第69話 

――レベルが1あがりました。能力値が上昇します。


 レベリングは順調に進んでいた。鬼たちが報告してくる魔物の強さはどれもランクA並みの強さを持っていたが、黒井の敵ではなかった。


 やがて、山の麓へと到達した黒井は、このアビスゲートに来たときに感じた既視感の正体について気づく。


「似てるな……」


 それは、かつて時藤茜とともに参加したランクBのゲート、山岳地帯をステージとしたダンジョンに景色が酷似していることに……。


 もしかしたら、環境が同じだからそう感じるだけかもしれない。しかし、出現する魔物の種類や生えている木々がほぼ同じであることから、黒井は何らかの繋がりはあるのだろうと推測する。いや、どちらもアビスではあるのだから似ていてもおかしくはないし、むしろそちらのほうが自然なのかもしれないが。


 そして、その考えを強めたのは、大猿の魔物が現れたときだった。むろん、その強さはランクBで出会した個体よりもずっと強い。


 そんな大猿を前にして、黒井は無防備にも立ち尽くす。


「キィエエエエエッッ!!」


 大猿は躊躇いもなく黒井へと向かってきた。その息遣いや殺気が肌で感じられるほどに大猿はすでに間近。それでも、黒井は微動だにしない。


 黒井は知っていたからだ。最初に出会す大猿の魔物は、ストーリーを進めるためのNPCに過ぎないことを。


「――ヤァッッ!」


 それを証明するが如く、黒井と大猿との間に、筋骨隆々の肉体が割り込んでくる。その肉体は自身よりも遥かに巨大な大猿の突進を止め、力づくでいなした。大猿は自身のコントロールを失い近くの巨木へと衝突。そのままフラフラと立ち上がると、再び襲ってくる様子を見せたものの、


「ヤメロ」


 地を這うような低い声に恐れをなしたのか、ジリジリと後退したあとで森の中に逃げ去ってしまう。


 そんな一連の流れを、黒井はただ眺めていた。


 やがて、大猿を退散させた者が黒井へと振り向く。


 その者は、サリーというシルクでできた衣装を身体に巻きつけるように纏い、首や腕には黄金でできた装飾品を身に付けている。顔は想像していたよりも人間であり、「猿族」というよりは「戦士」のほうが印象強い。ただ――お尻から地面に垂れる尻尾だけが、彼が普通の人ではないことを主張していた。


「この山は危険だ。オマエ、何しに来た?」


 彼の名はハヌマーン。魔王がいる島へと向かうために必要なNPCである。


 そして、ここからの流れが既に頭に入ってる黒井にとっては彼との会話もまた無駄なことの一つ。


「スキップ」


 だから、スキップ機能を使ったのだが、


「残念だが、会話を省略することはできない。特に……オマエのような変異体には」


 ハヌマーンは、そう言って首を横に振ったのだった。


「なんだと……」


 予想外の返答に黒井は驚くしかない。そして、ハヌマーンは毅然とした態度で言葉を続けた。


「もう一度問う。ここへは何をしに来た? オマエは、わたしが力を授けた者ではない」


 黒井はしばらく言葉を失ったままだった。当たり前だ。彼の口から出てきた言葉の意味を、黒井は理解できないのだから。


 それでも、何をしにきたのかくらいは答えられる。


「レベルを上げにきたんだ……」

「修行か。ならば、私が関わる必要はないだろう。薬草を取れば、再びオマエを島へと運ぶために現れよう」


 そう言ってハヌマーンは背中を向けた。


「待ってくれ。アンタは……NPCじゃないのか?」

「エヌピーシー? なんだ、それは」

「NPCっていうのは、ストーリーを進める役者みたいなものだ」

「役者……たしかに、ここにはそういった存在がいる。私もまた、その役割を担う一人に過ぎない」

「そうだ。アンタの役割は俺を島へと運ぶこと……そして、これから薬草を取りに行く戦いで、俺と一緒に戦う役割もあるはずだ」


 これから先の展開はハヌマーンと共にあった。薬草が生える山の頂きは、さきほど出会した大猿たちの縄張り。そして、そんな大猿たちに立ち向かう仲間こそがハヌマーンだった。


「オマエが変異体じゃなければそうしただろう。しかし、オマエは既に別の超越者によって変異している。私が関わっていい存在ではない」


 淡々と吐かれる説明に黒井は眉を潜めた。


「別の超越者だと? 俺は誰かに変異させられた覚えなんてない」


 そして、今度はハヌマーンが顔をしかめてみせた。


「ふむ……どうやら、オマエを変異させた者は何の説明もしていないようだ」

「誰が俺を変異なんてさせた?」

「それは分からぬ。分かっているのは、オマエが変異体であるということのみだ。そして、それがオマエに与えられた試練であるのなら、私からは何も言う事ができぬ」

「アンタも……超越者とかいう存在なのか?」

「そうだ。そして、ここは私が力を与えた者のために作った空間。オマエは、私の待ち人ではない」


 説明をされればされるほどにわけが分からなくなっていく黒井。それでも何とか頭を整理させ、必要な情報だけを掬い取ろうとする。


「アンタは人類の敵じゃないのか? そのためにこんな空間を作ったんじゃないのか?」

「私たちは世界を守るためにこの空間を作った。人類の敵かと問われればそうでもあり、そうでもない。私たちの目的は世界を守ることであり、人類を守ることではないからだ」


 思ってもみなかった情報量に、黒井の頭はパンクしそうだった。それでも……『アビスゲートからは魔物が出てくることはない』という事実だけが、ハヌマーンの言葉を裏付けている気がする。


 重要なことは、彼が味方でないにしても、敵でもないという点。


「アンタはこの空間を作ったと言ったが、それは嘘だろう? この空間は、アビスというゲームを元にしてつくられているはずだ」

「たしかに、私はこの空間を1からつくったわけではない。敵が使っている次元情報を元にしてつくっただけだ」

「敵っていうのは、魔物のことだろ? アンタはその魔物をこの空間に住まわせているじゃないか」

「敵は魔物ではない。奴らはこの世界の外からやってくる思念体。奴らは世界に顕現し攻撃をしかけてくる。そのやり方が魔物だったというだけのこと」

「じゃあ……魔物は敵じゃないのか?」

「魔物と人間は同じ立場だろうな。オマエたちは、私たち超越者によって世界を戦場とした代理戦争をしているに過ぎない」

「代理戦争……」

「私たちが負ければ、当然オマエたち人間も滅ぶことになり、奴らが負ければ世界は元に戻るだろう」

「俺たちは……アンタたちの戦争のコマなのか?」


 その疑問には、理不尽を押し付けられた事への怒りが滲んでいた。


 それをハヌマーンは鼻で笑う。


「怒っているのか? 元を辿れば、オマエたち人間が私たち私たちを追い出したくせに」

「追い出した……?」

「かつて、敵と戦うのは私たちの役目だった。オマエたち人間はそれに感謝するのみだった。しかし、いつしかオマエたち人間は自分たちで新たな世界をつくり、私たちに反抗した。だから、私たちは次元を二分し人間から離れたのだ」


 世界を二分――。その説明は、かつて横浜ダンジョンで戦ったドラゴンも同じような事を言っていた気がする。そして、ジュウホも「神と人はかつて同じ次元で暮らしていた」と言っていたことを思いだした。


「そんなことを言うのなら、アンタたちは人間を滅ぼそうとは思わなかったのか? 「自分たちから離れた」と言ったが、そんなのは負け犬の遠吠えにしか聞こえない」

「……生意気な変異体め。しかし、オマエが言うことも間違ってはいない。私たちとて敵と同じ思念体に近い。存在するには、別の存在からの認識を必要とする。その手段として、人間からの信仰は最も善い方法だった」

「人間がいないとアンタたちも存在できないのか」

「存在はできるだろう。しかし、ここまで力を持つことはなかったはずだ。これまで数々の敵と戦い世界を保ってきたのは、人間たちの信仰が私たちに集まっていたからなのは認めよう」


 ようやく黒井は、この世界に起きている事を把握できたような気がした。しかし、なぜ自分が変異体などというコマになっているのか……それだけが分からない。


「変異体っていうのは何なんだ? どうやってそれを選ぶ?」

「私がオマエを選んだわけではない。そんなのはオマエを選んだ超越者に聞くがいい」


 その返答に思わず舌打ちをしてしまう黒井。彼は超越者から選ばれた記憶も、選んだ超越者というのがどこにいるのかも分からなかったからだ。


「私がオマエに話せるのはここまでだろう。何度も言うが、オマエは私の待ち人ではない。修行をしにきたのならば勝手にするがいい。ただし、私はオマエに極力関与しない」


 ハヌマーンはそう言い再び背を向けた。黒井は、そんな彼の前方へと瞬時に回り込む。


 そして、スキル【殺気】を発動させた。


「……なんのマネだ?」


 ハヌマーンはそれに動揺することなく、むしろ黒井を押し潰すような圧迫を放ってきた。その瞳は怒気によって見開いている。


「言っただろ。俺はレベル上げをしにきたって。アンタを倒せば、レベルをかなり上げられるんじゃないか?」


 しかし、黒井もまた臆することなくハヌマーンを見返した。


「愚かな……。変異体が私に勝てると思っているのか? それに、仮にオマエが私を殺してしまえば、敵へと立ち向かう変異体を一人失うことになるのだぞ?」

「アンタが待ってる奴のことか? そいつもたぶん、変異体になることなんか望んじゃいないと思うぞ」

「……なぜ、そう言い切れる?」


 根拠も確信もなかったが、黒井はその質問に自信をもって答える。


「人間は、人間以外をそう簡単に受け入れちゃくれない。かつての人間が、アンタたちを追い出したようにな」


 その返しに、ハヌマーンの怒気は一瞬和らいだ。


「なるほど……オマエも存在するのに必死というわけか」

「ああ、だから――」


 黒井はさらなる殺気を放ってハヌマーンを見据えた。手から放電されるビリビリとした閃光が空間内を張りめぐる。それは、ハヌマーンの威圧とぶつかって二人の間でパチパチと火花を散らして砕けた。


「――アンタの経験値をくれよ」


 瞬間、黒井は今だせる全力でハヌマーンへと向かった。

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