第53話

「まさか、この短期間で目標レベルまで上げられるとは思いませんでした」


 呆然と立ち尽くす茜が漏らした呟きには、達成感よりも信じがたい驚嘆のほうが多く入り混じっていた。その瞳に映るのは、彼女自身のステータス。そこに記載されるレベルは87であり、各数値も300をゆうに超えていた。


「レベリングは、魔物だけを倒していけばそう難しくないはずです。ただ、企業が積極的に行うレベリングはランクBになると中断してしまうというだけで」


 黒井は、そんな茜を眺めながら答えた。


 レベリングは企業所属の探索者が最初に行うプログラムだが、それはあくまでも戦力になるまでの過程だったりする。レベルが上がりある程度戦えるようになると、今度はチームとして動くようになるため経験値も入りづらくなるのだ。


 しかし、それが間違っているかと問われればそうではなく、それまでは個として動いていた戦闘が連携に変わり、より強い魔物を倒せるようになる。それは、日本が推奨する攻略班としての形。その連携は被害を最小限に抑える役割を果たしたが、同時に、上位ランカー排出を阻害する要因のひとつでもあった。逆にいえば、日本は上位ランカーがいなくとも平穏を維持できるほど平和な国であるとも言えるだろう。


「茜さんは戦闘経験もあるのでランクAに昇格できると思います」


 黒井は、魔眼を通して彼女を視る。その魔力回路は、紛れもなくランクAの質を兼ね備えている。


「ありがとうございます。黒井さんの力なくしてはここまで至ることはできませんでした」


 そんな感謝に黒井は首を振った。


「茜さんならいつかそのレベルに達していたと思いますよ。問題は、そこに至るまでに生きているか死んでいるかの違いです」


 それに彼女はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。


「黒井さんは……昇格しないんですか?」

「前にも言ったと思いますが、俺はヒーラーです。ヒーラーは高ランクである必要がありません。企業も高ランクのヒーラーを一人抱えるより、ほどほどのヒーラーを数人抱えているほうが給料も安く抑えられるはずですから」

「ですが、黒井さんはタンクもできますよね? 高ランクのタンクなら企業も喉から手が出るほど欲しいはずです」


 なおも言いすがる茜に、黒井はやはり毅然として首を振った。


「言い方が悪かったですね。俺はもう、攻略組に戻るつもりがないんです」


 大きな理由はやはり、黒井が鬼であるということだった。しかし、それを言えるはずもなく、そう言ってしまうしかない。


「もったいないです……わたしがこの一ヶ月見てきた黒井さんは、これまで見てきたどの探索者よりも優れているように見えましたから」


 諦めたように落胆する茜に、黒井は笑いかけた。


「それは俺のセリフです。本当は、茜さんに協力するつもりなんて全くありませんでした。ですが、あなたのような探索者を失うのは惜しいと思ったんです」


 黒井が見る茜は、探索者として在るべき姿を完璧に持つ探索者だった。だからこそ黒井は鬼だとバレるリスクを背負ってまでもレベリングに協力をした。


 そして、それはようやく終わる。


「ランクAに上がったら一番に報告しにきます」

「わかりました。あと、長谷川さんにも報告してあげてください。あの人、茜さんのことが心配みたいで頻繁に連絡してくるんですよ」


 茜の言葉に頷いてから、黒井は困ったようにそう付け加えた。


 どうやら、茜が黒井と共にダンジョン攻略に参加していることは長谷川の耳にも入っていたようで、直接的な接触はしてこなかったものの数日置きにスマホに連絡がきていた。それに黒井は、つくづく不憫な人だとため息を吐かざるを得ない。なぜなら、自分の手から離れた探索者のことまで彼は心配していたからだ。


 とはいえ、その連絡はここ数日途絶えている。その理由を黒井は、日本にくる上位ランカーのせいだろうと推測していた。



――セレナ・フォン・アリシア



 欧州連合に所属するドイツの探索者であり、そのランクは測定不能の者にだけ与えられるS。それは、企業というよりも国が持つ最高戦力に数えられるランクですらある。しかも、セレナ・フォン・アリシアは、その境地に若干19歳という若さで到達した怪物であり、見た目の美しさからも人気を博する超有名人でもあった。


 そんな人物が日本に来るということで連日ニュースの話題はもちきり。さらには、彼女の来日目的はアストラとの会談だと言うのだからそこの探索者管理部にいる長谷川が忙しくないはずがない。


 一部では、ドラゴン討伐を果たした鷹城塁を引き抜きにきたと噂されているが、その可能性は低いという見解のほうが多かった。


 なぜなら、上位ランカーが注目するほどの探索者が日本に誕生したのならば、真っ先にアメリカが唾を付けに来るだろうと考えられているため。


 もちろん、そんなものは世界情勢の側面から考えだされた暗黙に近い見方に過ぎなかったが、あながち馬鹿にもできない。


 現在、アジアでランクSの探索者を保有する国は中国、インド、シンガポール、韓国の4国のみである。もしそこに日本が含まれるようなことになれば、もう少し大きな話題になってもおかしくなかったからだ。


 しかし、実際にニュースが報道していたのはそんな重苦しいものではなく、来日するセレナ・フォン・アリシアの人物についてや、彼女がSNSに上げた休日の写真など微笑ましいものばかり……。それはもはや、有名人が日本に観光しにくる、くらいの印象でしかなかった。


 ともあれ、自分には関係ないことだと傍観を決め込む黒井。敢えて言葉にはしなかったものの、心のなかでは長谷川さんの多忙に同情を禁じ得なかった。


「昇格、頑張ってくださいね」

「はい」


 そして、茜には言葉にしてエールを送る。セレナ・フォン・アリシアのお陰で彼女のことはほとんど話題に上がらなくなっていたものの、世間が彼女に下した惹句じゃっくは厳しいものばかり。


 それでも、彼女なら再び攻略の最前線に戻れるだろうと黒井は確信していた。

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