第64話 アビスゲート
「――彼は、お嬢様のもとに来るでしょうか?」
ふとしたラルフの発言に、セレナは眉すら動かすことなく口を開いた。
「来るわ」
「随分と……確信してらっしゃるのですね……」
そんな彼女の回答に、ラルフはどこか不服そうな声で返す。
「別に確信しているわけじゃないけど、人は目の前の選択に運命や使命めいたものを感じると「それをしなければならない」と錯覚してしまうものだから」
「運命、ですか」
〝運命〟という単語を、ラルフは嘲笑を堪えて呟いた。その機微をセレナは見過ごさず、目を細めてラルフを睨みつける。
「言っておくけど、あくまでも錯覚よ? 彼は角を隠す術を持たない鬼で、鬼で在りながら人で在りたいと願っている。そんな時、まるで運命であるかのように、角を完璧に隠してあげられるわたしが現れた……。きっと、今ごろ他に方法がないかを探してるんじゃないかしら? でも……月の加護以外に人に化けられる方法はないし、それを使える者は、今じゃわたししかいない。だから、結局わたしのもとに来ることが彼自身の運命であり使命なのだと錯覚するの」
「すべてはお嬢様の計算なのですね?」
「計算というほど緻密なものでもないわ。それに、わたしはそういった錯覚を馬鹿にしているわけでもない。告白だってそうでしょ? 「わたしにはこの人しかいない……この人こそがわたしの運命の相手なんだ!」って思い込むことで、告白しなきゃならない動機づけができる。理由なんて何だっていいのよ。結局、人を騙せる人よりも自分を騙せる人のほうがずっと強いもの。わたしは、彼にそのための理由を与えたに過ぎない」
「なるほど……失礼しました」
先程とは違い、
「とは言っても、それもあくまで可能性の話に過ぎないわ。もし彼のなかで前提が崩れていたら、わたしのもとに来ない可能性だってある」
「前提……と言いますと?」
「角を隠すことでしか生きられないという固定概念よ。彼が「別に角を隠す必要はない、鬼だとバレても構わない」なんて開き直ったら月の加護なんて必要なくなるわ」
「流石にそれはないかと……。この私ですら、人に正体を晒す勇気はありませんから」
ラルフは笑いながらそんな事を言ってのけた。そして、セレナもそれに同意するように頷く。
「彼はどうしたってわたしのもとに来るしかないのよ。もし、今言った理由以外でわたしを拒絶するとしたら……わたしより強くなるか、だけね」
「それはないでしょう。たとえランクSになれたとしても、短期間でお嬢様を超えられるとは思えません」
微笑みを隠すことなくそう言ったラルフに、セレナもまた微笑みを返す。
「そうね? わたしもそう感じさせないように振る舞ったつもりだから心配してないわ。そもそも、彼がどんなに頑張ったところで、日本で出現するゲート程度じゃわたしに追いつくことはできないはず」
「そうですね。ですが、彼もその事に気づき、もしかしたら今ごろ日本を出ているかもしれませんよ?」
「まっさかぁ。もし、そうだとしても、彼が短期間でわたしより強くなるには、あと数回死にかけるような経験をしなきゃならないはずよ。一度死にかけた者はその恐怖を忘れることはない。自ら進んで危険に飛び込むには、それなりの覚悟かイカれた精神が必須なの」
彼らは、その可能性をまるで冗談みたく語りあった。
そして、そんな話の人物は今――。
「へッッくしゅんッ……!! ……なんだ? 誰か俺の噂でもしてるのか……?」
インドの南部、バンガロールにいた。
「IT都市と言っても、生活が発展してるわけじゃないんだな」
黒井は、バンガロールの町並みを眺めながら
インドに出現しているダンジョン『アビスゲート』、そこでレベルアップをすることこそが真の目的。
「まぁ、日本ほど整備されていないのは都合が良いのか……」
それを誰にも怪しまれることなく行うために、黒井はこの地を選んだのだ。……正直、黒井はインドにおける公用語を使えなかったものの「
「もう……慣れてるんだろうな」
そんな人々の様子を、黒井はそう納得してみる。
アビスゲートは魔物が外に出てくることはない特殊なダンジョンだった。故に、大げさにゲートを建物で囲う必要はなく危険性も低い。しかし、毎年多くの探索者たちがそのゲートから帰還することなく行方不明になっていた。
それは、ここでも例外ではないはず。
ここに住まう人々にとっては、「アビスゲート」を口にする探索者は行方不明になる可能性が高いうちの一人に過ぎず、もはや、その一人ひとりに何かしらの感情を向けることは無駄だと思っているのかもしれない。
現に、外国人だからなのか、黒井へと向けられていた好奇の眼差しは、「アビスゲート」を口にした途端に色褪せてしまう。そして、最初から興味なんてなかったかのように彼らは冷淡に背を向けた。
だから、そういった事からもすんなりアビスゲートに入れると黒井は思っていたのだが、
「――ランクCだと? お前ランキングでの名前は?」
アビスゲートがある軍事基地のような場所の入り口。そこで探索者のライセンスを見せた黒井は、銃を装備する警備兵に思わぬ質問をされたのである。
その質問は日本語ではなかったものの、端々の単語から何を言っているのかは理解できた黒井。
そもそもアビスゲートに入るには称号である【深淵への挑戦者】が必要であり、それを取得するにはアビス内でのランキングに載らなければならない。そのため、向こうの質問は妥当ではあった。
しかし、素性を明かしたくない黒井にとって、ランキングの名前は隠したい情報の一つ。
だから、現地の人でも通用しそうな簡易英語でアビスゲートを通れることを伝えるものの、彼は頑なに「ランキング名を教えろ」としか言わなかった。
「通れなかった時に聞けばいいだろ……」
平行線を辿る問答に歯噛みをする黒井。それは相手も同じだったようで、最初訝しげな視線を黒井に向けていた警備兵はやがて、装備していた銃を黒井に向けたのである。
そんな時だった。
「――その人、ちゃんとランカーですよ」
背後から聞こえた声に黒井と警備兵が視線を向ける。そこには、マッシュヘアと切れ長の目が特徴的な背の高い男が立っていた。顔立ちは日本と同じ東アジアであり、黒井には男が韓国人であることがすぐにわかった。
「次、いいですか?」
彼は眠そうにそう言ってから、ライセンスを警備兵に見せる。
そこにあったのは――『ランクS』。
記載されている名前は当然ハングルだったものの、それを読めずとも、黒井は彼の名前を知っていた。
イ・ユジュン――。彼は、韓国で4人いるランクS探索者の一人。そして、ランカーの中でも一桁台の数字を保持している上位者でもある。
ランクSの文字を確認した警備兵はすぐに彼を通し、そんな彼の発言もあってか黒井に向かって「さっさと通れ」とでも言いたげなジェスチャーをしてくる。
その態度の変わりように、黒井は思うところがないわけではなかったものの、すぐに切り替えて既に前を歩いているユジュンのあとを追った。
そして、通れたことを感謝するように彼へと話しかけたのだが、ユジュンはチラリと黒井を見たあとで、興味なさげに前を向く。
さっきの感じから、英語が通じないわけじゃないのだろう。だから、それは完全なる無視に違いない。人当たりを気にした黒井の笑顔は虚しく放置される。
だから、黒井はため息を吐いて、もう一度問いかけたのだ。
「なんで、ランカーだとわかった? ……俺を知ってるのか?」
それにユジュンは顔を向けることなく、
「さぁ? でも、あのままだと時間かかりそうだったから適当に言っただけ」
サラリとそう答えた。
どうやら、黒井のことを知ってるわけではなかったらしい。そのことに安堵した黒井。
「僕がいて運が良かったね。おじさん」
そして、彼が付け加えた言葉に今度は愕然としたのだ。
「お、おじさん……だと……」
黒井の歳は26である。その年齢を彼自身は「まだ若い」と思っていたため、ユジュンから放たれた言葉にショックを受けざるを得なかった。しかも、ユジュンは黒井のことをなにも知らない。つまり、黒井の年齢を知ることなく、彼は黒井をおじさんだと判断したということ……。
「俺って……もしかして老け顔なのか……?」
アビスゲートへと向かう間、黒井はそのことに絶望していた。
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