第37話
空から引きずり降ろしたドラゴンは、怒号を轟かせた後で空へ舞い戻ろうとした。
しかし、首に巻きつくワイヤーを黒井が掴んでいることでそれは叶わず、憤怒の蛇眼が向かいくるワイヤーロープの元凶に狙いを定め――ブレスを放った。
灼熱の業火がワイヤーロープを伝うように呑み込んでいく。
やがて、引っ張られてピンと張っていたロープが弛み、首の自由が戻った。ドラゴンはそのことに牙をむき出して口を閉じる。焼き払えなかったブレスの残りが鼻から得意げに漏れ、首をもたげたあとでクリアになったワイヤーロープの先を見下ろした。
「そっちじゃねぇよ」
しかし、自由を取り戻した首は、真横から襲ってきた衝撃によって再びなぎ倒された。
急転する蛇の目が捉えたのは、拳を振り抜いた黒井の姿。ぶん殴られたのだと気づくも、その力に抗えず無様に倒れるしかない。
それでも、黒井の拳は止まらなかった。
「やっぱ硬ぇな」
重力で倒れるよりも先に、次の拳がドラゴンへと次々に振り抜かれ続ける。それにドラゴンは倒れるに飽き足らず、あろうことが巨大な身体が両翼の力もなしに引きずられた。
成すすべはなく、ただ、永遠にも感じられる怒涛の襲撃に耐えるしかない。
それでも、上位魔物としてのプライドが、鋭く太い爪を抗いの一手として素早く動かした。
連打が止まった。その隙を逃さずに、両翼は包む大気を硬い地面へあらん限りの力で送りんだ。巨体が浮き上がり、顔は
しかし、
「どこへ行く?」
ドラゴンは、背後から肩を掴まれた気がした。無論、ドラゴンの肩は人とは違う。それは感覚的な比喩に過ぎない。だが、掴んできた手も人のものとは呼べない。
あまりにも強大な手が、逃れようとするドラゴンを背後から冷たく触れてくるのだ。その温度に、ドラゴンは手の主の冷徹な感情を垣間見る。
殺される――。
傲慢な精神を恐怖が汚染しはじめる。焦った身体は、両翼にもっと早く動くようにと指示を出した。引力のような背後の闇を振り払い、ここから脱しなければならないと慌てた。
そして、片翼への指示が強制的にキャンセルされた。
直後、動かない片翼を起点として、ドラゴンは反応もできない遠心力に見舞われる。
その力にグンッとねじ伏せられ、ドラゴンは岩肌に背中から叩きつけられた。
硬い鱗の破片が、反動で砕けて宙に散り、そのせいで吸収しきれなかった衝撃に巨体が跳ねて反れる。
本来、そんなことくらいでドラゴンの鱗が砕けるはずはなかった。しかし、蓄積されたダメージがその瞬間に限界を迎えていた。
その、あり得ないダメージ量を出した者は、空も飛べないくせに落下しながらドラゴンを見ていた。
そんな、比較をして小さい存在に振り回されている現状と、相手が自分よりも下であるという偏見にもにた主観だけで、ドラゴンは恐怖を上回る怒りを爆発させる。
『貴様ごときが我らを殺すなど、思い上がるなァア!』
その者が思い上がっていたかは分からない。そもそも、仮面のせいで表情が読み取れない。
それでも、ドラゴンはそれを思い上がりだと認識した。
下位の存在が上位の者に牙を向く事態は、思い上がりのナニモノでもないと考えたからだ。
「グォアアアーーーー!!!」
火事場の馬鹿力、怒りによるの限界突破、窮鼠猫を噛む――。窮地に立たされた者が奇跡的な力を覚醒させ、相手に打ち勝つというのは、古来より愛されてきた展開ではある。
それに従い、ドラゴンの体内を巡る魔力が勢いを増して戦闘能力を引き上げた。
しかし、
「うるせぇな……」
引き上げられた力ですら及ばない、圧倒的な存在もまた、愛される展開の一つなのだろう。
ドスンッッと、無防備なドラゴンの腹に拳が食い込んだ。
怒りの咆哮がぶつ切りにされ、汚い濁音が漏れでる。
背中の岩肌にヒビが入り、それでも止まぬ連打の地獄が再び始まりを告げた。
それに耐えきれるかどうかは、ドラゴンの精神力に委ねられる。……まぁ、あれだけ得意げな態度を取っていたのだから、今度もまた耐えるに違いない。
無情な追撃が、速度を増しはじめた。
◆
なに、この戦い……。
茜は、声をだすこともできない麻痺した身体で、目の前の光景をただ見ていた。
それはドラゴンと突如現れた仮面の者との戦い。いや、もはやそれは――仮面の者による一方的な暴力にも近い。
今にも押し潰されてしまいそうな重い空気が、より重い空気によって上書きされ、容易く揺れる。
その度に、肺がわし掴みにされたような感覚に陥って、苦しさから自然と涙がでてきた。
「……ハァ……ハァ……ッッ!!」
呼吸もできないほど魅入っていたわけじゃなく、本当に呼吸ができなかった。轟く衝撃によって大気中の魔素が波及するように偏り、濃すぎる魔素の塊が彼女の身体を蝕んでいたのだ。
そんな彼女の身体がひょいと浮き上がる。視界には屈強な体躯が見えた。
「ガァアアア!」
聞こえた声に、自分は鬼によって持ち上げられたのだと理解する。
このまま運ばれて殺されるのかもしれない。そう思ったが、その場にいてもきっと呼吸困難で死んでいたことを思い、観念した。
どちらにせよ、自分が太刀打ちできるダンジョンではなかったのだ――。
『急ぐでござるぅう! このままでは、我らが殺したことにされてしまうでござるよぉお!』
『わかっています。主君はとても冷たいお方……たとえ、主君の戦いの余波のせいで人間たちが死んだとしても、何食わぬ顔でわたしたちは殺されるでしょうね』
『ごちゃごちゃ言ってないではやく人間たちを洞窟に運ぶでござりまするよ!』
烏帽子三人衆は、大急ぎで人間たちを洞窟に運んでいた。彼らには巨大蜘蛛の殲滅を命じられていたものの、奴らはドラゴンと黒井の戦いの影響で、勝手に死に始めている。
窒息死、というのが分かりやすい光景。もしも死亡診断書があるとするのなら、濃度の高い魔素を吸収しきれずに死亡、と書くのが正しい死因ではあった。
『それにしても、あの龍は阿呆でござるなあ。なぜ、主君に抗おうなどと思ったのか……理解に苦しむでござる』
『のぴっきならぬ事情があるのでしょう。軍門に下るよりも自ら死を選ぶのは美しいことではあります。後で棺をつくり、手厚く葬ってあげましょう』
それを聞いていたノウミは、ヒイラギの言葉に呆れた。
『あの巨大な身体を入れる棺なんてつくれるのでござりまするか?』
しかし、ヒイラギは戦いを見ながら得意げに笑う。
『おそらく――残った部位を棺に詰めるくらいしかできませんね。故に、そこまで大きな棺は必要ないと考えます』
ノウミとジュウホは、今もなお行われている蹂躙を見てから、『なるほど』と納得の声を漏らしたのだった。
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