第47話

「わたしたち、こんなにノンビリしてていいんですかね……」


 橙色に光る空が、夜の黒を帯びはじめた夕刻。たき火を前にして座る茜は不安そうにそう呟いた。


 その手に持っているのは、よく焼けた串刺し肉。手頃な大きさにカットされたその肉は、旨みのある汁成分を垂らしながら彼女の食欲を刺激している。おそらく、耐性を付けるために無理やり食べさせられた毒植物の記憶が、味の上書きを本能的に要求しているのかもしれない。『魔物の肉』という概念を前にしてなお、茜は口のなかから溢れるよだれを止めることができなかった。


 そして、


「黒井さんは、その肉――焼かなくて大丈夫なんですか……?」


 彼女が串刺し肉から顔をあげると、下処理だけが済んだ生肉を頬張っている黒井に訊く。


「……え?」


 そんな黒井は顔をあげると自身が食べていた生肉を見て驚き、含んでいた肉を飲み込んでから残りを急いでたき火に投げ込んだ。


「魔物の肉は無菌だから問題ありませんよ。奴らには魔力耐性がないので……ははっ」

「いえ、そういうことではなく味的な意味で訊いたんですが……」

「俺はあまり焼かないほうが好きなんです」

「じゃあ……今のは、たき火に入れなくても良かったんじゃないですか?」

「いや、もうお腹いっぱいなので捨てたんですよ……」


 黒井の曖昧な返事に茜は小首を傾げた。たき火に投げ入れられた肉は、調理どころか火に巻かれて食材としての価値すらなくなっていく。


 その光景を見ながら、黒井は気づかれないよう息を吐いた。


 魔物の肉は危ないな……。


 彼は、茜の持つ串刺し肉のように焼いて調理を行う予定だったのだが、まるでそれが本来の食べ方とでもいうかのように自然と生肉を食してしまっていた。


 咄嗟にでた言い訳のように、魔物の肉は無菌であるため生肉でも衛生上の問題はなかったが、実は魔力的な問題で食べてはならないとされている。


 焼いていない魔物の肉には、魔力が含まれているからだ。


 それを取り込んでしまうと、自身の魔力と反発をしてしまい死に至るケースがある。


 しかし、食べてみて分かったことだが、黒井は取り込んだ魔力をそのまま自身の魔力へと変換することができた。これは、他者の魔力で自身の魔法を発動するようなもので、その事実に我ながらゾッとしてしまう黒井。


 その変換効率の良さが、無意識に生肉を欲してしまう理由なのかもしれない……。考え方によっては、手間いらずで魔力を即座に補充できる利点にもなりえるが、人前でそれをすると、鬼であることがバレる要因にもなってしまう。


 火に巻かれて溶けていく肉は、黒井の未来を暗示しているようで、眺めていると冷たいものを背筋に感じた。


 黒井はその考えを頭から振り払うと、先ほど茜が呟いた疑問に対する答えを提示する。


「食事が済んだらすぐに準備を整えてください」

「……準備? 寝る準備ってことですか?」


 そんな茜の返答に、今度は黒井が疑問符をうかべる。


「ここにきた目的はレベリングですよ? 魔物を狩るに決まってるじゃないですか」

「ですが……夜は、強い魔物がでてきま――」


 そこまで言いかけた茜は、あっと何かに気づいたように声を漏らした。


 黒井は、それを待たずに説明に移る。


「俺が先行するので、襲ってくる魔物は茜さんが片っ端から殺してください。グリードの人たちの進行が早ければ、数時間後にはダンジョンコアに到着するはずです。それまでに、上げれるだけレベルを上げましょう」

「……わかりました」


 茜は頷くと、残りの肉を頬張ると、もくもくもくと急いで食べはじめた。しかし、一口一口が小さいせいなのか、なかなか肉は減らない。


 もくもくもくもく。


「……ゆっくりでいいですよ」


 さすがに言わないわけにはいかなかった。



 ◆



 茜の準備が整ったことを確認した黒井は、たき火を足で踏み消すと、無警戒のまま夜の森を進んだ。


 とはいえ、黒井の魔眼には魔物の魔力回路が映るため無警戒とは言い難く、襲ってもらうことが目的でもあるため無警戒に見えるだけ。わざわざ音をたてて歩く彼の探索は、他の探索者からしてみれば危なっかしく見えたに違いない。


 事実――黒井の前の木々からは、全身を毛で覆われた巨大な熊が姿を現した。


 魔眼で見れば、筋骨隆々の体のなかに、まるで詰め込まれたかのような魔力が脈々と流れていた。紛うことなき猛獣型の魔物。奴らに知能はないものの、物理的な筋力値と張り巡らされた魔力回路の構造が、生まれついた凶暴なスキルを持ち合わせ、詠唱などなくとも本能によって彼らはそれを発動させる。


 闇の中で愚鈍な巨体が突然うねり、その大きさからは想像もつかない加速で熊の魔物が黒井へと突進を開始した。見えた白い牙からは、黒井を轢き殺さんとするシンプルな凶暴さが迫る。


 黒井は無言で盾を前に突きだすと、正面衝突をさない構えをとった。トットッと爪が地面を蹴る間隔が急激に短くなり、衝撃が起こるカウントダウンまでもが早まっていく。


 しかし――後方から飛んできた矢が、その速度にブレーキをかけた。それが熊の眉間へと深く突き刺さった途端、凶暴な顔つきが歪んで突進が傾いた。


「さすがだな……」


 呟いた黒井の真横を、熊は猛スピードで駆けた。吹き抜けた生ぬるい風には獣臭さがあり、その根源は黒井の斜め後方に倒れて沈む。


 熊を一撃で仕留めた技術に黒井は感嘆した。


「大丈夫ですか?」


 そんな技術を傲りもしない茜が、茂みの中から現れると倒れた熊を無視して黒井に駆け寄ってくる。


「茜さんが仕留めてくれたので無傷です」


 黒井は、茜の心配を晴らすためノーダメージをアピールしてみせる。しかし、何故か彼女は浮かない表情のままだった。


「いえ、無傷なのは分かっているのですが……こんな無茶なやり方に恐怖はないのかな、と……」


 どうやら、精神的な心配をしてくれていたらしい。


「全然怖くないですよ。それよりも、レベルはどうですか?」

「……一つ上がりました。それほど強い魔物ってことです」

「なら、この調子でいきましょう」


 黒井は笑顔で会話を終わらせると、再び森の奥へと分け入っていく。


 茜はそんな彼の後ろ姿を呆然と眺め、仕留めた熊の死体に視線を移した。


「ランクBのアサルトベア……高ランクのタンクですら冷や汗をかく魔物のはずだけど……。とにかく急所を外さなくて良かった」


 茜はホッと胸を撫で下ろすと、気を引き締めなおして黒井を追いかけた。そして、「もしかしたら自分のために強がってくれたのかもしれない……」などと黒井の気持ちを察してみる。


「茜さーん! はぐれると危険ですし、魔物と遭遇する速度もあげたいので音を出しながら進みますねー!」


 しかし、盾と鎧をかち合わせ、暗い森の中で音を鳴らしだした黒井を見ると、それは妄想だったのだと悟る。


 そして、冷や汗をかくことになったのは茜の方だった。

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