第35話
「みんな、蜘蛛を警戒しつつ聞いてくれ!」
仲間が無惨にも捕食される光景を目にし、攻略班の探索者たちに混乱が生じはじめているなか、鷹城は努めて冷静に言い放った。
「蜘蛛たちの様子がおかしいのは、おそらくドラゴンが奴らに指示を出してるからだ。だから、先にドラゴンを倒さなければならない」
取り乱していた探索者たちの殆どは、ランクCのヒーラーやサポーターたちだった。彼らは恐怖を抑えて鷹城の話に耳を傾ける。
この現状を打開できる――頼れるランクAのリーダーの話に。
「魔法職は全員ドラゴンへ攻撃。奴が怒ってワイヤーロープ前まで降りてきたところを僕とアタッカーで叩く。タンクは蜘蛛の前にでて時間を稼いでくれ。ヒーラーは彼らの補助」
手短な指示。それに探索者たちは、なにか得体のしれない違和感を覚えたものの、結局頷く。
「あの、良いですか?」
しかし、そんな鷹城の指示に、茜が蜘蛛を警戒しながら口を挟む。
「……なんだい?」
急を要するこの状況において、質問をしてきた彼女に内心イラついたものの、鷹城は丁寧に質問を許可した。
「ドラゴンが他の魔物に指示をだせる事実は、不測の事態だと思います。一旦退却して陣形を整えたほうが良いと思いますが」
「既に仲間が数人やられてる。このまま退却したら、ドラゴンを倒すほどの戦力を残せない」
「今の戦力でドラゴンを倒せるとは思えません。タンクもヒーラーもサポーターも、蜘蛛ではなくドラゴンと戦うときの想定でここにいますよね?」
そんな茜の意見に、他の探索者たちは、さきほど覚えた違和感の正体を理解する。
鷹城の指示を端的にいえば――蜘蛛の対応をする者と、ドラゴンを倒す者に戦力を分断する、という旨のものだった。しかし、本来であれば、ドラゴンには攻略班全員で対応するはずであり、装甲車両のワイヤーロープもそのためのもの。
今回の作戦は、人の技術を用いてより安全にドラゴンを討伐を行うことが目的だったのだから。
「いや、僕らでドラゴンは倒せる……というよりは、倒さなきゃならない。じゃないと、死んだ仲間たちの死が無駄になってしまうからね」
鷹城は逸る気持ちを抑えてそう説明する。しかし、それは茜も同じだった。
「ですから、倒せるかも分からないドラゴンに戦力を割いたら、私たちはタンクもヒーラーもサポーターたちをも失うことになります」
「時間を稼いでもらうだけだ。その間にドラゴンを倒す」
それでもそう言い張る鷹城に、茜は眉をひそめた。
「あの数をタンクだけに任せるのはおかしいです。魔法職が攻撃して距離を取らないと、一人ずつ捕獲されて死ぬだけです」
「だから……、そんなことをしていたらドラゴンは倒せない」
「わたしはドラゴンを倒すための提案をしているわけじゃありません。全滅を防ぐ提案をしているだけです」
それでも引かない茜に、鷹城はため息を吐く。
「茜、キミはこのまま退却したとして……もしドラゴンを倒せないと判断したのなら、攻略自体を諦められるかい?」
「それならまた来ればいいだけです」
「アストラのダンジョン攻略は失敗だったと、世間に晒すことになる。それでもかい?」
「失敗ではありません。成功するまで挑めばいいんです」
気もなく答える茜に、鷹城は首を横に振った。
「キミは、僕たちに課せられている責任の重さを理解していない。たくさんの人たちが今回の作戦に期待してくれている。撤退は、それを裏切ることにもなるんだよ」
「わたしたちの使命は全滅することではありません。ダンジョンを攻略することです。もしここで全滅したら、次に攻略にきた探索者たちも同じ状況に陥る可能性が高いと思い――」
「キミはッッ!」
鷹城が、茜の話が終わらぬうちに声を荒らげた。それに彼女の言葉は途絶えてしまう。
「……僕にはドラゴンを倒せないと言っている自覚あるかい?」
やがて問われた言葉には、静かな怒りが込められていた。
「でも、安心してほい。必ずドラゴンは倒す。そしたら、蜘蛛たちもずっと倒しやすくなるはずだ。ここからは誰も死なせない。ここは僕を信じてくれないか?」
そして、その怒りを否定するように鷹城は笑いかけた。
「ですが――」
「茜さん、鷹城さんがここまで言ってるんすよ? 俺らのリーダーを信じてみませんか?」
今度は亜門が茜の言葉を遮り、諭すような口調で言ってきた。
「大丈夫っすよ。鷹城さんは強いですから!」
そして、彼女を安心させるように笑いかける。
亜門は、茜が死ぬかもしれない恐怖に不安を覚えているのだろうと考えていた。だから、その不安を取り除こうとしたのだ。
しかし、――それは、まったくのお門違い。
「……わかりました。では、わたしはタンクの人たちを連れて戦線離脱します。鷹城さんたちはドラゴンと戦ってください」
話が通じない。そう感じた茜は亜門ではなく、鷹城にそう提言する。
「は?」
しかし、その瞬間……これまでなんとか取り繕っていた鷹城から笑顔が消えた。
「茜、キミの冷静さはとても尊敬できるけど、もっと人を信じるべきじゃないかな? キミが言ってるのは、僕らを見捨てて逃げることと同じだよ?」
「鷹城さんも、タンクの人たちを犠牲にしようとしています」
それでも言い返す茜。怒りを覚えていたのは、鷹城だけじゃなく彼女とて同じだった。
「もういいよ。僕に従うタンクは蜘蛛の前にでてくれ。魔法職はさっきいった通り攻撃準備」
もはや鷹城は説得を諦め、無理やり指示を押し通そうとした。それに、亜門を始めとする魔法職たちは攻撃準備を始めるものの、タンクは誰一人として前にはでない。
彼らは、困惑したように顔を見合わせるだけ。
彼らも分かっているのだろう。蜘蛛の攻撃は耐えるものではない。掴まれてしまえば、捕食されてしまうだけだと。
そんな彼らに、鷹城はとうとう舌打ちをした。
「……状況が何も分かってないんだね。キミたちのせいで、僕らは全滅するかもしれない」
そして、鷹城はタンクの一人に剣先を向ける。
「でろよ」
簡潔で威圧的な命令。魔法職たちの色とりどりの魔法の光が、彼の冷徹な表情を照らしていた。
それに、剣を向けられたタンクは唾を飲み込んで前にでるしかない。
鷹城が他のタンクにも視線を向けると、彼らも恐る恐る前に出だした。
やがて、そんな鷹城の視線は茜へと戻ってくる。
「この班のリーダーはキミじゃない。僕だ。そして、僕はキミを死なせるつもりはないよ」
彼はそう言い、残った理性で怒りを抑え込むと、茜へと笑いかけた。
「鷹城さん! 準備整いました!」
「一斉に攻撃しろ!」
それまでの会話が嘘のように鷹城は気迫を込めた声で言い放つ。
魔法が、蜘蛛を無視して上空にいるドラゴンへと向かった。
それを見計らったかのように、蜘蛛たちが探索者たちへと一気に距離を詰め、
「うわああああ!!」
前に立たされたタンクたちは捕獲されはじめる。
やはり、蜘蛛に盾など通用しなかった。彼らは攻撃をしてきたわけじゃなく、まずは捕獲しようとしているだけなのだから。
捕獲されてしまえば、後ろに控えるヒーラーやサポーターは無力だった。糸を巻き付けられるタンクたちをただ見ていることしかできない。そして、次は自分の番かもしれないと震えることしかできなかった。
それを阻止するため茜は蜘蛛へと矢を放つが、救えるのはせいぜい一人。矢をつがえて放つ間に、他のタンクたちは白い糸の塊へと化していく。
そして、救ったはずのタンクですら、別の蜘蛛によって捕獲された。
放たれた魔法は上空のドラゴンへと向かう。ドラゴンはそれをかわすため、大穴の空を舞った。
降りてはこなかった。
当たりまえだ。他の魔物に指示を出せるほど頭の良いドラゴンが、そんな安い挑発に乗るはずがない。
「卑怯者め……」
それに鷹城は悪態を吐くと、チラリと蜘蛛に飲み込まれていくタンクたちを見た。
「ヒーラーとサポーターは何をしてる! タンクを助けろ!」
それに、怒鳴られたヒーラーやサポーターたちは困惑。
「アタッカーは僕とこい! 岩肌を伝ってドラゴンまで向かう! 魔法職は僕らがドラゴンに接近するまで攻撃維持!」
そして、痺れをきらした鷹城は、降りてこないドラゴンへ向かうために近くの岩肌にジャンプをすると、器用に壁を蹴って移動を始めた。
「鷹城さん! 蜘蛛が! もうそこまで!!」
亜門が叫んだが、鷹城にその声は届かない。
魔法職たちは、鷹城の指示通り攻撃を維持しようとしたのだが、目前に迫る蜘蛛たちを無視などできず、結局、攻撃目標を各々で変え始める。
「お前ら! 鷹城さんを援護しろよ!」
それに亜門は怒鳴ったものの、彼もまた、眼前でうごめく蜘蛛たちの脅威に屈し、ドラゴンへの攻撃はできなくなってしまった。
鷹城は、ドラゴンへの魔法攻撃が止まったことに疑問を覚えて下を確認。
「あいつら……ドラゴンが先だと言ったのに!」
彼はそれでも、岩肌に張り付いていた蜘蛛を強引に斬り伏せながら、アタッカーたちと共にドラゴンの高度まで登る。
もう、後戻りなどするつもりはなかった。
やがて、鷹城は岩肌を最後に強く蹴ると、大剣を構えてドラゴンまで先陣をきって跳ぶ。他のアタッカーたちもそれぞれの武器を構えて彼に追従した。
そんな彼らを、ドラゴンはちゃんと見ていた。
ドラゴンはその場で大気を吸い込んだ。
それを肺に溜めると、鱗で覆われた硬い皮膚がわかりやすく膨らむ。
ブレスの前触れ。そしてドラゴンは、口の中の牙と牙をカッカッと擦り合わせたあと、灼熱の炎を向かい来る鷹城たちに放った。
亜門は、蜘蛛への攻撃変更を余儀なくされながらも、視線だけは鷹城たちを気にしていた。
彼らがドラゴンを倒せば、何とかなるのだと信じていたからだ。
しかし、信じていたにも関わらず、その行動は鷹城の指示を無視。いや、正確には、その指示には無理があったのだ。ドラゴンに攻撃し続けていれば、とっくに亜門たちは蜘蛛の群れに飲み込まれていた。
「そんな――」
そして、亜門は絶望を呟く。
彼の目には、ドラゴンのブレスをまともに受け、勢いをなくして落ちていく鷹城とアタッカーたちの姿が映っていた。
茜は、もはや予想できていた結末に険しい表情を浮かべるしかない。
それでも……アストラが誇るアタッカーの精鋭たちが、ドラゴンブレス一発すらも耐えられないとは思いもしなかった。
「ランクAが近づけもしないのなら、そもそもわたしたちは最初から死ぬ運命だったということですね」
その言葉は、彼女自身を納得させるのもの。
矢をつがえる手が止まり、弓を引くことを諦める。
タンクはとっくに全滅しており、ヒーラーやサポーターたちは恐れをなして逃げようとしたが、呆気なく捕まっている。
魔法職たちの攻撃は蜘蛛を寄せ付けなかったものの、クールタイムの間隔に蜘蛛たちは素早く距離をつめてきていた。アタッカーのいない彼らにそれを防ぐ術はなく、他の探索者たちと同じように捕獲されはじめている。
「くそっ! くそぉおおおお!」
亜門の悲痛な叫びが聞こえた。彼は半狂乱になりながら、無作為に魔法を放っている。しかし、茜の目の前でそんな彼もとうとう捕獲されてしまった。
次は自分。
茜は冷静に自身の運命を受け入れようとする。その膝は微かに震えていた。
蜘蛛の巨体が、その全容を把握できないほど目の前にあり、気持ちの悪い毛だらけの足が身体に触れる。それは、纏わりつくように茜を包み込むと、一気に麻痺毒の牙が彼女へと押し付けられた。
「うっ……」
それに身体がビクッと反応し、弓と矢は強制的に手から放される。
蜘蛛のお尻がこちらを向いて、白い糸が放出された。
もはや、あとは食べられるだけ。
そう、観念した時だった。
グチャッ、という音がして茜の体を捕まえていた毛だらけの足から力が消える。支えを失った彼女の身体は、中途半端に糸をかけられたまま膝から地面に崩れ落ちた。
痺れた身体のまま見たのは、目の前にいたはずの蜘蛛の残骸。
そこには、奇妙な面を付けた者が立っていた。
その額からは、角らしき突起が生えている。
それだけではない。
別の方向から茜に蜘蛛の体液がかかり、視線だけを動かす。見えたのは、2メートルはあろうかという体躯の――鬼、鬼、鬼。
突如現れた彼らは、茜の目の前で蜘蛛を殺していた。
蜘蛛といえどその皮膚は剣を思い切り振るわねばならぬほどには硬いはず。
にも関わらず、彼らはまるで普通の虫を殺すがごとく、拳を蜘蛛の身体へとめり込ませ、中身を一気にえぐり取っていた。
その勢いで体液が周囲に撒き散らされていたのだ。
「な……こ、れ……」
麻痺した身体で表情も動かせないまま驚きを漏らす茜。
身体は動かなかったが、思考はできていた。
彼女が固定された視界で見た光景は、まさに不条理にも近い。
圧倒的な数がいる巨大蜘蛛たちは、突然現れた鬼たちによって蹂躙されはじめていたのだ。
「ガガガガ!」
そんな鬼の一体が、蜘蛛を殺しながら不気味な笑い声を発する。
彼らはなぜか、無力化された探索者たちには目もくれずに蜘蛛だけを殺していた。
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