第31話

 黒井は、静止した状態から急加速をした。


 速く動くことよりも、緩急によって反応させないことのほうに重点を置き、首藤の懐へと瞬時に詰める。腰を低く落とした状態で急停止したエネルギーは、次に炸裂させるための拳へと伝わり――プラス、筋力が上乗せ。見上げた黒井の殺意が、驚きを滲ませた首藤の視線とぶつかる。目では追えても未だ首藤の体は反応できてはいない。


 この、先制の一撃で黒井は終わらせる――つもりだった。


「ざ、残機ざんきッッ……!」


 もはや砲弾と変わらぬ速度で撃ち出された黒井の拳は、首藤の体をねじ曲げるのではなく、置いてけぼりにして貫通。それでも威力は落ちず、洞窟の岩壁に激突して円形状の小さなクレーターを形成。


 ……外したか。


 手応えがなかったのは、首藤が何かしらのスキルを使ったからだと推測。魔眼もまた、首藤の魔力回路が一瞬妙にブレたのを視ていた。


「てめぇ……超近接型かよ。身代わりなかったら終わってたじゃねーか」


 背後からした声に振り返る。そこには、ノーダメージの首藤が驚いた表情で立っていた。


「暗殺者には、逃げるスキルもあるのか」

「ばーか、斥候の時のスキルに決まってんだろ。……まぁ、こいつのおかげで俺は何度も危機から逃れられたわけだが」


 そう説明した首藤は、ニヤリと笑う。


「本当の暗殺者を見せてやるよ……」


 やがて、首藤の姿は洞窟の闇にゆっくりと溶けた。


「俺が最初に殺した奴も近接型だったんだよ。暗殺者ってのは人型の魔物に有効だと言われちゃいるが、実はそうじゃない」


 反響する首藤の高慢な御託。その声に距離感はなく、足音はおろか、気配すらも感じられない。


「暗殺ってのは人にこそ有効なんだ。特に……てめぇみたいな脳筋野郎にはなぁあ」


 どこから襲ってくるか分からない状況。時間が経てば経つほどに増す不安。そしておそらく……それらを理解したうえで語られる嫌悪を帯びた這い寄るような口調。


「さっさとこいよ」


 それを掻き消すように挑発すると、闇の中で含み笑いが反響。


「そう焦るなよ。時間はたっぷりあるんだ」


 形成は逆転。今の状況は首藤有利……かに思われるものの、黒井の魔眼は首藤の魔力回路をちゃんと捉えている。


 黒井は、首藤の居場所がわからないフリをしているだけだった。襲ってきたところを返り討ちにする算段。


 しかし、


「……視えてやがるな?」


 それは看過されてしまう。


「殺意がだだ漏れなんだよ。つか、感知スキルもあるってマジで何なんだ」


 それ以上の隠密は意味がないと悟ったのか、首藤は姿を現した。黒井はその瞬間を狙って掴みかかろうとするも、寸ででそれすらかわされてしまう。


 いちいち距離を取るところを見ると、戦い方は徹底したヒットアンドアウェイ。逆に、肉弾戦に持ち込めば黒井に有利だろうが、それは首藤も理解している模様。


 もどかしい展開に、厄介だというのが黒井の感想だったが、


「てめぇ……面倒臭ぇな」


 奇遇にも、首藤もそう感じていたらしい。


「――剣刺しボックス


 そんは首藤は突如、再び別のスキルを使用。


 すると、彼の姿は魔力回路ごと消え、さらには薄暗い洞窟の光景すらも黒く塗りつぶされた。


 黒井はその感覚に覚えがある。それは、回廊にて棺の中に閉じ込められたとき。


 首藤が消えたわけじゃなく、黒井が閉じ込められたのだ。ただ、その時と違うのは、魔力を吸われていないこと。


「――反射」


 咄嗟に唱えて攻撃に備える。その判断は功を奏し、周囲の空間から立て続けに突き出してきた刃物を完璧に避けた黒井。


 やがて、塗りつぶされた視界の黒が消えると、愕然とした首藤の顔が見えた。


「てめぇ……マジで何モンだ。その能力、正当な手段で得たものじゃねーだろ」

「お前がそれを言うのかよ……」


 自身のことを棚に上げ、怒りで顔を歪める首藤に黒井は呆れる。


 しかし、このままでは埒が明きそうになかった。両者が互いの戦闘スタイルを把握しているため、戦いが平行線を辿っている。長期戦の予感。ならば、どちらかが疲弊するまで戦えばいい話だが、黒井の目的は首藤とやり合うことじゃない。


 そのときだった。



――ダンジョン全体に【ドラゴンの咆哮】が轟きました。

――全能力値が下がります。



 突如聞こえた天の声に黒井は驚く。



――覚醒魔法を発動します。

――全能力値が上昇しました。



 それはドラゴンによるダンジョン全体へのデバフ魔法。その効果は、黒井の覚醒魔法によってレジストされたものの、事態の把握に一瞬の思考を要してしまう。


 首藤は――その隙を見逃さなかった。


「戦いの途中によそ見してんじゃねぇえッッ!」


 迫りくる首藤に気づくのが遅れた。咄嗟に回避行動を取るものの、残忍に笑う首藤の懐からは、それを凌駕する速度で短剣が忍び寄る。


 首を狙って弧を描く刃。それに黒井は、顎を引いて面頬をぶつける。


 超人的反射だった。しかし、面頬に短剣を防御するほどの耐久性はなかったらしく、それは呆気なく砕かれてしまう。それでも、刃は面頬を砕いただけで黒井の皮一枚を通り過ぎた。


 まさに危機一髪。


「まだだ――」


 だが、首藤のターンは終わりではなかった。


 黒井は回避をしたものの態勢を崩していた。対し、首藤は単に一撃目を避けられただけに過ぎない。


 視界の端で、首藤の手首が短剣の刃を素早く返した。向けられた切っ先は、今度こそ無防備になった黒井の顔面。


「油断したなぁあ!」


 勝利を確信する喜びが声に滲んでいた。その結末に向かうかのように、短剣が鋭く一閃する。



 そして――その結末に、刃は届かなかった。



「……なに?」


 首藤は、何が起こったのか理解できなかった。面で防御されたのには驚いたものの、二撃目は、防御はおろか反応すらできない速度だったはず。


 確実に隙を突いていた。ランクAにも到達した暗殺者の速度ならば、それは同じランクの探索者であっても、どうにもできない領域だった。


 にも関わらず、首藤の手首は掴まれ、攻撃は完璧に阻止されていたのだ。


「ようやく捕まえた」


 不意に聞こえたその声に、首藤は得体の知れない恐怖を感じた。


 なんだ……?


 その恐怖に彼は疑問を覚える。いや、疑問を覚えることで恐怖を紛らわせようとしていた。


 その正体は、首を回して確認すれば解消されるはずなのに、首藤の本能が告げている。


――振り向いてはならない。


 そんな本能を、彼の理性は嘲笑った。


 馬鹿かよ……俺はランクAの暗殺者で、これまで何度も修羅場をくぐってきた。怖いものなんて、今さらあるわけがない。


 ぐぐぐと、力を込めて首を回す。


 視界に入ってきたのは、殺意を向ける黒井の顔。


「おいおい、なんだよ……そりゃあ……」


 その額からは二本の角が生えていた。


「てめぇ……そもそも人じゃなかったのかよ……」


 戦意喪失。それは、黒井が鬼であることを知ったからではない。


――【人の能面】を外しました。全能力値が上昇しました。


 首藤は鋭すぎる勘によって気づいてしまったのだ。目の前の鬼に勝利することは絶対にできない……それどころか、殺すなんて不可能である、と。


 鬼が、手首を掴む手とは反対の手で拳を握った。


「……残機」


 それでも首藤は、震える声で生きることを夢に見た。


 スキルが発動し、頭部を破壊された首藤の身代わりは闇に消え、本体は一時的に鬼の手から逃れる。


 しかし、その逃れた瞬間に、今度は胸ぐらを掴まれてしまった。


「はえーよ……バカが」


 もはや笑うしかない首藤。どんな手段を講じても、目の前の鬼から逃げれる気がしない。


「そのスキル、何回使えるんだ?」


 黒井はそう呟いたが、それは首藤に向けた問いじゃない。


「まぁ、死ぬまで殺せばいいか」


 自己完結するための前フリに過ぎなかった。


「クックックッ……まさか魔物が人に擬態してたとはなぁ」


 首藤は諦めたように笑い、


「お前よりは人だよ」


 黒井はそう主張する。


「……あ? なんだよそれ。人間の真似事か?」


 そう吐いた首藤は再び含み笑うと、堪えきれなかったのか、やがて大声を洞窟内に響かせた。


「こいつは滑稽だ! 魔物が自分のことを人だと思いこんでやがるッ!!」


 黒井は無視して拳を構える。


「テメェはどう足掻いたって魔物だろうが! ここで俺を殺したところで、いつかは人間に狩られる運命なん――」


 その狂ったような大声は、黒井の拳によって強制的に断ち切られた。


 足下に、脱力した首なしの死体が落ちる。


「最初のも含めると2回だったのか」 


 その亡骸を見下ろしながら、黒井は冷静な独り言。


 そして、勢いよくちぎれ飛んだ頭部に視線を向けてから、彼は疲れたように息を吐いた。


「最後まで話が通じない奴だったな……。俺が人だなんて誰が言ったよ。俺は、“お前よりは人だ”と言ったんだ」



――種族【人】を倒しました。ポイントが加算されます。

――レベルが上がりました。能力値が上昇します。

――レベルが上がりました。能力値が上昇します。

――レベルが上がりました。能力値が上昇します。



 しかし、黒井の主張は、無情にも天の声によって否定された。

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