第66話

 降り立った地は深い森の中だった。おそらくここが『始まりの森』なのだろうと黒井は推察する。


 そして、先にゲートへと入っていたユジュンもまた、すぐ近くにいた。


「自己紹介が遅れました。僕はイ・ユジュンです」


 彼は、ゲートに入る前とは一変した丁寧な態度で挨拶をしてきた。そのことに黒井は面食らったものの、それよりも驚いたことは、


「日本語、喋れたんですか……?」


 彼が流暢な日本語を喋っていたこと。


「もしかしてアビスゲートは初めてですか?」


 そんな黒井の反応にユジュンは不思議そうな顔をする。

 

「ここでは言語の壁がないんですよ。開発途中だったゲーム『アビス』は、全世界に向けてリリース予定だったみたいなので」

「なるほど……」


 その説明に黒井は納得。それから、名前を言うかを迷った黒井だったが、まぁ……自分のことなど気にもしないだろうと考えて本名を伝える。


「黒井賽です。ゲートの外で話をしなかったのは、こういうことだったんですね?」

「いや、単に、おじさんに興味なかっただけです」

「……」


 無言で怒りを顕にしたのは言うまでもない。しかし、ユジュンは気にもしていない様子で黒井を見ているだけ。


「じゃあ、今は興味があるってことですか?」

「興味があるというか、説明にもあったように『ハヌマーン』か『ガルダ』のどちらかを選べるので、一つ提案をしようと思い話しかけました」

「提案……?」

「はい。僕ら、別々に分かれてハヌマーンとガルダを探しませんか?」


 その提案は黒井にとって願ってもない提案だった。そもそも彼は、アビスゲートに一人で挑むつもりだったから。おそらく、ユジュンもそのつもりだったのだろう。


「俺は構いませんよ」

「ありがとう。その代わり、どちらを選ぶかは僕が決めてもいいですか?」


 それも問題なかった。黒井はレベルアップさえできればなんだって良かったからだ。無言で頷くとユジュンは表情を綻ばせ、ポケットから一枚のコインを取りだす。


「表が出たらハヌマーン、裏がでたらガルダ。――導きガイダンス


 彼はそのコインを、親指でピンッと宙へ弾いた。やがて、くるくると回転しながら落ちてきたコインを両手で挟んでゆっくりと開く。


 裏だった。


「じゃあ、僕はガルダを探しますね」


 彼はそう言ってコインをしまう。


「今のは……もしかしてスキルですか?」


 黒井は、詠唱したのだからスキルだろうと確信を持ちながらもそんなことを聞いてみた。スキルならば、おおよそ能力の予測はできたものの、黒井にとって不利になるスキルだったら困ると思ったからだ。


「そうです。でも、おじさんが不利になるようなスキルじゃないですよ」


 ユジュンは質問の意図を読み取ったのか、先回りするように安全だと言ってみせた。まぁ、わざわざ黒井の同意を得て堂々とコイントスしたのだから危険なスキルじゃないことは薄々わかってはいたのだが……念のための確認だった。


「これは僕にとって都合のよい道を示してくれるだけのスキルです。それは、おじさんにとって都合が良い道じゃないし、もしかしたら世界にとって都合が良い道じゃないかもしれない」


 彼は、あくまでも自分本位のスキルだと説明する。〝占い〟みたいなものなのかもしれない、黒井はそう解釈した。


「じゃあ、たとえ示された選択であっても選ばないこともできるわけですね?」


 その質問にユジュンは頷く。


「そういうことです。選んでも選ばなくても構わない。でも、僕は示された道を必ず選びます。それはコインを振る前に僕がそう決めているからです。だから、先におじさんに確認をとったんですよ」


 爽やかな受け答えは彼への好感度を黒井のなかで上げた。もしかしたら、最初の印象が悪かったからそう錯覚しているだけなのかもしれない。そして、『ランクSという強さを持ちながら人柄も良い』というのは……黒井にとって、すこし意地悪をしてみたくなる要因。


「もし……生きるか死ぬかの二択で、死ぬことを示されてもそれを選ぶんですか?」


 そんな皮肉めいた質問をしてしまう時点で黒井は既に人柄で負けていたものの、ユジュンは少し驚いたように目を見開いてからニヤリと笑ってみせる。


「もちろんです。たとえ生きることを選んだとしても、都合の悪い人生なんて死んでいるのと同じですよ」


 そして、意地悪な質問を完璧に返したユジュンに黒井は完敗。とはいえ、それはあくまでも言葉上での勝敗に過ぎない。そもそも『コイントスの結果に従う』という前提が黒井にはない以上、この議論において勝ち目などないのだから。


「俺が不利になるようなスキルじゃないことはわかりました。あなたが俺を騙そうとするような人間じゃないことも」


 だから、黒井は彼と同じように笑みを浮かべ、そのやり取りを終わらせた。


「それは良かったです。では、ここから先は各々で行動しましょう。運が良ければ、目的の島で会えるかも知れませんね」


 そして、ユジュンもそう言って終わらせる。やがて、彼は迷うことなく森の奥へと姿を消した。


 おそらく、ガルダに会いに行ったのだろう。


「俺も行くか」


 黒井はそう呟くと、ユジュンが姿を消した方とは反対の方に歩きはじめる。


 それは――森をでる方角。


 アビスゲートは、ゲーム内のストーリーがより強く反映されたゲートだった。故に、ゲート内でのクエスト情報はゲームを制作した会社から既に公表されており、攻略方法も周知されている。


 黒井が会わなければならない猿族の戦士ハヌマーンは、神が住むとされる高い山に住んでいた。その山へと向かうためには、まず人間の王に会わなければならない。王は姫を攫われたショックで床に伏せており、そんな王の病気を治す薬草が山にある……という設定。


 ちなみにガルダの方は、この森の奥を抜けた渓谷に住んでいて、ナーガと呼ばれる蛇の神に妻を攫われている。その妻をナーガから救い出すことで、ガルダが協力してくれるという設定だった。


 難易度はどちらも変わりない。ただ、王道はハヌマーンのほうではある。なぜなら、プレイヤーが召喚される『始まりの森』の時点でストーリーが分岐してしまうから。ガルダが森の奥の渓谷に住んでいるという情報は、通常であれば魔王を倒し姫を救い出したあとで王から教えられることだった。


 既に情報が出回っているゲームのストーリーを攻略するのは別に難しいことではない。


 にも関わらず、アビスゲートが多くの探索者たちを行方不明にしている理由は――。


「グオオォォォ!!」


 突然、黒井の前に熊の魔物が現れた。そいつはかつて、ランクBダンジョンで遭遇したアサルトベア。


 すぐに魔眼を発動した黒井はアサルトベアの魔力回路を調べる。


「ランクAは余裕であるな……」


 その魔力は、ランクBダンジョンで見たときよりも遥かに強大だった。


 アビスゲートはランキング入りした者だけが入れるダンジョンである。故に、そこに現れる敵の強さも当然並ではない。いくらクリアポイントを稼いでランキング入りできたとしても、それ相応の強さがなければ攻略することは不可能。


 それこそが、多くの探索者を行方不明にしている最大の理由。


「取り敢えず……腕試しってとこか」


 黒井は目の前のアサルトベアに物怖じすることなく拳を握る。


 そのまま地面を蹴った黒井は、全力でアサルトベアに拳を叩き込んだ。


 直後、地面を揺るがすような振動が森に轟き、周囲の木々にとまっていた鳥たちは一斉に空へと飛び立った――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る