第60話

 都内某所の一帯を封鎖する黒スーツたちの異様な光景に、通行人たちは不審な視線ををチラつかせながらも通り過ぎていく。


「ゲートでも出現したのか……?」

「でも、避難情報とかでてなくない?」


 その理由に好奇心をくすぐられてはいたが、誰一人として黒スーツの男たちに理由を尋ねようとする者たちはいない。


「あの……この先に用事があるんですけど」


 それでも、やむを得ない事情がある者は何とか通してもらおうとしたのだが、


「ここから先は、探索者協会によって現在立ち入りを禁止されています」


 威圧感のある強面たちの言葉に、諦めてしまうしかなかった。


「探索者協会ってことは、やっぱりゲート?」


 そして、離れた場所からその光景を見ていた者たちは、探索者協会という言葉を聞き、勝手な憶測をSNSに書き込み始めた。


 そんな書き込みの数々に頭を悩ませていたのは、探索者協会関東本部の会長である大貫。


「ここは日本だというのに、好き勝手やってくれる……」

「会長、セレナ・フォン・アリシアは一体なにを?」


 秘書の問いかけに大貫はため息とともに首を振った。


「時藤茜と接触するらしい。彼女が鷹城塁の実力を見たいと言って模擬戦闘を申し出たことは知ってるだろう? それと同じだ」

「戦闘って……ゲート外での探索者同士の戦闘は禁じられているはずですが」

「向こうではよくあることらしい。特に、犯罪を犯した探索者を捕まえるためにね」

「そんな無茶苦茶な……」


 言葉を失った秘書に、大貫も肩をすくめる。


「感覚が鈍ってるのは間違いないだろう。向こうは国境が入り乱れているせいで、犯罪者を捕まえるために他国で戦闘が起きることはままあるそうだから」

「ですが、ここは日本です。いくらランクSの探索者とはいえ、そんな権限――」

「あるんだよ。ランクSにもなると」


 大貫は秘書の言葉を遮ると、会長室の窓の外に視線を移した。そして、そこから見える夜景のどこかで行われている戦闘を探してみる。無論、見つかるはずはなかったが。


「探索者は魔物から人類を守る防衛手段だ。そして、ランクSというのは、その意味をどの探索者たちよりも重く背負う者たちでもある。確かにここは日本だが、日本は世界の一部に過ぎない。世界を守る者たちにとって、国と国の線引はあまり意味を持たないんだよ。彼らにとっての線引は、世界かアビスかだけだからね」


 そんな説明を淡々と語った大貫は、机に置かれたセリナ・フォン・アリシアの資料を読み返す。


「若干19歳にしてランクSに到達した探索者。職業は【人形師パペッティア】の洗脳系。公開されている情報はレベル100を超えていることのみで物理値、魔力値ともに測定不能――」


 そこまで読んだ大貫は、まるで理解できないとでも言うかのように資料を元の位置へと放った。


「まぁ、事前に話を通してくるあたり、善良な部類には違いないだろう。探索者同士での戦闘を勝手に始める者は少なくないからね。それに……今回の件で破壊したも街の費用は、全部向こうが負担してくれるらしい」

「金も権力もあるなんて、一人の人間に与えるにはやり過ぎではありませんか?」


 それでも不服そうな秘書の様子に、大貫は力なく笑うしかなかった。


「ランクSを人とは思わないほうがいい。彼らは文字通り化け物だよ」



 ◆



 セレナの人形と化した人狼の攻撃に、黒井は反撃する隙を与えられず、ただ、ひたすら回避し続けるしかなった。


 街中であるにも関わらず、加減も容赦すらもない連撃の数々に黒井は呼吸すら忘れてしまいそうになる。


 こういった場合、術者を倒せば良いのだが、それは考えているよりも容易いことではなく、すこしでも黒井がセレナへ近づこうものならば、すぐに人狼が目の前に立ちはだかった。


 ただ、活路が全くないわけでもない。


――わたしが操るとみんなボロボロになっちゃうんだけどね。


 そんな彼女の言葉通り、戦闘が続けば続くほど人狼の武器でもある鉤爪はビルやアスファルトによって削れ、無理な行動をし続けているせいか体毛の間からは血が流れていた。


 黒井はゴーレムとの戦闘から、長期戦には多少の自身を持っている。ひたすら耐えることが、何かしらの結果を生むことを彼は経験として知っていた。


 故に、黒井は反撃できずとも、焦ることなく攻撃を回避し続けた。むしろ、そのことに集中しているまであった。


 そして、長期戦の末にスキルを獲得したように、最初は精一杯だった回避にも慣れが生じ、黒井にも落ち着いて戦闘ができる余裕が出始める。


 やがて、戦闘が始まって数分。黒井は、はじめてセレナへと接近戦を持ち込む距離にまで近づくことができた。


 そのまま拳を彼女に打ち込もうとしたが――、


「思ってたより戦闘慣れしてるのね」


 それは綺麗なバク転によって回避され、再び距離を取られてしまう。その後、彼女は着地とともに両手の指を宙で動かした。


 黒井の真上には月を隠す影。慣れた殺気に、彼は確認よりも先にその場を離れる。瞬間、その場所に鉤爪が突き刺さった。


 再度反撃のやり直し。しかし、黒井の表情に悔しさは微塵もなく、すぐに態勢を整える。


 再び始まる攻撃に備えて。


 しかし、鉤爪をアスファルトに突き刺す人狼は停止したままだった。その様子を窺っていると、人狼は口から大量の血を吐きだす。どうやら、体が限界を迎えたらしい。


「あーあ、言う事効かなくなっちゃった」


 それにセレナが疲れたような声を発して手を下ろす。すると、そのまま人狼は地面に倒れた。


 ようやく終わりか、と黒井が浅く息を吐いた瞬間、


「仕方ないから、このまま洗脳しちゃおっか」


 セレナはため息を吐いて黒井を見据える。そして、左手でピースをつくると、そのまま自身の左目へと充てた。


「――重力透鏡バイアス


 彼女が唱えた瞬間、琥珀色の瞳が薄い赤紫に変わり、まるで星雲のごとき光渦の模様を走らせた。


――脳内に何者かのアクセスを検知しました。脳内が支配されようとしています。

――覚醒魔法を発動します。

――アクセスを拒絶しました。


「やっぱり、ダメージを与えてない状態ではダメね」


 しかし、それは失敗に終わり、セレナは再びため息。


「今のは……魔眼……?」


 そして、たった今起こった出来事よりも、黒井はセレナの左眼に驚いた。それは、魔法やスキルといったものではなかった。なにより、身体的な変化を起こす能力というのは限られており、特に瞳にそれをもたらす能力など黒井が知る限り一つしかない。


「ああ、そういえばあなたも魔眼持ちだったわね?」


 そんな黒井の反応に、セレナは思いだしたようにそう言った。


「まぁ、人形にするための洗脳手段でしかないから戦闘ではほぼ使えないんだけど」


 そして、そんな補足を興味なさげに付け加える。


「洗脳……本当の目的はそれか」

「そうね。でも、あなたがラルフを倒すまで人形にするつもりなんてなかったわ。わたしはこれでも操る相手を選ぶから」

「なるほど。だが、それも失敗に終わった。それとも、まだやるのか?」


 その質問に、セレナは少しだけ考えてから、


「もう一つだけ試してみていい?」


 なんて、人差し指を掲げてみせた。


 その直後、距離のあったセレナが、突然黒井の目の前に姿を現した。てっきり、物理的な能力は低いと思っていた黒井は、その速さに反応できず目を見開くことしかできない。……いや、先ほど黒井の攻撃が避けられた時点でそれは察するべきことではあったのだ。しかし、戦いに別の存在を用いるという戦闘スタイルから、黒井はセレナの物理的能力値を見誤っていた。


「間接的な支配がダメなら、直接支配してあげる」


 それでも、咄嗟に後ろへ退こうとした黒井。しかし、セレナはその肩を両手で掴むと、不敵に笑ってみせる。


「――血の支配ウィルス


 そして、口を開けてそのまま黒井の首元へカプリと噛みついたのである。

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