第20話 探索者専用訓練施設
ネクタイを締めるのは、黒井にとって久しぶりのことだった。
もう、袖を通すことはないだろうとクローゼットの奥で眠らせていたスーツはクリーニングの袋がかけられたままであり、革靴すらも埃を被っている。
黒井は探索者であるため、そのような格好をする必要はなかったが、立場として誠意ある態度を示さなければと思っただけ。
そしてそれは、長谷川から貰えたチャンスを必ずものにしなければならないという意思表示でもある。
ただ、気合の入りすぎで塗りたくった整髪料は違和感だらけで、髪を洗うのに手間取ってしまい自宅を出たのは約束の時刻ギリギリ。
「あ、どうもどうも黒井さん……ってどうされたんですか……」
何とか時間には間に合ったものの、陽気な声で現れた長谷川に汗だくで息を整えている姿を見られてしまい、結果的に困惑させることなってしまう……。
「わざわざスーツで来られたんですね?」
「まあ、こちらが無理を言っている立場なので一応」
「そのお面は装備品ですか?」
「あ、はい。回復魔法を助けてくれる……」
「そうですか。では、行きましょう」
面のことを訊かれて一瞬ドキリとしたが、長谷川は気にすることなく歩きだした。そのことに黒井は安堵する。
これから長谷川がどこへ向かうのかは、大方予想がついていた。待ち合わせをした場所は、アストラルコーポレーションが所有する探索者専用訓練施設の近くだったからだ。
そして、その予想通り訓練施設の敷地を囲む門の前で長谷川は立ち止まり、警備員に何かを見せている。
「すみません。午後は他の探索者が施設を使用する予約が既に入っていて、この時間しか取れなかったんです」
そう言って、敷地内へと入りながら黒井に笑いかける長谷川。わざわざここまでしてくれた人間に黒井が文句などいえるはずがない。
「本当にありがとうございます」
何度頭を下げても足りないくらいだった。
「この施設は最先端技術が使用されていて、施設内で魔法を使用しても耐えられる構造で建てられているんです」
長谷川は得意げにそう説明したあとで「まあ、魔素がないこちらでは、魔法の感覚が全然違うと探索者たちからは文句が出ていますがね」と困ったように付け加える。
そんな長谷川の冗談っぽい弱音に、黒井は思わず頬を緩めてしまう。
本当に良い人だと思った。
「今日は、黒井さんのヒーラーとしての能力を見せてもらいます。……ただ、見るのは僕じゃなくてもっと偉い人ですがね」
「どうやって見せればいいですか? 腕や足を切り落としますか?」
そう訊いた黒井に、長谷川は目を丸くしたあとで高らかに笑う。
「スーツでこられたので真面目で緊張されてるのかと思いましたが、ちゃんと冗談も言えるんですね! 腕や足を繋げるなんて、そこまで危険なことはさせませんよ。それに、回復していただくのは黒井さん自身じゃなく、こちらに所属している探索者でもありますから」
もちろん黒井的には冗談ではない。腕や足を繋げるのではなく、再生させるつもりで言ったのだが、どうやら長谷川は冗談だと受け取ったらしい。
それよりも、黒井には気になった点がひとつ。
「アストラ所属の探索者……ですか?」
「はい。彼らには訓練施設で模擬戦闘訓練をしてもらい、そのサポートを黒井さんにお願いしたいんです」
「なるほど……ですが、訓練ならヒーラーが必要なほどの負傷を負いますかね」
その疑問に、長谷川は困ったように眉尻を下げる。
「実は……模擬戦闘をする一人がうちのランクAの探索者なんですが……ちょっと気性が荒くてですね……」
「そういうことですか」
「はい。彼が訓練施設を使用するときは、必ずヒーラーを呼ばないといけないんです」
気性が荒いというのは、戦闘系探索者にはよく見られることだった。むしろ黒井は、『軽い怪我だと治癒魔術師としての能力を見せられないのではないか?』という不安を抱えていたため、不謹慎にも、怪我を負わせてくれる探索者は大歓迎ではある。
それに、ランクAの探索者には早々お目にかかれるものではなく、彼らの実力を見れる良い機会であると考えればプラスの面は多い。
黒井が攻略組にいた頃、その中にもランクA探索者はいたのだが、彼は戦闘に加わることがなかったため実力など分からなかった。
「ここです」
そして、二人が到着したのは大きな体育館のような円形状の施設。外観を見た限り窓はなく、ゲート施設に近い雰囲気を感じた。
「もう中にいると思うんですが……あ、いました!」
長谷川の視線を追うと、そこにいたのは重そうな鎧を着込む若い金髪の男。その手には大盾が握られており、見ただけでタンクだろうと判断できる。
「長谷川さん、おはよーございます」
「おはよう」
そんな彼は、長谷川に挨拶を交わすしたあとで、チラリと黒井のほうを見る。
「ああ、この人が例の逃げた探索者っすか?」
「こ、こら!」
のっけから軽薄さを隠さずに喧嘩腰の鎧男は、長谷川の静止を無視して黒井の目の前に立ちはだかると、軽蔑したような視線を送ってくる。
「なんかアンタの為にわざわざ俺が呼ばれたらしーんだけど、長谷川さんの頼みじゃなかったら来てねーかんな?」
そう言った鎧男は、見せつけるように舌打ち。
「長谷川さぁん、今度は茜さんとの訓練を組んでくださいよー」
なんて。今度は馴れ馴れしい態度で長谷川へと言い寄っている。
気性が荒いというより、ガラが悪いだけじゃね? という感想は言わずにおいた。
「すいませんね黒井さん……彼、あれでもランクBの期待されてる新人なんですよ」
「問題ないですよ。言われたことは間違ってませんから」
「そう、ですか……」
黒井はあまり気にしていなかったが、長谷川のほうが黒井に気を遣っていた。気苦労が絶えなさそうだなと同情はするものの、残念なことに攻略組の探索者とはあれくらいが普通ではある。まあ、普通というよりは、魔物と対峙するうえで普通ではいられなくなると言う方が正しい。
そしてどうやら、彼が気性の荒いランクAの探索者ではなかったらしい。
「もう一人もそろそろ来るとは思うんですが……あ、きました!」
長谷川がそう告げる直前に、黒井は訓練施設内に入ってきた異様な気配に勘づいていた。
無意識に魔眼ルーペを起動させて、その正体を探ってしまう。
そこには、まだ眠そうな目つきでアクビをしながら訓練施設に入ってきた男と、パーカーのポケットに手を突っ込みながらガムを膨らませる茶髪の女がいた。どちらも格好はラフで装備らしき装備は見当たらない。それでも、彼らが探索者であることは間違いなかった。魔眼にはちゃんと魔力回路が映っていたからだ。
そして、異様な気配を漂わせているのは男のほう。
「彼が今回模擬戦闘をしてもらうランクAの探索者、
長谷川はそう言い、首藤のすぐ後ろを付いてくる女に気づいた。
「あれ? なんで君まで?」
「俺が施設を使うときはヒーラーがいるんじゃないんですか」
それに答えたのは首藤だった。女はガム風船を割ったあとで、再びそれを噛んだまま無言。
「今日はちゃんとヒーラーがいるから大丈夫だって言ってなかったっけ」
「そうなんですか? まあ、俺やりすぎちゃうんで、ヒーラーなんて何人いても構わないでしょ」
会話を聞く限り女のほうはヒーラーらしい。そして、黒井はお呼びじゃないようだ。
「わざわざ来てもらって申し訳ないんだけど、今日は見学しておいてくれるかな」
長谷川が女のほうに忠告する。彼女はその後もガムを噛んでいたが、二回目の風船を割ったあとで口を開いた。
「そっちのほうが楽なんだけどさー、どうせ私が治療するハメになるじゃん?」
その返答に首藤がクックッと笑い、「わかってるじゃん」と口調を合わせた。見た限り、二人は探索者としての付き合いが長いのかもしれない。
「んで? 今日のサンドバッグはあいつ?」
首藤は言いながら黒井へと視線をよこした。その目つきは眠たげではあったものの、言葉からも透ける残虐さが感じられる。
「彼が今日のヒーラーだよ、首藤さん」
「ヒーラー……?」
長谷川の言葉に彼は首を傾げた。それからゆっくり黒井へ近づいてくると、奇異の目で観察をはじめる。正直、気持ちの良いファーストコンタクトではない。
「おかしいな……アタッカーだと思ったんだけど」
その後、彼は「まぁ、いいか」と興味なさげに呟き、今度は鎧男のほうへ視線を向けた。
「じゃあ、あいつのほうか」
それに鎧男は、黒井の位置からでも分かるほどにビクリと体を揺らす。
もはや、模擬戦闘なんてするまでもなく既に勝敗は決していた。
しかし、そんな鎧男の反応に黒井は満足してしまう。
治癒魔術師としての能力を、遺憾なく発揮できそうだと感じたからだった。
そんな黒井のもとへ戻ってきた長谷川は、難しい顔をしながら耳打ちをしてきた。
「やはり厳しい審査になると思います……。彼を選んだのは上なんですが、黒井さんを参加させたくないのかもしれません……」
申し訳無さそうにそう囁いてきた言葉は、黒井が感じた予感とは逆のもの。
「なぜです……?」
純粋な疑問をぶつける黒井。
「彼の職業は【暗殺者】で、さっきもお伝えした通り……性格に少し問題があるんですよ」
その情報だけで黒井は納得してしまった。
暗殺者ということはつまり、扱う武器にはあまり攻撃力がないということ。そして、それを証明するかのように、首藤は隠し持っていたのであろう短剣を取りだした。
あれで腕の切断とかは難しいな……。
黒井は落胆するしかない。
「そう落ち込まないでください。攻略に参加できなかったとしても、僕には黒井さんの気持ちが十分に伝わってますよ」
そう言って慰めてくれる長谷川に、本当に良い人だと黒井は実感した。
「わかりました。精一杯やってみます。こんなチャンスをくださってありがとうございます」
それに長谷川は、優しげな笑みを浮かべた。
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