第58話

「これが彼女のレベル上げの秘訣か」


 シックな空間を醸しだしている探索者協会関東本部、その会長部屋で大貫はひとり、時藤茜のレベル上げに関する報告書に目を通していた。


 そこに記載されてあったのは、ランクCの探索者と共に数十回にも及ぶダンジョン攻略に参加した記録。


 しかし、それを〝秘訣〟と呼ぶにはいささかお粗末な気がしてしまう。


 なぜなら、本人の証言には『ダンジョン攻略に参加して、出会した魔物をひたすら倒した』としか書かれてなかったからだ。


「……黒井賽」


 それは、彼女と共にダンジョン攻略に参加していた探索者の名前。しかし、その探索者のランクはCであり、職業はヒーラーであるためレベルアップに大きく関与していたとは考えにくい。事実、時藤茜の口からも、「黒井賽は戦闘に関わっていない」とあった。


「本当にほぼ一人で魔物を倒し続けただけなのか?」


 その報告書を見る限りでは、そうとしか考えられない。それでも……弓使いがたった一人で魔物と対峙し、倒し続けることなど可能なのだろうか? と大貫は疑問を抱いてしまう。


 もし、そんなことが可能であるとするのなら、時藤茜は探索者として天才であると言わざるを得ない。無論、そういった者は少なからず居たが、もし本当に彼女が天才であったならば、もっと早くに頭角を現しても良さそうだと感じてしまうのだ。


 時藤茜は優秀な探索者ではあるのだろう。しかし、たった一人で魔物たちを破壊して回るほどの化物かと言われればそうではない。むしろ、仲間との連携を高めてチームに貢献するような探索者。


 そんな彼女が、いくらレベル上げのためとはいえ、見境なくダンジョン攻略に参加し一人で魔物を倒していた行動に、大貫は違和感を覚えてしまう。


「引っかかるな……」


 大貫はそう呟いて報告書を眺めていたものの、やがてそれを机の上に置いた。


 何をどう考えてみたところで、レベル上げには魔物を倒し続ける以外の方法などなく、そもそもランクの高い探索者が増えることは喜ぶべきことだったから。


 それに――横浜ダンジョンでの経験を考えれば、時藤茜の中でなにか大きな変化があったと考えて何もおかしなことはない。


「悲劇の探索者の劇的な復活、か……」


 ランクA昇格の公表を行ったあとで、マスコミが報じるであろう題名を想像する大貫。


 その呟きには、どこか皮肉めいた感情が入り混じっていた。



 ◆



『奢りますから、一緒に夜ご飯でも行きませんか?』


 その日、黒井のもとに茜からランクA昇格の報告があった。そして、レベル上げのお礼がしたいという理由でご飯にも誘われた。女性からご飯を奢られるというのは男としてどうなのだろうか? という疑念はあったものの、彼女の性格を考えれば、そうでもしないと気がすまないのだろうと考えてしまい承諾する黒井。


 指定されたのは都内にある高級レストラン。ドレスコードがあったため一応スーツを着ていくと、待ち合わせ場所にいた茜は、ワンピースに身を包み、ヒールのあるサンダルを履いていた。


「そんな格好もできたんですね……」


 なんて、思わず素直な感想を述べてしまう黒井。


「そんな格好というのは、さすがに失礼じゃないですか?」


 それに茜は不服そうに眉根を寄せたものの、素直すぎた黒井の言葉に破顔して笑う。


「逆に黒井さんはそのハーフマスク、いつも付けているんですね?」

「まぁ、これでも食事はできますから……」


 指摘されたマスクに、黒井は誤魔化すように笑う。鬼を隠すために装着するハーフマスクはノウミに指示をして食事ができる物へと改良してもらっていた。まぁ、それでも見た目がすこし異様なことに変わりはない。それについて茜が深く追及してくることはなかった。レストラン側も探索者だと言えば納得するだろう。それほどに、探索者という存在は奇異であり、それまでの常識を覆すような存在だった。


「昇格したことは通知があっただけで、まだ公表はされていません。ですが……公表されたら、本格的にギルド立ち上げに向けて動こうと思っています」

「そうですか」

「ランクAに昇格できたのは黒井さんのお陰です。とても感謝しています」

「俺は、俺がしたいようにやっただけですよ。まぁ、感謝は受け取っておきますね」


 その日の彼女は、服装のせいもあるのか探索者としての硬い雰囲気はなく、黒井と顔を合わせるたびに柔らかく笑った。元々の顔が良いせいもあって、近くを通る誰もがその美しさに振り返る。


「あれって、時藤茜じゃね……?」

「探索者を辞めて落ちぶれたって聞いたけど、普通に可愛いな」


 中には彼女に気づく者もいて、あまり良くない話し声も聞こえてくる。それは茜の耳にも届いているはずだったが、彼女が反応することはなかった。


「隣にいるのは誰だ?」

「マネージャーとか?」


 その注目は隣にいる黒井にも集まったものの、マスクの効果もあってかそれほど気にはされなかった。


「本当に、わたしと一緒に活動するつもりはありませんか?」


 それよりも、茜が度々上げた話題は黒井の勧誘。


 しかし、その度に黒井は首を振る。


「そうですか……無理を言うつもりはありません」


 そして、茜もその度に声を落とした。それでも彼女は、黒井に向かって微笑みを絶やすことはない。


「実は、ランク昇格試験のときにレベリングについて詳しく聞かれたのですが、黒井さんのことは話さないようにしました」

「それは助かります」


 そう返した黒井の反応を、茜はジッと窺う。


「なにか……表に出たくない理由でもあるんですか?」


 そして、そんな質問を軽い雰囲気で訊かれた。


「特にありません。その理由については何度も話したはずです」

「……そう、ですね」


 それに彼女はどこか納得のいかない表情をしたものの、やはり深く追及してくることはない。


 それは、黒井が「何も聞くな」という威圧的な雰囲気をだしているせいでもあった。


「――今日は、ありがとうございました」

「いえ、お礼を言うのはこちらです」


 その後、食事を終えた黒井は、茜と共に散策がてら夜道を歩いた。そこには、彼女に気づいてしまう者を避ける理由もあった。


 交わされるのは、魔物や探索者とは無縁の他愛ない会話ではあったものの、黒井は久しぶりにアビスのことを忘れて楽しめた気がする。


 こういうのもたまには悪くない、そう感じていた時だった。


「――あなたたちが時藤茜と黒井賽、よね?」


 どこから飛び降りてきたのか、目の前で音もなく着地した人影が黒井と茜の名を尋ねてきた。見上げれば、そこにあるのは月を背景にそそり立つ高層ビル。人が落ちてきて平気でいられる高さではない。いや、着地に音もなかったことから、もはや人であることすら怪しい。


「なんですか……? あなたは」


 茜が問いかけると、着地のまま身を屈めていた人影が立ち上がった。黒いローブを羽織っているため顔は見えず、小柄な体型と尋ねてきた声音から女であることだけはわかる。


 起動させた魔眼には魔力回路が映り、そこではじめて、目の前の人影が探索者であることを黒井は理解した。


「茜さん、あまり近づかないほうがいいですよ」


 そして、そこに映る魔力が強大であることも知覚する黒井。その魔力はあまりに膨大で、魔眼ルーペは起動直後からカチカチと焦点を絞り続けている。


 それは、これまで黒井が見たこともない魔力だった。


「やっぱり……こっちが正解だったみたい」


 茜の質問には答えず、ローブを纏う女はそんな呟きを漏らした。唯一見える口元はその言葉のあとで楽しそうな笑みをつくり、鋭い八重歯が中から覗く。そして、フードの奥に見える瞳は琥珀色の光を宿していた。


 その瞳と視線を合わせた黒井は、目の前にいる人物がこれまで会ったこともない強者である事実を、気配だけで感覚的に理解してしまう。


 そして、その中にある微かな殺気を――黒井は見逃さなかった。


 頭の中で警笛が鳴り響き、本能は目の前の人物が危険であることを告げてくる。逃げろ、と脳が身体へ信号を送る前に、黒井の身体は既に臨戦態勢へと移行していた。


 情報整理と、その対応に動きだした黒井の反応速度は秒間内に収まるもの。地面を踏み込む足と無意識に握る拳を追加してもなお、一秒を経過するには程遠い。



 にも関わらず――、



 今まさに攻撃を始めようとしていた拳は、その手首を掴まれたことによって止められてしまう。


 驚いて見下ろせば、黒井の手首は白い手袋が掴んでいた。


 その腕を辿ると、背の高い白髪を生やした燕尾服の外国人が黒井を見下ろしている。そして、こんなにも接近されるまで、まったく気づかなかったことに黒井は再び驚く。


「がぁッッ……!?」


 そして今度は、茜の苦しそうな声。見れば、ローブの女が茜の首へと手のひらを押し付けて締め付けている。


 圧倒的速度で攻撃するはずの黒井だったが、それよりも前に彼は制圧されてしまった。


 そのことに、ただただ愕然とするしかない。


「変異体が自分のことを公表するはずないし、こっちの女はハズレだろうと思ってたけれど、やっぱりそうなのね?」


 茜が苦しそうに締め付ける腕を振りほどこうともがくも、それはびくともせず、腕の主はそんな感想を告げるだけ。


 ただ、「変異体」という単語に黒井は聞き覚えがあった。


「あんたたち、何者だ?」


 茜の息の根が止められてしまわぬよう、注意をそらす目的で黒井は問いかける。期待はしていなかったものの、やはり、締め付ける腕の力が緩まることはなさそうだった。


 しかし、女は黒井の質問に、反対の手で器用にフードを脱いで正体を晒してくれる。


 溢れたプラチナブロンドの髪が、月の光を反射しながらなびいた。


 黒井は――彼女を知っていた。


「わたしはセレナ。ここに、変異体を探しにきたの」


 それは、現在来日している有名人、ランクSの探索者であり上位ランカーでもあるセレナ・フォン・アリシアだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る