第48話

「暗くなる前に、森を抜けられて良かった」


 荒崎は、月が浮かぶ夜空を眺めたあと、自分たちが登ってきた経路を見下ろして微笑んだ。


 現在、グリードを先頭として進む探索者集団は、ダンジョンコアがある山の中腹にいる。そこから先は、木々の少ない岩肌が目立つ地形となり、視界は広くなっていた。


 未だ森にいたなら、どこから襲ってくるかも分からない魔物に神経をすり減らしながら進んでいた可能性を思い、彼は一息つく。


「ここからは戦闘員が先に立ってくれ。案内はもう必要ないだろ?」


 それにマーガレットが筋肉を見せつけるようなポージングをしてから「ご苦労さまっ」とウィンク。どう考えても感謝を現すエモーションを間違えている。


「わたしの筋肉たちもお礼を言ってるわっ」


 どうやら、間違えていなかったらしい。


「にしても、あの二人マジで付いてきてねぇな」


 催馬楽は、ハイペースで登ってきたせいか息を乱している参加枠の探索者たちを眺めていた。その中に、黒井と茜の姿はない。


「レベルを上げることに焦ってるんだろうさ。あれだけ世間で騒がれたんだ。探索者として復帰するには、レベルを上げてランクAになるしかないからな」


 荒崎はそう言ってから、


「まぁ、それで死んでちゃ意味ないが」


 そんな皮肉を付け加える。


「悠長なもんだ。わたしらは企業所属だから、ダンジョン攻略を優先しなくちゃならないってのに」


 催馬楽は吐き捨てるように言った。


「そんなこと言わないのっ。あの子達はより多くの魔物を倒すレベル上げが目的で、わたしたちはより多くのダンジョン攻略をして知名度を上げるのが目的。どっちも同じようなものでしょ?」

「だとしても、行動を共にするくらいはするだろ? 普通。……そんな団体行動もできねぇから、見限られたんだろ」


 マーガレットがなだめるが、催馬楽の罵倒はとまらなかった。


「まぁ、あの二人のことは後で報告すればいいさ。攻略に協力的じゃないのなら報酬は減らされるだろうし、彼らもそれで理解するだろう。……まぁ、それも生きてゲートから出られたらの話だがな」


 荒崎は、参加枠の探索者たちがある程度回復したのを見てから、今もなお輝きを放つダンジョンコアへと視線を移した。それはまだ小さな光だったものの、確実に近づいている実感をわかせてくれる。


「俺たちはこのまま先を――」


 荒崎がそう言いかけた時だった。


「危ないわよ?」


 マーガレットが荒崎を押しのけて前に立つ。何事かと体制を崩しながらも振り返った彼は、夜空から……何か、大きな塊が降ってくるのを見た。


「大胸筋要塞フォートレスッッ!!」


 マーガレットの雄叫びが響いた。降ってきた塊は、その鍛え上げられた上半身に着弾して粉砕。


 叫んだのはスキル名ではなかった。それは、マーガレットが攻撃を防ぐときの掛け声。


 つまり――敵襲。


「荒崎! 敵はどこ!」


 催馬楽が猟銃を構えて叫ぶ。その声とほぼ同時に、荒崎は周囲の敵を探した。


「範囲外だ! 見当たらない!」


 しかし、彼のスキルで魔物を感知することはできず、塊が飛んできた方向を目視で見渡すしかない。


「距離があるってことは、向こうも遠距離しかしてこないってことよ? ゆっくり探しなさい」


 鬼気迫る会話に、マーガレットが余裕ある意見を挟んだ。その肉体にはダメージがまるで入っておらず、マーガレットは微笑みながら前方だけを見据える。


 やがて、再び空から塊が降ってきた。それは大きな岩で、落石とは思えない弧を描き探索者たちへと降ってくる。


「背筋防御ディフェンスッッ!」


 マーガレットが美しいポージングとともにそれを防ぐと、催馬楽が岩の飛んできた方向を視線で辿ってから舌打ち。


「近づいてくるんじゃなく、上から攻撃してきてるってことはそこそこ知能があるぜ!」


 彼女は、険しい表情で山肌の上を見上げた。どうやら岩は、その先から飛んできている。


「一旦様子見かしら? それとも攻撃を防ぎながら進む? わたしは、どちらでも構わないわよ」


 マーガレットの提案に荒崎は鼻を鳴らした。


「舐められたもんだ。俺はサポーターだが、これでもレベルは80だぞ? 怖がって遠くからしか攻撃してこないような魔物なら何とかなる。先行して見てこよう」


 荒崎が髭のなかで口の端を吊り上げると、腰のベルトに差していた手斧を抜いて緩やかな傾斜を走りはじめた。


「俺は他のサポーターのような敏捷さはないが、代わりに物理的数値が高いんだ」


 自信満々な独り言のまま彼は山肌を登りきった。その言葉通り決して足は速くなかったものの、その速度が落ちることはなく、荒崎は動きを保ったまま山肌の先を乗り超えた。


 その先は下った斜面になっていたが、荒崎は滑り降りながら周囲を警戒する。


 そして、ようやく彼の感知スキルが魔物の存在を捉えた。


「こいつは……思ったよりも団体さんだったか」


 スキルが捉えた魔物の数は10体ほど。それは荒崎の予想を超えていたものの、彼が怯むことはない。斜面を滑り終えた荒崎は、そのまま近くの岩陰に張り付くと、得体のしれない魔物との邂逅を想像し恐怖を愉しんでみせた。


「さて、正体はなんだ?」


 これまでの大胆な動きを止め、今度は慎重に岩沿いを進む荒崎。魔物の姿はまだ見えなかったものの、位置は把握できている。危険のない距離ギリギリまで進んだ彼は、そうっと首だけを岩陰から覗かせた。


 そこにいたのは大猿だった。人型でありながら、全身に毛をはやし、発達した長い腕を持つ大きな猿の群れ。


「岩を飛ばしてたのはアイツか……」


 そんな大猿たちにも個体差があるのか、群れの中には一際大きな猿がいた。その猿に、他の猿たちが岩を運んでいる光景が見えた。


 群れのボスなのかもしれない。そのボスは、運ばれてきた岩を片手で持ち上げる。


 あれを投げられてもマーガレットが防ぐだろう。だから、わざわざ急いで知らせに戻る必要はない。


 そう考えた荒崎は、敵の正体を掴んだことで来た道を慎重に戻り始める。


 その時になって、彼はふと思ったのだ。



――なぜ、あのボス猿は、ここから正確に岩を投げることができたのだろう、と。



「キィッ、キイッ!」


 その時、空から奇妙な鳴き声がした。


 見上げれば、この付近によく生える針葉樹のてっぺんに、比較的小さい猿が掴まっているのが見えた。その猿がいるのは、スキル範囲外の遥か頭上。


 どうやら、奴が探索者たちの位置をボス猿へと伝えていたらしい。いわば、探索者でいうサポーター。


 そして、そのサポーターの役割を担う猿は、荒崎のことを見下ろしていたのだ。


 まずい。そう思った瞬間、荒崎は岩壁から離れて走りだす。


 しかし、その行く手に別の大猿が着地したため、止まることを余儀なくされた。


「くそったれ! 最初から見られてたってことか!」


 荒崎は手斧を構えると、大猿に向かって吠えた。だが、その数がたった一体であることにほくそ笑む。


「舐められたんもんだ……俺はこれでも、そこそこ戦えるんだぞ?」


 そして、その笑みは――続々と上から降りてきた大猿たちによって掻き消されてしまう。


「嘘だろ……まだ、こんなにいたのか……」


 荒崎はサポーターだったものの、彼は他のサポーターよりも戦闘に特化したサポーターだった。


 故に、独りで先行しても遭遇した魔物とある程度戦うことができ、そのおかげで彼はこれまで生き延びることができていた。それだけじゃなく、魔物を倒せば倒すほどにレベルは上がり、いつしか彼はサポーターにして、ランクBという位置にまで成り上がる。


 しかし……いくらランクが上がったとしても、荒崎が戦闘員になることは決してなかった。サポーター職がいくら強くなろうと、戦闘職の探索者には到底及ばなかったからだ。


 そして、他のサポーターよりも戦える代償なのか、彼の感知スキルの範囲はそれほど広くはない。森のように視界の狭いフィールドではその範囲でも十分だったが、今のように開けたフィールドでは、先に敵が荒崎を発見する可能性があった。


 それは、サポーターという役割に徹していたなら、すぐに思い浮かぶはずの不安要素。


 しかし、これまで上手くいっていた戦闘経験が、荒崎の思考を曇らせた。


 やがて、降りてきた大猿たちに荒崎は取り囲まれる。その数は10体ほどではなかった。彼が感知していたのは、ボス猿の周囲にいた猿たちだけだったのだ。


「逃さないつもりか……」


 それでも、荒崎は手斧を構えて戦闘に備える。表情は険しかったものの、いまだ絶望はしていない。


「キィ! キィッ!」


 大猿たちは、耳障りな鳴き声を発しながら様子を窺っていた。


 その、まるで観察されているような感覚に、荒崎は手斧を握る手に力を込める。


「動物園にいるような猿ごときが、人間様を見てんじゃねぇえ!!」


 爆発した怒りとともに荒崎は、大猿の群れに向かった。



「――んもぅ。荒崎のやつ、遅いわねぇ」


 マーガレットはそう言いながら、何度目になるか分からない岩の放擲を肉体ひとつで防御する。


「どっかで用でも足してんじゃねーの?」

「こら、女の子はお花を摘むって言いなさいよ」

「今どきそんなこと言わねーし、あんな大男が花摘みとか気持ち悪いだけだろ……」


 マーガレットの指摘に、催馬楽は顔を引きつらせる。


 そんな会話をしていると、再び岩が探索者たちめがけて飛んできた。


「あー……、どうやら荒崎のやつ失敗したらしいわね」


 マーガレットの言葉に、催馬楽は前方を見る。彼が逃げ帰ってきたと思ったからだ。


 しかし、どこにも荒崎の姿はない。


「どこにいんだよ?」

「ここよ」


 その瞬間、飛んできた岩をマーガレットが掴んだ・・・


 いや、飛んできたそれは岩ではなかった。


「荒崎……」


 催馬楽はそれに気づいて彼の名前を漏らす。マーガレットは、悲しげな表情を浮かべていた。


 山肌の向こうから飛んできたのは、投げやすいように手足をもがれた荒崎の死体だったのだ。


「ねぇ、サイちゃん。これからどうする?」


 マーガレットはそんな表情のまま催馬楽へと問いかける。


 そして、荒崎の無惨な死体に遅れて気づいた他のグリードのメンバーたちが悲鳴をあげた。


「どうするもなにも……やるしかねぇだろ? というか、荒崎はただのサポーターだったからな」


 その返答に、マーガレットは微笑んだのだ。


「サイちゃんのそういう男気質なところ、わたし大好きよ?」

「……気持ち悪いからやめてくれ」


 そしてやはり、催馬楽は顔を歪めて吐くような仕草をしてみせた。

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