第54話 来訪者

 名も無き洞窟。黒井が幾度となく歩き、もはや目を瞑ってでも進むことができるダンジョンの名前を知ったのは、茜のパワーレベリングを行う前のこと。


「魔素が…強くなってるな……」


 暗く冷え込んだ空気に混じる魔素に、黒井は呟く。


 パワーレベリングの期間中にも、治安維持のため週に一度メンテナンス目的で黒井はここに潜っていたが、ランクDだったダンジョン内の魔素はいまや、ランクBに届きそうなほどの濃度にまで上がっていた。


 どうやら、魔物を長い間放置しているとダンジョンというのは強くなっていくらしい。


 それか――、


「グギャ!」


 洞窟内を歩く黒井の前に突如現れたホブゴブリン。そして、その後ろには知能がない魔物とは思えないほどの統率で並ぶゴブリンたちの群れ。


 そのゴブリンたちは、それぞれが強い魔力を体に帯びている。


 ダンジョン内の魔素濃度が上がったのは、彼らが原因なのかもしれない。特に、黒井の前で膝をつくホブゴブリンは、ランクBダンジョンにいたボス猿並みの魔力を帯びていた。


「変わりないな?」

『グギャ!』


 角を通して伝わってくるホブゴブリンの返事に黒井は頷き、たったそれだけで本日のメンテナンス・・・・・・を終えてしまう。


「じゃあ、いつも通り訓練を見てやるから」

『グギャギャ!』


 直後、ホブゴブリンの指揮によって洞窟内に散らばるゴブリンの群れ。奴らは二人一組になって訓練を始める。


 それは、黒井が何も考えずに指示したこと。一ヶ月ほど前は、もはや見てられないほどの野蛮なただの殴り合いだった。


 しかし、いまやその訓練レベルは見違えるものに変わっている。格闘術を身に着けた彼らは、軍隊のような戦闘集団へと変貌していた。


『グギャギャ』

「わかった。お前は俺が相手してやるよ」


 その中でも、やはりホブゴブリンの強さだけは別格であり、黒井でなければ相手にならない。教え込んだ格闘術以前に、筋力値が高く普通のゴブリンならば拳ひとつで殺してしまうからだ。


 それでも、筋力値だけで比較するのなら黒井のほうが圧倒的に高く、戦闘訓練を始めてものの数分でホブゴブリンは洞窟内の岩壁に背中を打ち付けて悶えた。


「悪い、手加減を間違えた」


 ホブゴブリンの格闘術はすでに熟練されたレベルにまで跳ね上がっており、虚を突かれそうになったところで黒井は強引に蹴りを入れてしまった。


「うーん、サンドバッグになったのが原因か?」


 未だ痛みにうずくまるホブゴブリンを眺めながら、黒井はそんな考察を口にする。


 この一ヶ月……黒井はタンクの予行演習も兼ねてホブゴブリンに一方的な殴りをしてくるよう指示していた。もちろん、ホブゴブリン程度では茜と参加していたダンジョンの魔物たちには到底及ばなかかったため、本番と変わらない威力の攻撃になるよう、ホブゴブリンに指導していたのだ。


 それは、弱い攻撃をしてきたら逆に黒井がホブゴブリンを殴り、直接体に威力を教え込む鬼教官方式。


 そのせいか、ホブゴブリンだけがメキメキと強くなりすぎてしまったのである。


 まぁ、それでも黒井には遠く及ばない。そして、そんな黒井を見るゴブリンたちの汚い瞳からは、キラキラとした羨望の視線を集めていた。


「格闘術も煮詰まってきたな……そろそろ新しい訓練に変えてやるか……」


 しかし、そんな視線に黒井は気づかず、頭の中では新たな戦闘術を仕入れるための考えを張り巡らせる。やがて、時間を確認した黒井は、メンテナンスを終えるには良い頃合いだと判断し、ホブゴブリンに背中を向ける。


 そんな彼に、ゴブリンたちは再び整列をすると、ホブゴブリンも未だダメージを負った体で起き上がり見送りの敬礼。


 敬礼なんてどこで覚えたのか知らないが、律儀な彼らに振り返ることなく黒井は名も無き洞窟をあとにする。


 そんな事の繰り返しが、彼の日常となりつつあった。



 ◆



 空港には、多くの報道陣が集まっていた。彼らはみな、緊張した面持ちでカメラを構えている。


「きたぞ!」


 そして、誰かが発した声にカメラのフラッシュが一斉に焚かれだした。カメラのレンズを食い気味に覗き込む彼らが必死に焦点を合わせようとするのは、数人のボディーガードたちに囲まれる一人の少女。


 プラチナブロンドの髪をなびかせて優雅に歩く少女の名前はセレナ・フォン・アリシア。彼女がかけるサングラスは、フラッシュの光を完全に遮断していた。


 一応、ロープによって通路は確保されているものの、詰めかけた報道陣の圧に、配置されていた警備員たちに緊張が走る。しかし、そんな雰囲気とは裏腹に、セレナはサングラスを額まで押し上げると、報道陣に向かって笑顔で手を振ってみせた。その一瞬で、フラッシュの光量が倍にまで跳ね上がる。そんな光を浴びる彼女は、反対側にいる報道陣たちにも同じように笑顔を向けたのだ。


「……お嬢様、そのくらいで」


 セレナの傍にいた白髪の男が、身をかがめて彼女の耳元でささやいた。しかし、セレナはそれを笑顔で無視する。


「こういうことは大事なのよ。最初で好印象を持ってもらえれば受け入れてもらいやすいから。あなたは、わたしが誰かに笑顔を向けてるのが嫌なだけでしょう?」

「それは……」


 それ以上、男は何も言わず、ため息だけを残して姿勢を戻した。


 やがて、過度なサービス精神によって熱を帯びた空港を出ると、彼女を待っていたのは黒い高級車と、見るからに緊張した面持ちで立っているスーツ姿の男たち。


 彼らはセレナに対して、ドイツ語で話しかけてくる。


 しかし、


「ああ、わたしはスキルで多言語を話せるから日本語でいいわ」


 それを流暢な日本語で返したのだ。それに彼らは目を見開いて顔を見合わせると、慌てて彼女へと向き直った。


「あ、ありがとうございます。わたしはアストラルコーポレーションの者です。日本に滞在する期間、我々が全面的なサポートをさせて頂きます……!」


 恐縮気味な男に、セレナは「よろしくね」と一言だけ穏やかに返した。


「会談に関しては、明日お迎えにあがりますので本日はホテルのほうで疲れを癒やしてください」


 そんな言葉に、セレナはすこし考えるような仕草をしてから男の顔を見る。


「別に疲れてないから、このまま行きたいところに向かっても構わない?」


 それに男は意外そうに驚いてから、「問題ありません」とすぐに答える。


「じゃあ、どこかアニメのコスプレできる所に連れてって。わたし、一度そういうのしてみたかったの」


 その返しに、男は別の意味で面食らったようだった。


 やがて、高級車に乗り込んだセレナ。その隣に座った白髪の男は、またもや疲れたように息を吐く。


「今度は仮装ですか……」

「これも大切なアピールよ。受け入れてもらうには、受け入れてもらいやすいポーズを取らないと」

「受け入れるかどうかは向こうが勝手に判断することです。そして、お嬢様を受け入れないところがあるとは思えませんので、これはやり過ぎだと思いますね」


 彼の毅然とした言葉にセレナは呆れる。


「ほんとに嫉妬深いわね……。確かに日本は何でも受け入れてくれる民族だけど、それでも歴史において、差別意識が全くなかったわけでもないじゃない? 向こうが歓迎してくれるのなら、こちらもそれ相応の熱量を見せることが最善なのよ」

「わかりかねます。わたしには媚びているようにしか思えません」


 それでも、強く反対の意見をこぼした彼に、彼女は笑うしかなかった。


「媚びていいのよ。結局は、内側に入り込んでからが始まりなんだから。それに日本人はわりと冷静な民族よ。媚びたからといって舐めた態度を取るような人たちじゃないわ」

「そうですか……」

「これでも、この一ヶ月でだいぶ調べたんだから安心して。彼らは思っている以上に慎重で抜け目ないわ。表向きは笑顔を取り繕っていても、内側では冷酷なまでにその価値を測ってる」


 そう言ったセレナは、楽しそうに窓の外の景色を眺めた。


「だからこそ、日本にいる変異体は相当生きるのが難しいはずなのよ。それが――狙い目ね」

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