第44話 

「まだ支部に居たんですか」


 黒井がダンジョンのメンテナンスを終えて茜に連絡をすると、彼女はまだ支部にいた。


「帰ってもやることがないので。いつもなら、訓練施設にいるのですが」


 淡々と返された答えに、黒井は何も言えなくなってしまう。茜がスーツを着ているせいだろう。会社をリストラされて時間を潰すサラリーマンを思いだしてしまった。


「……それよりも、連絡をくれたってことは一緒にギルドを立ち上げてくれるってことですか?」


 はやる問いに、黒井は彼女の向かいに座ってから答える。


「違います」


 彼女の表情には、落胆の色が滲んだ。


「では、なぜ連絡をくれたんですか……?」


 そして、ムッとしたように怒りが眉根に現れる。


「待ってください。そもそも、ギルドを立ち上げても実力がなければ意味がないって話はしましたよね?」


 それを宥めるように黒井は慌てて話を付け加えた。


「はい」

「現状、俺と茜さんがギルドを立ち上げたところで仕事は入ってきません。ランクが低いからです」

「ランク……」


 黒井の説明に、茜は目を細めて繰り返す。


「もちろんランク自体が低いわけじゃなく、ギルドとしてやっていくのなら低いという話です。せめて、ランクAの探索者がいないと」

「そういうことですか……」


 茜は納得したようだったが、その表情は浮かない。


「わたしは……アストラ以外でランクAの探索者とは繋がりがありません。それでも、ギルドに入ってくれる人を探さなければいけないってことですね?」

「違います」


 交友関係の浅さを重苦しく述べた茜。彼女は、ランクA探索者を他に探さなければならない事実を受け入れようと努力する。しかし、黒井はそれを即座に否定した。


「茜さんがランクAに昇格すればいいんです」


 そして、黒井の口から軽く語られた回答に、茜は険しい表情。


「失礼ですが……ランクAへの昇格がどれほど難しいか理解してますか?」


 それに黒井は頷いた。

 

「ランクはいわば国家資格ですから、その難しさは知っているつもりです。魔力測定に模擬戦闘……茜さんは物理系統の探索者なので、模擬戦闘で好成績を収めなければいけません」

「あの……簡単に言いますが、ランクAの昇格戦なら相手をするのは探索者協会に所属するランクAの探索者です。今のわたしではとても――」

「茜さんは今、レベルはいくつですか?」


 黒井は、彼女の主張を遮ってレベルを訊く。


「……65です」


 それに茜は渋々答えた。黒井は率直に、ランクBにしては少し低いなと感じる。しかしそれは、裏を返せば、低いレベルでランクBまで上り詰めた実力者であるということ。


 黒井は、可能性を大いに感じた。


「じゃあ、あと15……いや、キリがいいので20を目標にしてレベル上げをしましょう。80レベルを越えれば、茜さんの実力でランクAに昇格できます」

「20……」


 その数字に茜はしばらく唖然とする。


「レベルは高くなればなるほどに上がりにくくなります。20も上げるのは難しいように思えますが……」

「タンクがいればそこまで難しいことじゃありません。そもそも、攻略組を組織する企業は、まずはじめに優秀なアタッカーよりも優秀なタンクを必要とします。タンクがいればレベリングが可能だからです」

「ですが、レベリングをしてくれるタンクなんて……」


 そう言いかけた茜は、目の前で微笑む黒井に、妙な違和感を覚えた。


「まさか、黒井さんがタンクに……?」


 そして、ふと浮かんだあり得ない可能性を問いかけてみる。


「茜さんは今、武器になるようなものをお持ちですか?」

「短剣なら緊急用に……」

「お借りしても?」


 それに茜は、ベルトに装備していた短剣を不審そうに黒井へと手渡した。それは、普通の人であれば銃刀法違反の対象。しかし、ライセンスを持つ探索者だけは緊急用として許されている。とはいえ、ゲートに入る以外での所持は短剣くらいが精一杯ではあったが。


 黒井は渡された短剣の鞘を外す。そして、なんの躊躇いもなく、刃を手のひらに突き刺して貫通させたのだ。


「なッッ……!?」


 その行動に茜は驚く。まぁ、当然の反応。


「俺はタンクじゃありませんが、ヒーラーとして回復速度には多少自信があります」


 黒井は、痛みを感じさせない口調のままそんなことを語った。やがて、貫通する刃をゆっくりと引き抜いた。


 そして茜は、彼の手から血がまったく出ていないことに目を見張る。


「ダメージレースなら、タンクと同じ役割を果たせると思います」

「そんな……」


 たった今まで刃が貫通していた黒井の手は、まるで手品でもしたかのように無傷だった。


「ダンジョン攻略を目的とした企業の募集に、片っ端から参加しましょう。ランクAになりさえすれば、誰も茜さんを無視できませんし、ギルドへの勧誘がしやすくなるはずです」


 そして、黒井は呆然とする茜に笑顔でそう言ってみせたのである。


「あの……黒井さんのレベルはいくつなんですか?」


 やがて、彼女は恐る恐るそんな質問をしてきた。


 黒井はそれにどう答えるべきか迷ったものの、説得力を増すために嘘は吐けないと判断する。


「93です」


 呆然とする茜の目は、さらに大きく見開かれた。


「93……それなら、黒井さんのランクを昇格させるのが先ではありませんか?」

「俺がランクを昇格させたら、おそらく茜さんのレベリングには付き合うことができなくなりますよ」


 黒井は冷静にそう告げると、「それに――」と続けた。


「俺がどんなにレベルを上げても、ヒーラーの戦闘力には限界があります。ランクAになったからといって、ダンジョン攻略ができるわけでもありません。そして……その事をみんなが理解してしまっている」


 そんな現実に、黒井は力なく笑うしかなかった。


「魔物を倒すことが仕事の探索者にとっては、誰かを救える非戦闘員よりも、魔物を倒せる戦闘員のほうがよほど価値があります。たとえ、ランクAのヒーラーやサポーターがいたとしても……ダンジョン攻略ができないギルドに金を払う人はいないんです」


 茜は、静かに黒井の言葉を聞いていた。そして、“みんなが理解してしまっている”という彼の言葉に漏れることなく、茜もまた、その理屈に反論することができなかった。


「わかりました……レベリングの協力をお願いします」


 だから、彼女はそう言って黒井に頭を下げるしかなかった。

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