第68話

 黒井には、明確に理解したことが一つあった。


 それは、〝ここはゲームの世界であり、ラハルはただのNPCだった〟ということ。彼は人ではない。なぜなら、倒したときのポイント加算がなかったからだ。あったのはストーリー変更のみ。つまり、アビスゲート内での人間たちはストーリーを構成する役割でしかない。


 それを理解した黒井は、手首に縄をかけられて王の御前に連れて行かれたころで臆することは何もなかった。


 むしろ、


「――貴様が……ラハルを殺した罪人」

「スキップ」


 スキップ機能を使うことに躊躇いがなくなっていた。


 王は姫を攫われたショックなのか、見るからに衰弱していた。しかし、それもまたストーリーを形づくる設定に過ぎないのだろう。この先の展開が分かっている黒井には、彼の話を聞く時間は無駄に思えた。


 やがて、会話らしき会話もないまま、黒井は兵士たちによって街の外に追い出されてしまう。街にいたNPCたちからも侮蔑の視線を浴びせられ、屈辱的な扱いを受けた。しかし、彼らが人でないと理解してしまえば感じることなど何もなく、このまま街を破壊してしまえばどうなるのだろうか? などと狂気的な好奇心をくすぐられたくらい。


「ここは、俺が守りたいと思える世界じゃないな」


 最初からレベルアップが目的ではあったものの、たとえゲームの中といえど世界を救うというのは憧れるもの。しかし、このストーリーには誰かを守りたいと思わせる要素がない気がした。


「もしもこのゲームが世に出回っていたら、売れていたんだろうか?」


 そんな疑問すら浮かんでしまう。とはいえ、それを考えたところで今さら意味はない。


 今の黒井は、ゲームを楽しむことが目的ではなかったから。


 やがて、黒井は薬草があるとされる山へと向かうことにする。その場所は分からなかったものの、これ見よがしに地平線から突き出てる山が一つあり、そこが次の目的地なのだろうと簡単に推測できた。


 黒井は、アビスゲート内を完全なるゲームとして捉えはじめていた。それは彼のなかで死に対する危機感を薄れさせたが、同時に慎重さすらをも薄れさせていく。


「レベリングするなら、やっぱ数だよな。――鬼門」


 やがて、その結論に至った彼は、街の外で白昼堂々鬼門を開き、三体の鬼の名を呼んだ。その声に招かれ、鬼門から屈強な体躯をもつノウミ、ジュウホ、ヒイラギの鬼が召喚される。今しがた、ここまで黒井を連れてきた兵士たちから悲鳴のようなの声があがった。


「あの山に向かう道中、手分けして周辺の魔物を探せ。見つけたらすぐに報告しろ」


 しかし、そんな兵士たちを無視して、黒井は鬼たちに指示をだす。鬼たちはすぐに頷いて散り散りになった。


 最後、黒井は驚きで動けずにいる兵士たちをチラリと見やる。


「もしも……世界を救い、お姫様を連れ帰るのが人じゃなかったら――お前たちはそれでも英雄と崇めるか?」


 彼らは驚いているからか、それとも設定にはない会話だからか、黒井の問いに答えようとはしなかった。しかし、黒井もまた彼らの答えを聞きたいわけでもなかったため、すぐに視線を向かうべき目的地へと戻す。


 やがて、不意に地面を蹴った黒井は、驚くべき速度で山へと駆けだした。



 ◆



「――キミには、期待をしている」


 アストラルコーポレーションのとある一室で、鷹城塁は向かいに座る壮年の男からそんな言葉をかけられた。


 男が社内のなかで高い地位についていることは身に纏う上等なスーツからも明白で、鷹城は男と初対面だったものの軽い会釈をしてお礼を述べた。


「ただ……セレナ・フォン・アリシアとの一件で、世間の評価はすこし変わってきている。キミが彼女の付き人に負けたことは公表していないが、うちから出ていった時藤茜にスポットライトが当たったことによって相対的な差が生まれてしまった」


「……はい」


 淡々と語られる言葉に、鷹城は拳をつよく握りしめながらも肯定を吐きだすしかない。返答は簡素だったものの、鷹城の態度からは悔しさが滲んでいた。


「横浜ダンジョン攻略は多くの犠牲を払ったが、得たものも大きかった。しかし、それすらも今は皆無に等しい。それどころか、時藤茜が記者会見で放った言葉の信ぴょう性までもが今やネットで議論されている始末だ」


「申し訳ありません……」


 会釈をさらに深くして頭を下げた鷹城に、男は首を左右に振った。


「謝罪することはない。キミに非がないことはよく分かっているからね。社内でもキミに対する不信感を口にする輩がいたが、彼らは私が処理しておいた」


「ありがとうございます……」


 やがて、頭を下げたままの鷹城に男は告げる。


「鷹城くん、キミはこの現状をどうにかしたいと思わないか?」


 その問いに、鷹城はゆっくりと頭を上げた。


「キミは我が社にとって大切な存在だ。キミの活躍はアストラルコーポレーションの評判に直結する。キミの意志さえあれば、再びスポットライトを浴びるチャンスを与えることができるんだがね」


 鷹城はその言葉に目を見開いたものの、了承をするよりも先に得体の知れない不安を抱いた。


「チャンス……といいますと?」


「簡単なことだ。キミが、もう一度ランクの高いダンジョンを攻略すれば良いんだよ」


「ランクの高いダンジョン……」


 鷹城は復唱しながらも、それが簡単に用意できるチャンスではないことを理解している。なぜなら、横浜ダンジョンのように話題になるほどの高ランクダンジョンなど、日本においては滅多に出現しないからだ。


「これは一部の者にしか知らされていないことなんだが……我が社が保有するランクCダンジョンの洞窟内で半年前にとあるモノが発見されてね」


「とある……モノ?」


 鷹城の疑問に、男は頷いた。


「卵だよ」

「たまご……?」

「そうだ。おそらく、高ランク帯の魔物の卵」


 その瞬間、鷹城は男が考えていることを察した。


「協会には……?」

「報告なんかすれば、我が社がそのダンジョンを保有しているはずがないだろう?」

「確かに……。つまり、その卵を孵化させるってことですね?」

「横浜ダンジョンのランクが上がったのは、ドラゴンが目覚めたからだ。ならば、卵を孵化させることができれば同じ現象を起こせると私は思っている」

「卵はどうやって孵化させるんですか?」


 鷹城の質問に、男はしばらく無言だった……が、


「魔物の卵が孵化する条件といえば、だいたい想像がつくんじゃないかね?」


 試すような口調で鷹城に問いかけたのだ。


「魔力……ですか?」


 それに鷹城は半信半疑で答えてみたものの、男はニヤリと笑い、その口の端から正解を述べた。


「血だ」

「……血」

「卵を発見したとき、周りにはまるで卵を守るように魔物がたくさんいたらしい。そいつらを倒すと、卵は魔物の死体ごと吸収したそうだ……。おそらく養分にでもしているのだろう。そして、不運にも死んだ探索隊をも吸収したと聞く」

「じゃあ……」

「魔物でも人でもどちらでもいい。キミにはしばらく、そのダンジョンに派遣するパーティーに加わってもらいたい」

「人でも良いっていうのは……」

「募集をかければ、人生に行き詰まった探索者なんてゴロゴロいるだろう? 彼らだって人の役に立つことを望むはずだ。たとえ――その対価が死であったとしても」


 鷹城は、男が言ってることを完全に理解した。彼は、「探索者を殺してでも卵を孵化させろ」と言っているのだと。


 その考えに言葉を失っていると、


「……首藤零士は使える奴だった。彼を失ったのは私にとっておおきな痛手だ」


 そんなことを、男はまるで独り言のように呟いた。


「そろそろ、彼に代わる人材が欲しいと思っていたところなんだ。探索者を探索者として管理できる……優秀な人材がね」


 その言葉終わりに、男は鷹城を見やる。


「探索者としていくら名声を上げたところで、キミたちに向けられる視線は他の人間に向けられるものとは違う。そのことに、賢いキミなら気づいているはずだ。それでも人の世で生きていくのなら、確固たる地位が必要だとは思わないか?」


 鷹城はすぐには答えなかったものの、思うところはあったのか唇を噛みしめるだけ。


「私ならそれを用意してやれる。首藤があれだけ自由にしていたにも関わらずアストラに居ることができたのは、私のおかげでもあったんだからね」


 やはり、鷹城はすぐには答えなかった。


 しかし、男は彼の口から出てくる返答がどんなものであるのかを既に確信していた。


 やがて、鷹城は覚悟を決めた瞳で男を見る。その表情に男は満足そうに笑みを浮かべる。


「そのダンジョンがあるのは、どこですか……?」

「卵があるのは、東京の中央区にあるダンジョンだよ」


 そう言い、男は最後にとある妄想・・・・・を付け加えたのだ。


「東京のど真ん中で高ランクダンジョンが誕生なんかすれば……さぞ注目が集まるだろうね」

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