第16話 ゴーレム遺跡 

 朝になり、ベッドから起きた黒井は寝ぼけ眼のまま、ゾンビのごとくよろよろと冷蔵庫へと向かった。


 昨日は疲れからか帰宅してすぐに就寝してしまったため、空腹で目が覚めてしまったのだ。


 彼は目覚めた目的通り、冷蔵庫を開けて中を物色する。そして、買い置きしてあった安いソーセージを手に取ると、不服そうに目を細める。


「ちゃんとした肉が食いてぇ……」


 起きたばかりで、まだちゃんと動いていない頭を無理やり働かせて肉を想像する黒井。それは焼いていない生肉。鮮やかな赤色の肉を頬張り、噛むと口いっぱいに血が広がって……じゅるり。


「って、俺はなんで生肉を想像してんだ……」


 ソーセージを持ったままヨダレを啜った黒井は、思い浮かべた肉が生であったことに気づいてハッとする。普段の彼ならば、肉といえば安直に焼肉などを想像したはずだ。


「まさか……」


 黒井は壁に立てかけてある姿見のほうに顔を向けた。そこには、額から二本の角を生やした自身の姿が写っていた。


 それを目にすると、心臓がひときわ大きく跳ねる。そして、鬼になってしまった事実が脳内に行き渡り、まるで冷水を浴びせられたかのように意識が覚醒した。


「鬼になった影響か……?」


 呟いてゾッとする黒井。それを否定したくても、想像した生肉が頭から離れない。パンッと突然頬を叩いたのは、そんな想像を掻き消すためだろう。


「しっかりしろよ、黒井賽」


 彼は、そのうち無意識で生肉を求め人を襲うんじゃないかと不安になってしまった。


 しかし、アビス内での死は現実での死でもある理屈を考えれば、アビス内で鬼になった影響が現実で起きてもおかしくはない。


 故に、それは普通の現象ともいえたが……それが普通になってしまっている事態に彼は怖くなったのだ。


 黒井は軽い深呼吸をしてから、それを考えないよう頭の隅に追いやる。気分転換にテレビをつけると、ちょうどアストラが横浜ダンジョン攻略に挑むニュースが報道されていた。


「俺も準備をしないとな」


 そう呟いて、黒井は横浜ダンジョン攻略のことを考える。


 アストラが横浜ダンジョン攻略に乗りだしたということはつまり、彼らがドラゴンを討伐できる何らかの手段を持っているということだった。


 それが、強い探索者なのか強い武器なのかは分からないが、よほどの自信がなければ攻略に乗りだすことはしないだろう。


 そして、黒井は黒井で、ドラゴンを倒せる手段を思案する。彼にはもう、誰かが倒してくれるだろうという考えは頭にない。


「やっぱり、あの硬い鱗が問題だよな……」


 黒井の経験から言えば、ドラゴンと戦って最も厄介なのはドラゴンの防御力。もちろん、ブレスや鋭い牙や爪を軽視しているわけじゃなく、それらは当然のことながら脅威ではあるものの、避ければなんの問題もないと思っただけ。


 というより、ドラゴンの攻撃はどれも強すぎて避けるしかない、というのが黒井の正しい認識。まともに耐えようとすれば、一撃目は耐えたとしても二撃目でおそらく死ぬ。だから、度外視するしかなかった。


「どうせ避けないと死ぬから、防具はいらないな」


 ただ、そこからはじき出された黒井の結論が果たして正しいのかどうかは不明。どうやら彼は、横浜ダンジョンに無防備で行く予定らしい。もしかしたら、まだ頭が回っていないのかもしれない。


「あの硬い鱗をどう破壊するかだが……鬼の拳でどうにかなるのか試さないといけないよな」


 そして、それが今の黒井が抱える不安要素。


 彼は、横浜ダンジョンへ挑む前に、今の筋力がどれほど通用するのか試さなければならないと感じていた。


 やがて黒井は、スマホを手にとってネット検索をはじめる。


「やっぱり……ランクC以上のダンジョンは企業に独占されてるか」


 ドラゴンには及ばずとも、高ランクの魔物と戦えれば擬似的に試すことはできるはず。そう考えてダンジョンの情報を探した黒井だったが、出現したランクCのダンジョンはすべて企業によって独占されていることを知り落胆。これは、企業所属の探索者を育てるレベリング目的のためであり、かつて攻略組だった黒井もまた、この恩恵にあやかっていた一人だった。そのため、何も言うことができず諦めるしかない。


「募集枠もあるんだが、ヒーラーなんだよなあ」


 そんな愚痴を言う彼は、治癒魔術師である。


「まあ、ランクC以上はソロで潜るのが禁止されてるし、法律的にも難しいか」


 角はノウミのお面のおかけで隠せるものの、鬼であることが何かのはずみでバレてしまってもおかしくはなかった。だから、黒井はできるだけ他の探索者とダンジョンには潜りたくないと思っている。


「ソロで潜れるランクD以下で、防御力が高い魔物と戦えるダンジョン……そんな都合の良いところなんて――」


 それでも、ネットでダンジョンをしらみつぶしに探していた黒井は、とある情報に目をとめた。


「あるじゃねぇか……」



 ◆



「着いたな」


 そう言って黒井が降り立ったのは新潟県佐渡島の港。ここまで、車と船で長距離移動してきた黒井は、凝り固まった筋肉をほぐすためかるく伸びをする。視界に見える自然豊かな大地や、潮の香りが混じった空気を吸い込むと気持ちがよく、疲れが取れるような気がした。


「探索者協会の支部は……」


 スマホの地図アプリを眺めていた彼は、佐渡島にある探索者協会の場所を確認して歩きだす。その背中には小さめのリュックを背負い、顔には人の能面をしっかり付けている。しかし、探索者らしい武器や装備はなく、傍目から見れば、観光にきた人間に見えなくもない。


 そうして、目的の支部まできた黒井は、中に入り受付の職員に話しかけた。


「ああ、申請のあった黒井さんですね。探索者ライセンスを見せてもらえますか?」


 それに、探索者協会が発行するライセンスを見せると職員はそれを確認してから、鍵とともにライセンスをカウンターに置いた。


「ゲート施設の場所はわかりますか?」

「調べてきたのでわかります」

「そうですか。なら、中でのルールもご存知だとは思いますが、ダンジョンコアを確認するだけで魔物には絶対に攻撃しないで・・・・・・ください」


 職員の言葉に黒井は頷く。


「もし、攻撃してしまったら戦闘になると思いますが、その場合に関する責任はこちらでは負いかねます」

「大丈夫です。武器も持ってきてないので」


 そう言って、黒井は自身の姿を職員に見せると、彼はすこし苦笑い。


「念のため持っておいたほうが良いとは思いますが……まあ、その気概なら問題ないですね」


 予想とは違った反応にやりすぎたかと後悔。


「それでは、ご武運をお祈りしてます」


 それでも、無事に済ませた受付に黒井は安堵し、呆気なく終わった受付にすこし拍子抜け。


 まあ、それほど危険度が低いということなのだろうと納得もする。


 黒井がネットで見つけたのは、佐渡島の探索者協会支部が募集していたランクDのダンジョンメンテナンスの仕事だった。


 しかし、それは他のDランクダンジョンに比べて貰える報酬が低い。


 なぜなら、そのダンジョン内にいる魔物は、攻撃や刺激したりしない限り襲ってこない特殊な魔物だったからだ。


「一応、強さ的にはランクBの魔物なんだがな」


 その矛盾に笑ってしまいそうになる黒井。


 やがて、施設に到着した彼は、警備員と軽い挨拶を交わしてゲート前に立った。


 そのままゲート内に足を踏み入れると、遺跡を思わせる石の建造物の前に降り立つ。


 そして早速、黒井はお目当ての魔物を遺跡の入口前で見つけた。


 そいつは石の身体を持った巨大な人型で、心臓はなく、ダンジョンコアを破壊しない限り何度でも蘇る不死の魔物。しかも、防御力が高すぎて倒すことも難しいとされる高ランク指定でもある。


 ただし、こちらが悪意を持って攻撃しないかぎり戦闘になることはなく、それ故に、危険度が低いダンジョンとして扱われることが多い。


 その名は、ゴーレム。


 黒井は、見上げるほど大きなゴーレムを観察する。そのゴーレムはまるで、番人であるかのように遺跡の入口脇に立っており、目と思わしき窪みの部分は影になって暗い。


 そんなゴーレムを前にして、黒井は腰を屈めて拳を握った。


――絶対に攻撃しないでください。


 ふと、そんな職員の注意事項が頭に過ぎったものの、彼は心のなかで「すいません」と謝って跳び上がる。


 そして、跳躍の頂点で滞空したまま、彼はゴーレムの胸付近を思いきり殴りつけたのだ。


 ドゴォオオンという衝撃音がして、ゴーレムの巨体が傾く。そのまま後ろに倒れるかに思われたゴーレムだったが、


『敵を検知――起動』


 機械のような声をどこからか発し、窪みの部分に赤い光が宿る。


 傾いた巨体を支えるため、足が一本後ろにさがり、その姿勢のままゴーレムも拳を構えた。


『目標を捕捉。排除します』


 そして、その巨体からは想像もできない速度で、未だ滞空している黒井を石の拳で殴ると、そのまま地面にまで拳を振り下ろした。


 その衝撃は凄まじく、黒井がゴーレムを殴ったときの数倍の轟音が周囲に響き、地面にはバリバリとにヒビが入る。


 そして、巻き上がった土煙を、ゴーレムの赤い光がジッと見据える。


 やがて、ゴーレムはその煙のなかに人影を見つけた。


「硬いだけじゃなく、ちゃんと速度と破壊力もあるのかよ」


 その人影の頭には、二つの突起があった。


 そして、煙が風にさらわれて視界がクリアになると、ゴーレムは一人の鬼を確認する。


「まあ、ドラゴンに通用するか試すにはうってつけだな」


 その鬼は、先ほどの衝撃にも関わらずほぼ無傷であり、しかも、口の端をつりあげて笑ってすらいた。


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