第36話

『この死体の数、同士討ちでもしたでござるか?』


 黒井たちが洞窟内を進む道中には、数多くの死体が転がっていた。そのどれもがオーク。ジュウホが同士討ちと言ったのは、探索者の死体が一つもないからだろう。どうやら、攻略班は順調に進んだらしい。


『奴らの中には、弓の名手がいるでござりまするな! 刀傷や術の痕跡は雑ですが、矢だけはみごと脳天に突き刺さっておりまする』


 その言葉で黒井もオークたちの死体を流し目でみる。ノウミの言うとおり、矢で倒されたオークの死体はすべて寸分違わぬ位置に矢が刺さっていた。


 それだけでも弓術のスキル練度が窺える。相当、真面目な奴なんだろうな。黒井の脳内には一人の探索者が思い浮かんだ。無論、時藤茜。


 そして、彼女を含めた攻略班がドラゴンと対峙していることを思うと、自然と黒井の足が速まった。


 まだ倒してないと良いが……。


 黒井は、何が何でもあのドラゴンに一発くれてやらなければ気がすまなかった。そして、そのための力を彼は手にした。


 最初は後悔や自責の念から踏みだした回廊ダンジョンだったものの、今やそういった綺麗事のような気持ちはない。


 探索者にできることは魔物を倒すことのみであり、誰かを救い守るなど驕った人間のすることだと思っていた。


 ダンジョンがクリアされて人々の平穏が守られるのは、その先にある副産物でしかなかった。


 ……いや、もしかしたらそれは、鬼となったことで生まれてしまった邪気なのかもしれない。


 なぜなら、洞窟内を進むに連れ、額の角は心臓の鼓動のごとき昂りを伝えてくるからだ。それは一定のリズムで脳の奥を震わせ、“奴を殺せ”と黒井に命令する。快楽を感じさせる脳内物質が、澄んだ冷たい水みたく神経の細部まで行き渡り、お面の下で黒井はわらった。


 やがて、洞窟の外に降り注ぐ光が見えきた。


 その事実に気を引き締める黒井だったものの、すでに戦闘態勢はできあがっている。


 姿勢を低くし、最後に地面を蹴った。


 速度を増した鬼の弾丸は、洞窟の出口を貫いて広大な空間の宙を支配する。


 状況把握のために目下を見渡せば、最初に見えたのは巨大蜘蛛の大群。


「なんか……やられてね?」


 そして、その群れは今まさに、探索者たちに群がっているところだった。


「ノウミ、ジュウホ、ヒイラギ。邪魔な蜘蛛を殲滅してくれ」


 御意、という返事が角から聞こえた直後、遅れて洞窟出口に到達した三人衆が、勢いそのままに蜘蛛へと突貫をはじめる。


 起動した魔眼で確認するが、蜘蛛一匹はさほど強くはない。苦戦することはないと感じた。


 そして、黒井も着地とともに一匹の蜘蛛を殴り殺す。まぁ、殴るといっても蜘蛛がぶっ飛んだわけではなく、拳は表面を貫通し、破裂したように体液をぶち撒けただけ。


 その蜘蛛は、一人の探索者を捕獲している最中だった。


『しゅ、主君! こやつら、毒牙を持っておりまする!』


 ノウミが叫ぶ。見れば、三人衆は蜘蛛に噛まれて麻痺状態に陥っていた。


『あ〜れ〜』


 ヒイラギは既に糸を巻き付けられて、身体をくるくると回転させられていた。どこのお約束展開だ、というツッコミは入れずにおいた。


 仕方ないな……――抗体術。


 黒井は呆れながらも【抗体術】を発動。すると、三人衆は見る間に元の動きを取り戻した。


『ヒャッハー! 健康って素晴らしいでござるううう!』


 ジュウホが動けるようになった喜びを全身で表現しながら、ガガガガと笑い次々に蜘蛛を殺していく。その光景は、不健全ではあった。


 周囲に視線を飛ばせば、攻略班の探索者たちは壊滅していた。しかも、ドラゴンにではなく蜘蛛によって壊滅させられたらしい。


 黒井が殺した蜘蛛の近くには、中途半端に糸を絡められた時藤茜の姿があった。彼女は、麻痺毒によって呆然と膝から崩れ落ちている。探索者にも抗体術を使用するか迷った黒井だったものの、戦闘の邪魔になりそうなので結局やめることにする。


 蜘蛛のほうは、三人衆に任せてよさそうだった。


「人間は殺すな。糸の塊にも人間が入ってるから踏まないようにしろ」


 それだけを指示し、黒井はようやく天空を仰ぎ見る。


 そこには、攻略班がここまで運んできた装甲車両のワイヤーロープが空中に張り巡らされていた。そして、その先に、――黒井が会いたかった者が傲慢にこちらを見下ろしていた。


「よお……ニ年ぶりだな」


 仮面の下で呟いた挨拶には、抑えきれない昂ぶりが入り混じる。


 ドラゴンは、突然現れた乱入者の存在にも関わらず、なおも悠然と滞空していた。その姿からは、黒井を上空から押しつぶさんとする圧迫感を放っている。


 そして、


『――なにかと思えば……。貴様、変異体だな?』


 低い唸り声とともに、知らない声が角を通して聞こえてきたのだ。


 喋れたのかよ……お前……。

 


 ◆



 声の主がドラゴンであることを、黒井は無意識に理解していた。魔物が喋るという事実については、今さら驚くこともない。烏帽子三人衆がいたからである。


 その上で、理解できないことがあった。


「変異体だと?」


 訊き返すと、ドラゴンの蛇の目がすぅと細まり、鼻孔からは嘲りにも似た息が吐きだされる。


『我ら超越者による哀れな試験体のことだ。ノアとも呼ばれる』


 しかし、訊いたところで何一つ分からなかった。それどころか、再び知らない単語がでてきてしまう。


「ノアってのは何だ?」

『我らが与えてやった権能――それをノアと呼ぶ。この箱にいるオーク共にも与えてやったが、奴らは体を大きくさせただけの虫から逃れる力しか持たなかった……あれは失敗作だった』


 ドラゴンは、嘆きにも似た唸りを鳴らした。そして、やはり黒井には何一つ理解が及ばない。


 ただ、会話をした黒井は、ドラゴンがより傲慢な存在であることを再確認する。


 自身のことを「超越者」などと自称し、「能力を与えてやった」と上からの物言い。そして、その結果を「失敗作」と嘆く……。分からないことはあったものの、もはや、それをドラゴンから知る必要はないと黒井は諦める。正味、興味すらなかった。


 彼は、近くにあるアストラの装甲車両に跳ぶと、そこから伸びるワイヤーロープの一本を筋力だけで引きちぎった。そして、岩肌に刺さる先端を引っ張り、手元にまで戻す。それを投げ縄のごとく片手だけで振り回した黒井は、素早くドラゴンへと放る。


 ワイヤーロープは高速で一直線にドラゴンへと飛び、その太い首に巻き付いた。


「――とりあえず、上から見下ろしてないで降りてこいよ」


 ぐいっとそれを引っ張った黒井。


『なっっ……!?』


 直後、ドラゴンの首は地上へと引きずり込まれるようにしなる。


 やがて、ドォオオオンという重量ある音が轟き、地上に土煙が上がった。


「グォアアアーーー!!」


 しかし、それはすぐに空気を揺らす怒号によって瞬時に掻き消された。


『図に乗るなよ……! 変異体ごときがァアアア!!』


 悠然としていたドラゴンは一変し、蛇の目は見開いて鱗が逆立った。翼が威嚇を表すように膨らむと、張り詰めるような威圧感が重力を増し、近くにあった岩にピシッと亀裂が走る。不運にも、ドラゴンの傍にいた巨大蜘蛛たちが苦しみ悶えるのが見えた。いや、離れている黒井にすら息苦しいほどの濃い魔力が迫ってくる。


 その圧迫されるような空気に、黒井はようやく思いだした。


「そうだよな。俺は、ここにお前とお喋りをするためにきたわけじゃない……」


 抗うように一歩目を踏みだした黒井。その途端、呼吸が楽になった。


 そうして吸いこんだ新鮮な空気を、黒井は憎悪と殺意に変換して冷たく吐きだしたのだ。


「お前とは――殺しあいをしにきたんだった」


 ドラゴンの激昂だけで裂けた岩の亀裂が、さらにその溝を深くした――。 



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