第12話

「結局、そういうことか」


 何も見えない闇の中で黒井は呟いた。しかし、自分の声すらも耳には届かず、本当に声を発したのかどうかすら分からない。


――魔力が吸収されています。魔力値が減少しました。


 ただ、定期的にそんな天の声だけが頭に響く。


 どうやら、鬼として狩られたのは自分だったのだと黒井は悟った。


 最初からそういうシナリオだったに違いない。あそこにいた烏帽子五人は、箱の中にいた鬼を封じるつもりなんてなく、新しく鬼として封印できる者を待っていたのだろう。


 そう考えれば、鬼が悲しそうに肩を震わせていた理由も、最後に泣いていた理由にも納得がいく。


 では、なぜそんな回りくどいことをしているのか?


 その答えを、『回廊の支配者』が受け継がれる能力だからだと黒井は結論づける。


 ダンジョンボスであった鬼は確かに倒した。天の声もダンジョンボスを倒したことを確かに告げた。


 しかし、そんなボスの立場は黒井に譲渡され、今度は黒井自身がダンジョンボスとなってしまった。


 これでは攻略なんて不可能だ。攻略した者が、新たなダンジョンボスになってしまうのだから。


 そして、黒井はまんまとその循環に組み込まれてしまったわけだ。


「あいつらを守る必要なんてどこにもなかったんだな」


 改めて、自身の馬鹿さ加減に嘲笑う黒井。


 おかしな展開に疑問すら持たず、流されるままに鬼へと立ち向かい、結局、自分がやってきたこと全てが裏目にでてしまった。


 最初から、彼らを信じるべきではなかった。


 その迂闊さが、自分が封印されるなんていう滑稽な事態を招いてしまったのだから。


 しかし、それは避けられないことだったとも黒井は思う。


 彼は、かつて後方支援をするヒーラーとしてパーティー内にいた。


 戦闘に参加できない無力さを痛感していたからこそ、自分にできる精一杯を仲間のためにこなしていた。


 そんな経験があったからこそ、非戦闘員に情を抱いてしまうのだ。


 無力さは誰よりも知っていたから。自分が役に立っていないのではないか? という不安を、彼は常に感じ続けていたから。


 だから……彼が烏帽子五人を切り捨てる世界線など、なかったに違いない。


「まあ、お陰で罪悪感がなくなったような気がするな……」


 そして、憎むどころか烏帽子五人に感謝する黒井。


 彼が思い出したのは、横浜ダンジョンの記憶。


 そこで彼だけが生き残ってしまったこと、途中でダンジョン内の異変に気づきつつも強く帰還を主張できなかったことを、彼はずっと悔いていた。


 自分に戦う力があったなら、自分がもっとちゃんとしていれば、自分に治癒魔術師としての能力がもっとあったなら……もしかしたら、みんなが生きて笑えている世界線があったのかもしれないと、黒井はずっと苦しんでいた。


 しかし、そうじゃなかったのだと、ここにきて気づかされた。


 戦いに負けたのは、戦闘員の力が及ばなかっただけであり、帰還を提案しても進むと決めたのは彼らだった。その責任は彼ら自身にあり、戦闘員は非戦闘員に依存するべきじゃない。


 なぜなら、今回みたく裏切られない可能性などないのだから。


 命がかかっている戦場においては、信じられるのは自分だけだ。裏切られたとしても、自分以外の人間を信用した奴が悪い。


 そう思ってしまえる今の状況は、黒井が苦しんでいた罪悪感を消してくれた。


 そして、そんな罪悪感を抱いていた自分はおごっていたのだとも理解する。


 だってそうだろう? 自分が世界を変えられたかもしれないなんてのは驕り以外のなんでもない。結果的に力が及ばなかっただけで、その責任を自ら背負い込むなど、一生懸命戦った者たちに対して失礼極まりない。


 探索者は、誰も信じるべきじゃない。頼れるのは自分だけ。たとえ、苦楽を共にした仲間であっても。


 そのことをようやく理解した黒井は、やはり闇の中でひとり嘲笑った。


「さて、どうするか」


 誰かが助けてくれるのを待つつもりはなかった。このまま耐え続けるつもりはない。


 しかし、箱を壊そうにも物理系統の能力は格段に落ちており、スキルを使いたくても魔力が抜かれ続けているため必要魔力が足りず発動ができない。


 頼れるのは自分だけなのに、今の自分はあまりにも頼りなかった。


 そして、彼はふと、鬼が封印されていたときの箱の状態を思い出す。


 鎖は錆びて弛み、御札の文字は薄れ、明らかに封印は弱くなっていた封印の状態。


 であるならば、この封印は確実に劣化する代物ということになる。


 前回の状態が一体どれほどの月日をかけて劣化したものなのか想像できなかったが、身動きの取りづらい箱の中で、黒井はゴンッと拳を前に打った。


 ゴンッ、ゴンッ、ゴンッ、ゴンッ――。


――治癒術を発動します。

――魔力が足りません。


 一体、どれほどの時間が経ったのか分からなかったが、拳を打ち続ける黒井に、そんな天の声が聞こえた。


――治癒術を発動します。

――魔力が足りません。


 また。


 もしかしたら、打っている拳がダメージを受けているのかもしれない。そんな風に思ったが、感覚が遮断されている黒井にとっては痛覚すらも感じない。


 まあ、痛かったとしても黒井は止めるつもりはなかった。


――治癒術を発動します。

――魔力が足りません。


「……うるせぇな」


 やがて、彼は次第に天の声を鬱陶しく感じるようになり、意識的に無視をはじめる。


――精神汚染が始まっています。

――覚醒魔法を発動します。

――魔力が足りません。


 黒井はひたすら拳で殴り続けることだけに没頭した。それだけを行い続ける機械として自身を認識した。


――精神汚染が始まっています。

――覚醒魔法を発動します。

――魔力が足りません。

――魔力が足りません。

――魔力が足りません。

――魔力が足りません。


 もう、天の声は聞こえなくなっていた。

 そのことすらも、彼はどうでもよくなっていた。


――精神汚染により自我の崩壊がはじまります。

――覚醒魔法を発動します。

――魔力が足りません。

――鬼の侵食率が増大しました。

――鬼化82%侵食しました。

――自我が崩壊を始めています。

――覚醒魔法を発動します。

――魔力が足りません。

――鬼の侵食率が増大しました。

――鬼化83%侵食しました。


 崩れていく黒井の自我を補うように、抑え込まれた鬼の侵食がゆっくりと進みはじめた。


 それは、同じことを何百回とのたまう声に紛れ込んだものだったが、もはやどの声すらも黒井には届いていない。


 彼は狂い始めていた。しかし、それで良かったのかもしれない。感覚遮断すらも僥倖といえた。


 なぜなら、今の黒井の両拳は、とうの昔に骨が突き出し、血で濡れ、潰れ、砕けて、指の原型すらも失われたただの塊を、前に打ち続けているだけだったからだ。


 それなのに彼が死ぬことはなかった。死ぬことがないだけに、狂ってもなお、生きる可能性だけを模索し続けた。


――鬼化100%を達成しました。

――種族が【鬼】になりました。筋力と持久と敏捷が上昇します。

――筋力と持久と敏捷が限界に達しています。肉体の再構成を行います。


 やがて、黒井は自我がないままに鬼へと到達する。その身体は、人の器ではあまりにも限界を迎えており、彼の身体は他の鬼たちみたく巨大化を始めた。


 しかし、


――魔眼08が反応しています。


 魔眼ルーペが、カチカチと音をたて、身体の変異がとまる。


――魔眼08が肉体の再構成をキャンセルしました。代わりに、魔力回路の再構成を行います。

――魔力回路の再構成を行いました。

――種族【鬼】から【鬼人】へ進化しました。

――全能力の最大値が大幅に増大しました。

――称号【雷の眷族】を獲得しました。

――スキル【雷の支配】を獲得しました。

――魔力と知力と精神力が大幅に上昇しました。

――現在、何者かによる魔法干渉を受けています。スキル【雷の支配】により支配を行います。


 次の瞬間、箱の外にいた烏帽子五人は、鎖を伝ってきた電流に驚き印を解いた。


――魔法干渉をレジストしました。ターゲットが眷族対象外のため支配できませんでした。

――【人の能面】が外れました。抑えていた鬼の侵食が戻ります。

――鬼の侵食は既に100%に達しています。進行率を鬼人へと加算しました。

――魂の格が上がりました。

――称号【鬼の王】を獲得しました。

――スキル【鬼の芽】を獲得しました。

――【拘束の鎖】が外れました。物理能力値が上昇します。

――【御札】の効果がなくなりました。魔力能力値が上昇します。

――【棺】が解除されました。感覚が戻ります。


 そして、箱の蓋が開いた。


「い、いかん! はやく印を結びなおせ!」


 烏帽子の一人が焦った声をあげ、それに四人が我に返る。


――治癒術を発動します。

――完治しました。

――覚醒魔法を発動します。

――覚醒に成功しました。


 彼らは再び詠唱を始めた。


 しかし、


「ッッ!?」


 烏帽子の一人が詠唱を止める。いや、声が出なかったのだ。


 なぜなら、彼の喉は抉り取られてしまったから。空いた気管からは、肺が空気を要求するヒューヒューという音だけがか細く聞こえ、頭部のバランスを保てなくなった首は簡単に折れ曲がった。


 そのまま彼は、体のコントロールさえ失い、その場に崩れ落ちる。


 既に絶命していた。


 それを目にしていた四人もまた、詠唱を止めている。それは、驚愕で立ち尽くしているという見方もできたが、諦めてしまった、というほうが正しいかもしれない。


 これから長ったらしい詠唱をはじめたところで、間に合わないだろうと彼らは理解してしまっていた。


「どうやって、あの術式から……」

「ただの生贄ではなかったのか……?」

「完全な鬼になったとて、あそこから逃れることはできぬはずだが……まさか、あやつは――」


 彼が並べられる御託はそこまでだった。その口は、血にまみれた手で掴むように塞がれたからだ。


「あがッッ……ぁぁ……」


 顎に強い圧力をかけられた彼は、言葉にならない呻きをあげた。なんとか抵抗を試みようとはするものの、その前に自身の下顎が砕かれる音を聞く。


「はがぁああああ!?」


 しかし、顎を砕かれてもなお、掴まれた手が彼の顔を放すことはなく、血が混じった涙と鼻水を流しながら叫び続けることしかできない。


「ちょっと試したいスキルがあるんだが、実験体になってくれ」


 掴む手の主が言った。答えられるはずがない。顎が砕かれてしまっているのだから。


 まあ、「断る」と言ったところで、それが聞き入れられるとは彼も思っていないだろう。


「――鬼の芽」


 その瞬間、彼の脊椎に電流がながれ、衝撃で気絶する。


――鬼の芽を宿すことに成功しました。


「やっぱりこれ、俺が受けたのと同じやつか」


 声の主はそう言うと、残りの三人へ視線を向ける。


「チャンスをやるよ。お前らが鬼になって俺を殺せるチャンスをな」


 その提案に、残りの三人は絶望するしかなかった。

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