第43話

――考えておきます。


 黒井がそんな返事をしてしまったのは、自分のせいで彼女が道を踏み外してしまったのではないかと思ってしまったからだった。


「そんなわけ、ないのにな」


 たとえ彼女の選択に黒井の存在が影響していたとしても、結局探索者の道を選んだのは茜自身。その決断に黒井が罪悪感を感じる必要はなく、関わらなければならない必要すらなく、責任を取らなければならない理由もない。むしろ、それが原因で彼女に協力をするのなら、それは黒井の傲慢さでもある。

 

 しかし、それを理解していても、黒井は茜の勧誘を断ることができなかった。


「やっぱり、もったいないよな」


 思い出される横浜ダンジョン内でのオークの死体。そして、その脳天に刺さっていた矢の数々。


 あそこまで弓の練度を上げるのは並大抵ではなかったはず。


 これまで魔物を倒すためだけに磨いてきたものをふいにしてしまうのは、惜しいと黒井は考えてしまう。


 そしてなにより、これまで見てきたどの探索者よりもダンジョン攻略に誠実な彼女の姿が、探索者として在るべき真の姿なのではないかと思ってしまったのだ。


「グギャーー!」


 渡された茜の連絡先をぼうっと眺めていたら、ゴブリンが正面から襲ってきた。その頭を掴んだ黒井は、まるで水風船でも握り潰すかの如くゴブリンを殺したあと、現在ダンジョンメンテナンスの最中であったことを思いだす。


「そういえば、ゴブリンにも角ってあるんだよな」


 汚れた手のひらに残るゴブリンの角。


 もしやと思い、黒井は再び現れたゴブリンに向かってスキル【雷の支配】を使用してみる。


「――ハック」

「グギャッッ!?」



――雷の支配に成功しました。



 ゴブリンは呆気なく黒井の軍門に下った。


「お前、名前は?」

『グギャ!』

「ぐぎゃっていうのか?」

『グギャギャ!』

「……話せないのか?」


 さっそく話しかけてみた黒井だったが、そのゴブリンは角を通した会話でも魔物語しか喋らない。


「俺の言葉はわかるか?」

『グギャ!』


 果たして、分かっているのか分からない返事。


「先に行ってゴブリンに攻撃しろ」

『グギャギャ!』


 すると、そのゴブリンは黒井よりも先に駆けていき、別のゴブリンを攻撃しはじめる。どうやら、命令は理解できているらしい。


 ただ、


「ギャッッ……」


 さすがに一体で他のゴブリンたちを倒すのは難しかったらしく、そのゴブリンは返り討ちにあい殺されてしまった。


 ゴブリンは群れて探索者に襲いかかってくる魔物。仲間意識が強いせいか裏切り者には容赦せず、彼らは、黒井の軍門に下ったゴブリンを死体になってもなお、手に持つ石や棒で痛めつけていた。


「数か……」


 そんな惨たらしい光景を傍観しながら独り言を呟く黒井。


 やがて彼は、ダンジョン内にいるゴブリンを見つけ次第、片っ端から支配下に置き始めた。


 入れ食い、というのはおかしな表現ではあるが、それに近いゴブリンの乱獲がはじまった。


 そして、気がつけば黒井の後ろには50体ほどのゴブリンがぞろぞろとついて回る。どのゴブリンも定期的に「グギャ」と鳴くため、途切れることないグギャギャ合唱団が形成されてしまっていた。黒井の心境的には、落ち着きのない修学旅行生を連れてまわる学校の先生気分。違う点をあげるとするのなら、生徒が愛することのできない醜い容姿をしていることと、先生が生徒に対して何の感情も持っていない冷徹な人格の持ち主であるということだけ。いや、その相違点をあげてしまったら、先生と生徒の喩えは前提から覆されてしまうわけだが……。


 ともかく、黒井はただ歩いているだけでダンジョンの最奥にたどり着いてしまう。


「グギャアアアア!!」

「――ハック」


 そして、ダンジョンボスであるホブゴブリンですら、秒で黒井は支配下に置いてしまった。


『グギャア!』


――従属するホブゴブリンが、職業【名もなき洞窟の主】を献上しようとしています。受け取りますか?[はい/いいえ]


「いや、それはお前の役割だろ。俺に押し付けんな」

『グギャアアア!』


――従属するホブゴブリンに職業【名もなき洞窟の主】を任命しました。洞窟内の魔物の支配権がホブゴブリンに移ります。


――従属するホブゴブリンに称号【小隊長】を与えました。


「は?」


 突然の天の声に黒井は唖然とした。そんな彼を差し置いて、ダンジョンボスであるホブゴブリンは醜い顔を涙で濡らしながら喜んでいる。


「グギャギャ!」


 やがて、ホブゴブリンは涙を拭うと、グギャギャ合唱団に号令をかけた。


 すると、彼らは瞬く間に整列し、黒井の前に見事なグギャギャ小隊を形成したのである。


『グギャ!』


 そして、彼らを率いるホブゴブリンは、黒井の前で膝をつく。その姿はまるで、命令でも待っているかのよう。


「……とりあえず、俺がまた来るまでに訓練でもしておいてくれ。それと、勝手にゲートの外に出るなよ」

『グギャ!』


 果たして、その命令が伝わっているのかどうかはさておき、今やそのダンジョンには黒井しか訪れないので人間を襲う心配はないだろうと判断する。たとえ外にでたとしても、彼ら程度ならばゲート施設が破られることもないだろう。


「なんか……呆気なくメンテナンス終わったな……。それと、従属する魔物には称号を与えることができるのか」


 黒井は新たな発見とともに、拍子抜けのメンテナンス終了に頭を悩ませる。


 黒井がゲートに入ってから、まだ15分ほどしか経っていない。それは、過去のメンテナンス歴において群を抜く最速記録だった。


「これで戻ったら、いくらなんでも早すぎるな……」


 黒井はしばらく考えていたが、やがて鬼門を開く。


「ジュウホはいるか?」

『はっ! ここに!』


 そこを通ってジュウホを呼ぶと、彼はすぐに黒井の前にやってきて膝をついた。


「頼みたいものがあるんだが」

『なんでございましょう』

「全身鎧と大きな盾を作って欲しいんだ」

『承知いたしました。武器は何にいたしましょう。手甲でございますか? それとも、他の得物にいたしますか?』

「武器はいらない。見た目だけでタンクだと分かればいい」

『はて? タンクとはなんでござるか?』

「……お前らの言葉のレパートリーどうなってんだ。前に烏帽子のことアイデンティティとか言ってただろ。なんでタンクがわからないんだよ」

『はて? レパートリーとはなんでござるか?』

「もういい……」


 黒井は、眉間を手で押さえながら疲れたように息を吐く。


「取りあえず、全身鎧と大きな盾を頼むぞ。変な魔術とかも入れなくていいからな」

『承知いたしました!』


 黒井は、ジュウホの返事を聞いたあとで鬼門を通りゴブリンのダンジョンへと戻ってくる。


「グギャ!」

「グギャ!」


 そこには、二人一組になって戦闘訓練をするグギャギャ小隊の光景があった。


 黒井がその光景に困惑していると、ホブゴブリンがやってきて膝をついた。


『グギャギャ!』


 どうやら、命令を忠実に遂行しようとしているらしい。


「まさか、今度俺が来るまで訓練をし続ける気か?」

『グギャ……!』


 言葉は分からないが、角を通してホブゴブリンのやる気が伝わってきた気がした。


 まぁ、相手は魔物なので訓練のし過ぎで死んだとしても黒井は別に構わない。


 それよりも――。


「お前ら、ほんとに戦闘術のスキルないんだな」


 ゴブリンたちの戦闘訓練のほうが気になった黒井。


 それは戦闘訓練というよりも、ただの喧嘩のように見えたのだ。


「一応、手本見せてやるから集合させろ」

『グギャ!』


 ホブゴブリンの号令により、再び黒井の前に整列したグギャギャ小隊。


 黒井は彼らの前に立つと、格闘術を修得する際に覚えた動きを一通りやってみせた。


「……俺はゴブリン相手に何してたんだ」


 それを終えてから、そんなツッコミを自身に入れてしまう黒井。


 とはいえ、そのおかげでメンテナンスにかかった時間も良い具合に調整することに成功。


「今の動きができるようになれば、格闘術くらいは修得できるはずだ」

『グギャ!!』


 その後、再び洞窟内に散らばって訓練をはじめたグギャギャ小隊。その光景は、前よりはマシに思えた。


 その後、ダンジョンコアを確認してからゲート外に出た黒井は、とある決心をしてから時藤茜の連絡先に電話をかけたのだった。

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