経験値を天秤にかける。


 無論、どちらのデータもない以上、その二つは測れることではなかったものの、ガルダの対応にはそれなりの満足感があった。


 ……そもそも、黒井がハヌマーンに喧嘩を売ったのは、彼が「変異体には関わらない」と黒井を突き放したからだった。つまり、倒して経験値にするより他に利用価値がないと判断したため。


 その点、ガルダは黒井の要望を叶える努力をしてくれた。たとえそれが……脅迫まがいの理由であったにせよ。


「なるほど……ガルダが選ばれたのはこのためか……」


 ユジュンはそんなことを呟きながらナイフをしまう。黒井もまた、それなりの経験値が確保できる以上、戦う必要性はないと判断して拳を下げた。


 そんな二人に、ガルダは安堵の息。


「分かってくれたなら、ハヌマーンを解放してくれ。彼については私が説得する」


 それに黒井は頷くと、封印術を発動しているはずの三人に角を通して呼びかける。


「ノウミ、ジュウホ、ヒイラギ……封印は解いていいぞ」


 彼らからの応答はすぐにあった。


 そして、黒井の元へと烏帽子三人衆が駆けつける。


「「「主君!!」」」


 しかし、駆けつけたのは鬼ではなく、人の姿をした男たち。


「え……?」


 しかも、その格好は烏帽子とお面を付けている以外は全裸という出で立ちをしていた。


「は……?」


 そんな彼らに、黒井は思考停止して言葉を失う。


「君たちは……一体……」


 近くにいたユジュンもまた、そんな彼らに面食らっていた。


「む? 我らは主君に仕える配下でござりまするが?」


 そんなユジュンに対し、ノウミが仁王立ちで自己紹介。他の二人も「文句があるのか?」と言わんばかりの態度で腕組みをしている。


「配下……」


 ユジュンはそう呟くと、彼らが「主君」と呼ぶ者へと視線を向け、再び視線を烏帽子お面全裸三人衆へと戻し、もう一度視線を主君へと移動させる。


 やがて、ユジュンは全てを理解したとでも言うように、引きつった笑みを浮かべたのだ。


「えっと……人の幸せってそれぞれだよね……」


 黒井は思わず手で顔を覆う。おそらくユジュンは……なにか良くない勘違いをしている気がした。


「なんだぁ? 貴様、主君を愚弄する気か? 主君は我々に新しい世界を教えてくれたのでござるぞ?」

「新しい……世界……」


 ジュウホがお面越しにガン飛ばしながらユジュンへと突っかかった。


「そうです。私たちは主君によって身も心も支配された瞬間から、新たな喜びを知れたのです」

「新たな……喜び……」


 それにヒイラギも、身体を震わせて興奮を表現しながら加勢する。


 彼らの言っていることは、おそらく鬼となり黒井の軍門に降った過程なのだろうが、それをユジュンに説明することはできない。なぜなら、それを話せば黒井が鬼であることまで話さなければならなかったからだ。


「お前ら、取り敢えず封印解いて帰ってくれ……」


 そう言って黒井は鬼門を開いた。鳥帽子三人衆は名残惜しそうにしていたものの、言われた通りハヌマーンの封印を解くと、順番に鬼門を通っていく。


「主君。またいつでも都合良く我らを呼び出して欲しいでござりまする!」

「主君。私たちはもう主君なしでは生きてはいけぬ身体になっています。どうか健康にはお気をつけください」


 ノウミとヒイラギは、最後まで余計な事を言って帰っていった。


「主君! 此度の件で拙者……主君からのご褒美が欲しいでござ、アッーー!」


 そして、ジュウホまでもが余計なことを言おうとしたため、黒井は無理やり鬼門へと彼を蹴飛ばす。


 ちょうどその時だった。



――スキル【飛来神】が強制的に解除されました。

――全能力が下がりました。

――クールタイムに入ります。5:59:59

――スキル【霊験投影:雷紋】が解除されました。

――自我への侵食50%を達成しました。



 そんな天の声と同時に、伸びていた黒井の髪がもとに戻った。さらには、額から生えていた黒い角が消え、そこから張り巡らされていた紋様までもが消える。


 ただ、変色した白髪だけはそのまま。


 どうやら、スキル【飛雷神】には時間制限があったらしい。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【飛雷神】

 一時的に神の力を顕現し、全能力値を飛躍的に上げる。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 確認すると、やはりテキストには不親切な簡素な文だけが載っていた。クールタイムが記載されてないのは流石に詐欺だろ……とは思いつつも、もはや慣れてしまった黒井は、ため息一つでその事実を受け止める。


 それに、今の黒井は自我への侵食を受けていた。


 そんなことに時間を費やしている暇などない。


 だから、新たに取得した能力のことは一旦頭の隅に置いて、黒井はハヌマーンたちへと向き直る。


「空間魔法……」


 そこには、驚いた表情で黒井を見つめるユジュンの姿があった。

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