第57話

 アストラの探索者専用訓練施設は、関係者以外立ち入ることができないものの、まるで世紀の一戦でも見るがごとく人が集まった。


 それは、セレナが鷹城にした提案が原因であることは間違いない。


 そんな観戦者たちを眺めながら、鷹城はこれから行われる模擬戦闘に向けて剣を握る。すると、対戦相手であラルフもまた、鷹城と同じように剣を手に取った。


「同じ剣術使いだったんですね?」


 なんて、社交的に問いかけてみるが、鷹城の言葉にラルフは無言。


「彼は【道化師クラウン】なの。相手の職業を真似して戦うのよ」


 代わりに答えたのはセレナ。


「真似……? ずいぶん変わった戦い方なんですね」

「そうね。道化師はとても特殊な職業だから。もちろん、完全にコピーすることはできないわ。模倣するといっても所詮は偽物よ。スキル練度までは真似できない」

「そうなんですね」


 セレナが「特殊」と言ったように、鷹城にとって道化師は初めて対面する職業だった。しかし、偽物であるのなら勝てそうだと何となく判断してしまう。


 本物が偽物に勝てる道理はない。互いに所定の位置についた時も鷹城には勝利する自信しかなかった。


「――模倣分身ドッペル


 しかし、戦闘が始まると同時にラルフが唱えたスキルが発動した瞬間、鷹城は喩えようのない不快感に襲われたのだ。


――なんだ……?


 目の前で対峙するラルフに変わった様子はない。それどころか、未だ剣を構えただけ。


 しかし、その雰囲気や仕草、そして剣を構える所作すべてが鷹城自身を彷彿とさせる。


 それが、彼に不快感を抱かせたのだ。


 そうして無意識に眉根を寄せてしまう鷹城の反応を、セレナは楽しそうに見やる。


 訓練施設内にいる人たちのなかで、彼女だけがラルフの勝利を確信していた。


「人は、真似されることに異常な不快感を覚える生き物だもの……」


 その根拠を、セレナは誰にも聞こえぬよう小さく呟く。



――【道化師】。それは『相手をトレースして存在自体を奪う』という職業であり、自我を持たない存在に使用した時と、自我を持つ存在に使用した時とで効果が変わるユニークな特性を持っていた。


 例えば、自我を持たない魔物に向けてそのスキルを発動した場合、魔物の群れの中に潜むことができる。ただ、他の魔物は騙せてもトレースした魔物だけは騙すことができない。そして、その魔物と戦って勝った場合、永遠にバレることなく魔物の中に潜入し続けることができた。


 反して、自我を持つ人などの存在に向けてスキルを使った場合、トレースした相手の能力を下げることができた。これはアイディンティティを有する自我持ちの存在だからこそ効く能力。


 セレナの言葉どおり、人は真似されることに異常な不快感を抱く生き物である。アイディンティティとは、他者との違いを自覚することではじめて得ることができる感覚。しかし、相手が自分とまったく同じ存在であった場合、アイディンティティは崩壊する。


 人は、他者がいて初めて自分を認識できる存在。故に、他者が自分とまったく同じだった時、自分の存在を見失ってしまうのだ。



 ぶつかり合う剣戟の音、戦いにおける身のこなし、それらは両者ともにまったく同じであり、同じランクAという理由では説明できないほど、合わせ鏡のような戦闘が行われる。


 鷹城に負ける雰囲気はなかった。しかし、動きも速さすらもがまったく同じであるため、勝てる雰囲気も未だない。


 戦闘はあまりにも分かりやすい平行線をたどった。


 やがて、長く続く戦闘のなかで鷹城の動きだけが鈍り始める。その隙を突いて振るわれたラルフの攻撃に、鷹城が顔を歪めて防戦しはじめたのだ。


「――くッッ!?」


 その異変を鷹城は薄々感じていたものの、自分ではどうすれば良いのか分からない。


 さっきまでは互角だったはずなのに、何故かラルフの動きが鷹城を凌駕しはじめたのである。……いや、正確には、鷹城自身が弱体化しはじめていた。


 それはやはり、ラルフが鷹城をトレースしているから。


 鷹城は自分に絶対的な自信を持っていた。自分の能力はもちろんのこと戦い方や振る舞い、そして、自分の存在にすら。


 故に、絶対的自信がある自分を目の前にして、無意識のうちに能力を下げてしまったのである。


 なぜなら、鷹城は鷹城自身を勝たせなければならないから。鷹城自身の尊厳を守るために――。


 道化師は偽物に過ぎなかった。しかし、あまりにも精巧な偽物であるが故に、本物は本物を勝たせようと自ら弱くなるしかなかったのだ。


「卑劣ですいませんね? あなたが仲間と共に戦ったなら、こんな結末にはならなかったでしょう。あなた自身の存在は、その仲間が確定させてくれたはずですから。ですが、1対1の戦いで道化師が負けることはありません。あなたが負けるということではなく、あなたがあなた自身を勝たせるために負けるのです」


 ドイツ語で語られるラルフの言葉を鷹城は理解できない。それどころか、何故自分が押されているのかすら鷹城にはわからなかった。


「ですから――あなたの敗北は、あなたの勝利でもあります」


 ラルフの剣が鷹城の剣を強く叩き、施設の床に剣が落ちる音が響く。


 それを拾おうと身を屈めた鷹城は、首に添えられた刃に気づいて動きを止めるしかなかった。


「……ま、まいった」


 怒りで顔を歪ませる鷹城は、歯を食いしばって降参を告げる。その結末を、施設内にいた人たちは数秒遅れて理解した。


「ラルフ、ご苦労さま」


 そんな中で、セレナは、当然の結果だとでも言うかのように、ラルフへと労いの言葉をかけた。


「とんでもありません」


 それにラルフもまた、当然の結果だと言わんばかりの態度で返す。


「それと……期待外れだったわ。本当にあなたがドラゴンを倒したの?」


 そして、敗者へと向けられたセレナの言葉に、鷹城はもちろんのことアストラの関係者たちまでもが愕然とする。


「たしか、あなた以外にもダンジョンから生き残った人っているのよね? その人たちにも会わせてくれない?」


 さらに、そんな彼女の要求に誰もが言葉を失った。


「い、いや……これは模擬戦闘であって、人間相手に本気なんて出しませんよ」


 ようやく口を開いたのは鷹城。しかし、負けた結果のあとでは、たとえそれが真実であったとしても言い訳にしか聞こえなかった。


「わたしは、他の生き残りにも会わせてってお願いしてるだけよ? あなたがこの戦闘で本気を出したかどうかなんて興味ないの」


 それをセレナはバッサリと切り捨てる。


「わたしが興味あるのは結果だけよ。そして、探索者は結果を出さなければ価値なんてないわ。ラルフに負けたあなたは、わたしのお願いを聞くべきじゃないかしら? 違う?」


 鷹城は何も言い返せない。それでも、観衆の前で貶された屈辱に、握った拳がぶるぶると震えた。


「――ほ、他に生き残った人に会わせます!」


 そんな鷹城の空気を察して、アストラの関係者である男が慌てたようにセレナの前へと躍りでた。その額には、尋常でない汗をかいている。


「そう……なら、すぐに他の人のところに連れて行ってくれない?」

「わかりました!」


 会談をする代表としてアストラが選んだのは鷹城だった。しかし、それを真っ向から否定するセレナのお願いは、あまりに横暴に見えた。


 それでも……今しがた行われた戦闘によって、セレナの期待に見合わなかった鷹城をこれ以上その立場に立たせておくことはできない。その事実をアストラ側は飲み込むしかなかった。


「そういえば、記者会見も見たんだけど、その時に面白い発言をしていた女性探索者がいたでしょ? たしか、時藤茜っていう」

「え? あぁ、はい……」


 男は、どこか気まずそうにそれを肯定。


「まずは、その人に会わせてくれない? それと、記者会見にはいなかった黒井賽っていうヒーラーもね」

「黒井さん、ですか?」


 そして今度、男はキョトンとした顔をセレナに向ける。


「彼らと話をしたいの」


 彼女の言葉に、男は困ったような表情を見せた。それにセレナは、「まだ鷹城との会談を諦めきれていないのか……」と呆れたのだが、


「実は……その二人は、アストラにいません」


 予想外の返答に固まってしまう。


「どういうことなの?」


 ようやく出てきた疑問に、男はそわそわとしていたものの、やがて観念したように息を吐いた。


「時藤茜はダンジョン攻略後にアストラを辞めました。それと……黒井賽という探索者は、最初からアストラ所属じゃありません」


 沈黙がその場を支配した。やがて、今度はセレナから疲れたようなため息が漏れる。


「そういうこと……。まぁ、いいわ。居場所くらいはわかるんでしょう?」

「はい……」

「なら、それだけ教えてくれる? 彼らの元にはわたしが直接向かうから」

「あの……失礼ですが、我々との会談は……」

「気が向いたらまた来るわ」


 セレナの端的な返答。それはつまり、「もうアストラには用はない」と言われたも同然。


 やがて、くるりと背を向けたセレナは、ラルフを連れて訓練施設の出口へと向かい、


「ああ、それと、ここで行われた戦闘のことは黙っておくわね? あなたたちもドラゴン討伐をしたヒーローが、わたしの執事に負けたなんて事実を世間に公表されたくはないでしょう?」


 思い出したようにセレナは振り向いてそう言い、誰に向けるわけでもない笑みを見せたのだ。


 そして、未だ動けずにいるアストラ側の者たちの中で、鷹城の前にいる男へとセレナは視線を戻す。


「そこのあなた」

「……わ、わたしですか?」

「そうよ。あなたが彼らの居場所を教えてくれないと、何処に行けばいいかわからないじゃない」

「わ、わかりました!」


 セレナの指名で、男はすぐに彼女のあとを追った。


 その後、施設内に残された者たちは、何がなんだか分からないという顔で互いに見合う。


 その中心で、鷹城は必死に屈辱と怒りにうち震えていた。


 噛み締めた唇からは血が流れ、瞳には怒気がこもる。


「――ドラゴンを倒したといっても……上位ランカーにはさすがに手も足も出なかったか」


 ふと、施設内のどこかから落胆の声が聞こえた。


 それに鷹城は、さらに唇を噛み締める。


 こもる怒気はやがて、憎悪へと変貌し始めていた。

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