第33話

 横浜ダンジョンの洞窟内を、鷹城をリーダーとする攻略組は順調に進んでいた。


 彼らはランクAの探索者を起点とした高火力と見事な連携により、襲いかかってくる魔物たちを効率よく倒していたからだ。


 さらには、出現する魔物がオークしかいないことも戦いを一方的にさせる理由でもあった。


 オークの中にはこれまで通り魔法を扱う上位種が存在していたものの、彼らの戦い方はまるで一辺倒。そんな代わり映えのしない戦闘は、攻略組の戦いを洗練させるだけであり、最初の頃よりも進行する速度は上がっていた。


「オークしか出てこないのは気になるな……。報告書には、ゴブリンや虫系の魔物もいたはずなんだけど」

「オークが根絶やしにしたんじゃないすかね? 奴ら、魔法を扱える個体がいますから」


 そんな鷹城の疑問に、亜門が一つの可能性を提示した。鷹城は、その可能性を既に考えてはいたものの、亜門に同意するかのように「そうかもしれないな」と笑いかける。


 実際、魔法が扱える魔物は珍しい。スキルのように潜在的な能力ならば納得もできるが、魔法というのは想像を現実に変換するための過程を踏まなくてはならない。


 それを知能の低い魔物にできるとは到底思えなかった。


「このダンジョンに生態系みたいなものがあるとしたら、ドラゴンの次にはオークがのさばってるのかもしれないすね」


 亜門はそんなことを言い、


「まぁ、最終的にその頂点に立つのは俺らですけど!」


 と締めくくってみせた。


「油断は禁物だよ。報告書との相違点がある以上、ここはもう別のダンジョンと呼んでもいいんだからね?」


 鷹城は亜門に忠告したものの、その表情は柔らかい。攻略が順調に進んでいるにも関わらず、無駄な警戒心で仲間を疲弊させてしまうのは悪手だと分かっていたからだ。


 集団というのは難しい、と鷹城はつくづく思う。その人数が多くなればなるほどに、心理的手綱を握ることはより難しくなっていく。


 実力と役割上、攻略班のリーダーを務めてきた彼は、そういった部分をよく理解していた。


 探索者――いや、人はちょっとしたことで内部から崩壊する。


 だから、楽観的になれる時間があるのなら、それは良いことだと鷹城は考えていた。


「出口だ!」


 不意に、先行していたサポーターから声があがった。


 それに鷹城と亜門は、先程の穏やかさが嘘であったかのように口元をきゅっと結んで互いに頷きあう。


 サポーターは出口と言ったが、それはダンジョンクリアを差す言葉ではない。


 洞窟の出口とは、二年前の攻略組がドラゴンと遭遇した場所でありほぼ壊滅した場所でもある。


 そして、鷹城たちの目的はそのドラゴンを討伐すること。


 つまり、横浜を奪還するための本当の戦いが、目前に迫っているということだった。


 先行していたサポーターも、それは十分に理解しており、光が見えたことで思わず叫んでしまったものの、気持ちを入れ直して慎重に外の様子を確認する。


 万が一ドラゴンが待ち構えていたとしても、すぐに逃げられる態勢を整える。敏捷には自信があった。そこに実績が積み上がったからこそ、この映えある攻略組のサポーターにもなれたのだから。


 洞窟の外は、陽の光が降り注ぐ大穴の地形。それは、報告書から想像したものと大差ない。


 暗い洞窟内にずっといたせいか、暖かな陽が眩しい。


 ダンジョン内だというのに、岩肌に根を張り巡らせて花を咲かせる植物が、醜い魔物との戦闘で汚染された精神を浄化してくれるような気がした。


 安全かもしれない……。そう思ってしまったのは、呑気な風景にあてられたせい。


 その隙が――上から彼を狙う8つの視線に気づかせなかった。


「うわぁあああああ!?」


 突如聞こえたサポーターの叫びに、鷹城がいち早く反応した。


 それは洞窟のすぐ外。駆けつけた鷹城が見たのは、毛が生えた複数体の何かが、サポーターである仲間へと、執拗に体を撫で回している光景。


 そのサポーターは、白い粘着性のある糸でぐるぐる巻きにされている最中だった。なおも叫ぶ声は、その糸によって邪魔され、今や静かになっている。


 何かおかしい。


 すぐに助けに行こうとした鷹城は、違和感に気づいて足をとめる。


 その糸の正体を、彼は知っている気がしたのだ。


 やがて――その糸は、蜘蛛の尻から出されるものだと気づいた瞬間、毛が生えたものは、蜘蛛の足先であることにも気づく。


「今助けるぞ!」


 鷹城の横を亜門が走り抜けようとした。


「待てッッ!」


 しかし、鷹城が彼の襟を掴んで引き戻す。


 その瞬間、糸でぐるぐる巻きにされていたサポーターが雑に放り出され、洞窟内に8つの赤い目と小さく並んだ鋭い歯、そして毛の生えた幾つもの足が恐ろしい速度で洞窟内へと潜り込んできたのだ。


「キシャアアアアアア!!」


「く、クモ……」


 その正体を亜門は呟き、鷹城に引き戻されていなければ奴の足に掴まれていたことを想像して顔を強張らせる。


「デカいね……だけど、そのせいで入ってこられないみたいだ」


 巨大な蜘蛛は、お腹がつっかえてそれ以上は入ってこれないようだった。


「驚かせやがって――ファイアーボール!」


 亜門が、ビビらされたことに歯噛みをしながら魔法を唱え、その火球が蜘蛛の顔に当たり爆発する。


「キシャァアアア!!」


 巨大蜘蛛はそれに高い声を発すると、器用に後退りして洞窟外に逃げてしまった。


「……もう一度ヤツをおびき出そう。蜘蛛の糸や毒には魔法が有効だけど、硬い身体は物理攻撃じゃないと効きにくい」


 鷹城の冷静な声に亜門はハッとする。物理的に攻撃するチャンスは、たった今、自分が奪ったばかりだと気づいたからだ。


「すいません……鷹城さん。俺が魔法を使わなければ」

「いや、亜門が掴まらなくてよかったよ」

「すいません……」


 亜門は、ランクAの自分が冷静さを欠いた安易な攻撃をしてしまったことに小さなショックを受ける。だからか、鷹城の言葉に彼は謝罪で返すしかない。


「もう一度、俺がおびき寄せます」


 その罪悪感を消すため、亜門は自ら囮役を買ってでる。


 高城は、それに駄目だと言いたかった。なぜなら、囮役になるのならば、もっと速く動ける人材が適任だったからだ。しかし、彼のショックを取り去るには名誉挽回が最も手っ取り早い方法。なにより、ランクAの戦力をここで弱気にしたままにはしたくなかった。


「わかった。捕まったとしても僕が奴を殺すよ」

「信じてます……!」


 だから、承諾するしかなかった。


 その後、高城は物理系戦闘職を集合させると、巨大蜘蛛のことを手短に話し待機させる。そして、その作戦をすぐに実行へと移した。洞窟外に未だ放り出されているサポーターの命がかかっていたからだ。


 亜門が慎重に洞窟外へと近づくと、すぐに感づいた巨大蜘蛛が襲ってくる。それに亜門は精一杯の速度で引き返す。


 魔法系といってもランクはA。敏捷値はそれなりにあった。


 それでも、蜘蛛の滑るような潜り込みのほうが速い。


「亜門!」


 剣を構えていた鷹城が焦った声で叫ぶ。その叫びには、「諦めて魔法を撃て」という言葉が集約されていたものの、無論伝わるはずもなく、亜門はただ走ることしかできない。


 蜘蛛の足先が、亜門の背中に触れた。


 が、鷹城と亜門の顔横を貫いた矢が、8つあるうちの目に刺さる。


 それに蜘蛛が身体をくねらせ、亜門は危機をのがれた。


 鷹城はすでに走り出しており、逃げる亜門とすれ違うとタンッと地面を蹴って大剣を振りかぶる。


 蜘蛛はそれに応戦しようとするも、二本目の矢が再び目に刺さり、悶えるしかない。


 鷹城の大剣は誰にも邪魔されることなく、巨大蜘蛛の顔から胸にかけてを真っ二つに斬り裂いた――。


「……助かったよ。茜」


 巨大蜘蛛との戦闘を終え、鷹城は振り向きざまにそう言って微笑む。


 その視線の先には、待機させていた物理系戦闘職のなかにいた茜へと注がれた。


「いえ。的が赤く光っていて良かったです」


 それに、三本目の矢をつがえていた茜が静かに答えた。


 彼女は、仲間が整列する後方から、鷹城と亜門さえもくぐり抜け、巨大蜘蛛の目に矢を放っていたのだ。


「……この大きさは、ランクBダンジョンボス級はありますね」


 難を逃れた亜門は、冷汗をかきながら息絶えた巨大蜘蛛を見下ろす。そして、これがまだドラゴンに遭遇する前だと理解して唾を飲んだ。


「そういえば……オークが使ってた魔法もファイアーボールだったね」


 ふと、鷹城がそんなことを言った。


「え? ああ、そうすね。おかげで、火属性を扱う俺が対処しやすかったですけど」


 それに亜門は、その意図がわからないまま返事をする。


「もしかしたらオークも、この蜘蛛に対抗するために魔法を覚えたのかな。火の魔法は蜘蛛を殺せなくても退かせることはできるから」

「ああ、なるほど」


 それに納得した亜門はやがて、自分の言葉を思い出した。


――このダンジョンに生態系みたいなものがあるとしたら、ドラゴンの次にはオークがのさばってるのかもしれないすね。


「まさか……」


 それ以降の言葉を引き継いだのは鷹城。


「洞窟内にオークしかいなかったのは、奴らがここに閉じ込められていたからかもしれない。外は危険だから。それと、さっき洞窟が分岐していたのはゴブリンが掘ったのかもね? 穴を掘る魔物は限られてるし。でも……きっとゴブリンは生き残れなかった」


 このダンジョンの生態系を推測する鷹城。その妙な説得力に、亜門は願いを込めた楽観を口にした。


「はは……だとしたら、この蜘蛛がドラゴンの次……ですかね……」

「だといいね」


 鷹城は、巨大蜘蛛の死体を再び斬り裂くと、自分が通れる空間をつくる。


 向かったのは、糸でぐるぐる巻きにされていたサポーターのもと。


 しかし、警戒しながら鷹城が外に出たとき――彼はすでに魔物によって食べられていた。


「くそっ……」


 そんな鷹城の悪態は、彼を助けられなかったことに対するものじゃない。


 今まさにサポーターを食べている魔物が、さきほど倒した巨大蜘蛛とまったく同じだったことによるもの。


 そして、気づけば陽の光を浴びない岩肌の影に、いくつもの赤い目がひしめいている事に鷹城は気づく。


「ここは巨大蜘蛛の巣窟か……」


 その数は、視覚的に数えられる範疇を超えていた。


 そして、巨大蜘蛛たちがひしめき合う岩壁の奥。


 そこに、鷹城たちの目的がいた。


――ドラゴン。


 そのドラゴンは、まるで待ち構えていたかのように鷹城をジッと見据えている。


 その時、近くにいた巨大蜘蛛が鷹城に向かって飛びかかってきた。しかし、彼は剣で蜘蛛を薙ぎ払う。


 蜘蛛は足を三本失くしたものの、まだまだ平気そうな身のこなしで「キシャアアア!」と醜悪な威嚇を発する。


 これは……油断してるとドラゴンどころじゃないな。 


 そう感じた鷹城は、躊躇いなくスキルを発動する。


「――全体強化」


 それは仲間全員へのバフ魔法。


 しかし、


「グオァアアアーーーー!!!」


 それに被せる形で、ドラゴンが空気を奮わせる咆哮を轟かせた。

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