第11話

 日暮れの生ぬるい空気に、五人の低い声たちが途切れることなく積み重なっていく。彼らの落ち着きはらった呪文は本来、平穏を前提としたなかで唱えられているはずだった。


 怒りをまき散らす者の隣では冗談が言えないように、泣いてる者の隣ではバカ笑いなどできないように、殺し合いが行われているすぐ傍で、呑気に淡々と呪文を唱えられる者はない。


 しかし、そんな光景がそこにはあった。


 もしかしたら……彼らは信じているのかもしれない。詠唱が邪魔されることなく、滞ることもなく、無事に封印は完了するだろう、と。


 いや、あるいは――。



「グガァアアア!!」


 鬼が能面の下で咆哮をあげた。その隙に黒井は月影刀で斬りつけるのだが、その切り込みは血をだすよりも先に塞がってしまう。


「再生速度が速すぎるな……」


 それは、自然治癒などでは到底説明がつかないこと。おそらく魔力が関係しているのだろうと黒井は考え、魔力切れを狙い何度も斬りつけるのだが……ルーペを通して視る魔力回路には一向に衰える様子はない。


 さらには、鬼の動きは緩慢で、攻撃を避けるのは難しくなかったものの、数撃に一度だけ瞬間的に加速する攻撃が紛れ込んでおり、それを避けるためには常に集中していなければならなかった。


 戦闘が始まって数分。結果的に、魔力切れどころか疲労させられていたのは黒井のほう。


 それでも攻撃の手を緩めなかったのは、自身にヘイトを向けさせるためだった。


 なぜなら、鬼が呪文を唱えている烏帽子五人に攻撃する可能性があったからだ。


「味方だと思って喜んでいたが……守りながら戦わなきゃいけないのか」


 それに黒井が文句を言うことはない。守られる立場というものを彼は経験している。戦闘に加わらないからといって、何もしていないわけじゃないことを黒井は誰よりも知っていた。


盾役タンクっていうのは、こういう気持ちなんだろうな」


 そう呟いて、黒井は勝手な憶測でタンクの気持ちを推し量ってみる。それがタンクにおける真実かどうかはさておき、そう思い込むことで、現状に耐えるメンタルを作ろうとしていた。


「……やめよう。やっぱり性に合わない」


 しかし、どうやらそれは失敗したらしく、黒井は改めて攻撃に集中。


「耐えてさえいれば、いつか誰かが何とかしてくれるなんて……馬鹿げてるよな」

 

 吐き捨てた嘲笑はおそらく黒井自身への戒めだろう。彼は意識的に息を吐くと、再び全力で鬼へと向かった。


「傷が再生されるのなら、その速度を上回る攻撃をすればいいだけ……」


 そんな思考を口にしながら振るわれた月影刀の連撃。黒井の作戦は、ようやく刀傷から噴き出した血によって上手くいくかに思われたものの、同じ位置に居続けるのは鬼に「捕まえて欲しい」と見せびらかしているに等しく、彼は、鬼の巨大な手によって呆気なく捕まってしまった。


 しまった――そう後悔する暇もなく、鬼の握力が黒井の身体に食い込んだ。


「くッッ……やられるかよおお!」


 しかし、黒井もまた、強引な筋力によってその拘束を引きはがす。そうして逃れて距離を取るが、全身の肉と骨が悲鳴をあげていた。


――治癒術を発動しました。

――完治しました。

――鬼の侵食により筋力と持久と敏捷が上昇します。鬼の侵食率が増大しました。

――鬼化89%侵食しました。


 鬼の再生速度が速すぎることに歯噛みをしていた黒井だったが、彼自身も負けてはいなかった。鬼の侵食が進むにつれ、治癒術は驚異的な速度で黒井を治してしまう。


 まるで、対峙している鬼みたく。


 それでも、黒井の疲労はピークに達しようとしていた。チラリと烏帽子五人の様子を見るが、呪文が終わる様子はまだない。


 回復魔法を使って疲労だけでも癒そうか考えたのだが、おそらく、同じことを繰り返すだけだろうとその案を却下。


 それは、足りていないのが純粋な戦闘力であることを理解していたからだった。そして、それを補う手段をも、彼には見えていたから。


――鬼の侵食をギリギリまで引き上げればいい。


 そうすれば、今よりもずっと鬼と戦えるはず。それが分かっているために、現状維持の回復魔法にはあまり価値を感じなかった。


 しかし、果たしてそれをすべきなのかどうか彼は迷う。それでも、このダンジョンで鬼の侵食が進行することは、常に正しかった事実もある。


 たしか、烏帽子の一人は言った。呪文が終わるまで鬼の相手をしてくれればいい、と。


 しかし、そんなのは黒井の目指す強さじゃない。なにより、報われることを願ってただ待つことを、彼は先ほど否定したばかりだった。


 ここで負けてしまえば全てがおわる。回避すべき未来は死ぬことであり、可能性に賭けるのなら生きるほうだろう。


 そう結論づけた黒井の行動は早かった。


「ガァアアアアア!!」


 鬼が拳を振りかぶる。それを見た黒井は迎撃態勢をとらず、これまで常に握っていた月影刀を手放した。


――月の力がなくなりました。鬼の侵食が加速します。


 聞こえた天の声に、彼の口の端が自然と吊り上がる。今さらになって、自身のイカれた判断に笑ってしまったのだ。


 やがて、月影刀が地に落ちるかどうかの間際。瞬間的に加速した鬼の拳が、舞台の床ごと黒井を潰した。直撃すれば生きているとは思えない衝撃。いや、生きていたとしても瀕死に違いない。


――治癒術を発動しました。


 天の声。どうやら生き残ることには成功。


――完治しました。


 そして、あり得ない速度での完治報告。


――鬼の侵食により筋力と持久と敏捷が上昇します。鬼の侵食率が増大しました。

――鬼化95%侵食しました。


「ガガ……?」


 鬼が不思議そうな声を発する。黒井を潰した拳に違和感を覚えたからだろう。


――鬼の芽が成長し、脳を貫通しました。脳の一部を破壊しました。

――スキル【制限リミッター解除】を取得しました。


 直後、舞台を潰す鬼の拳が、手首付近にかけて破裂した。


「ガァアア!?」


 その肉片の中心にいたのは黒井。潰されたはずの彼は、完全な状態でそこに居た。


 そして、そんな彼の額からは、小さく白い二本の突起が突き出ている。


「賭けだったが……勝ったな」


 鬼の拳を破裂させたのは、彼が振り抜いた拳のほうだった。ただ、その代償に振り抜いた腕はダランと下がり、指先からポタポタと血を垂らしている。


――治癒術を発動しました。

――完治しました。


 しかし、その代償はすぐに消える。もはや、治癒と呼べる速度ではない。


 そして、鬼の方も破裂した手首の血は既に止まっていて、再生しようと傷口断面から肉の泡を吹かせている。


 黒井は、足元に落ちている月影刀を拾おうとはしなかった。


 刀を扱うよりも効果的な戦い方を見出してしまったからだ。


「鬼たちが武器もなく、素手で殺し合っていた理由がわかる気がする」


 鬼が、まだ無事なほうの拳を掲げて黒井へと振り下ろした。巨大な体躯から放たれる大雑把な拳は、やはり黒井ごと押し潰そうと衝撃を波及させる。しかし、黒井はそれを紙一重でかわし、むしろ余波によって膨れ上がった力を利用するかのように、トンッと空中へ身をひるがえした。


「今度はこっちの番だ」


 跳んだ先の鬼の能面へとわざわざ拳の予告。ひるがえした際に起きた身体のひねりに腕力を上乗せし、黒井は予告通りの拳を能面へとお見舞いする。


 バキリと面にヒビが入り、衝撃で首ごと後ろにそり返った巨大な身体。鬼は為すすべもなく舞台へと沈み、黒井は追い討ちをかけるため、着地後に駆けた。


 もはや、勝敗はほぼほぼ決していたといえる。というより、黒井が賭けに勝った時点で決まっていたのかもしれない。


 黒井が鬼を倒せずにいたように、鬼もまた黒井を殺せずにいた。戦闘力に差はあれど、戦いは最初から膠着こうちゃくしていたのだ。なら、そこから突き抜けたほうが勝利するのは必然。


 あれほど手こずった鬼だったが、今の黒井には倒せる自信しかなかった。


 最後、彼がトドメの一撃を振り上げたとき、ヒビ割れた能面の間から鬼の瞳が黒井を覗いた。


 その瞳はなぜだが、涙を流しているように見えたものの、気のせいだろうと黒井は無視して、容赦なく心臓へと拳を振り下ろす。



――ダンジョンボス【鬼】を倒しました。



 聞き慣れた天の声が聞こえた。それに、ようやく終わったと黒井が脱力したとき。


 バチバチッと、何かが弾けるような音がした。


 その音のほうに黒井が顔を向けると、たった今倒したばかりの鬼の能面……ではなく、それでは隠せていなかった角の先端部分に規模のちいさい放電現象が起きているのを見つけた。


 なんだ? と疑問をいだいた直後、そこから青白い閃光が空気中を裂くように駆け、黒井の額の角へと繋がる。


 脳天を焼け尽くすような衝撃が走った。


――何者かのアクセスにより、職業【回廊の支配者】が強制的に譲渡されようとしています。

――資格を確認しています……。

――称号【避雷針】を確認しました。

――脳内の強い磁気を確認しました。

――資格を満たしています。職業【回廊の支配者】を譲受しました。

――スキル【鬼門】を取得しました。

――ダンジョンボスになりました。


 それは身体を動かすことができないほどの衝撃。しかし、黒井の意識はハッキリしていた。


 にも関わらず、理解の及ばない天の声に、痛みが収まったあとも呆然とする黒井。


「ダンジョンボスだと……?」


 彼がそう呟いた時だった。


「――そわか」


 突然、凛とした声が響き、黒井の眼前に一枚の仮面が出現し顔に張り付いた。


――【人の能面】を装備しました。鬼化を抑えます。鬼の侵食が80%まで低下しました。


「そわか」


 そして、黒井を囲む形で四角形の立方体が現れ、箱となって彼を閉じ込めた。


――【棺】に入りました。感覚を遮断されました。


「そわか」


 今度は、箱の周囲には大量の御札が出現し、それらはぺたぺたと隙間なく箱に貼り付いていく。


――【御札】の効果により魔力系統の能力が低下しました。


「そわか」


 そして、ジャラジャラと五本の鎖が素早く箱に巻きつくと、その鎖は五人の烏帽子の元まで伸びた。


――【拘束の鎖】の効果により物理系統の能力が低下しました。


「そわか」


 五人目の烏帽子がそう唱えた瞬間、その伸びた五本の鎖がピンと張りつめる。


――魔力が吸収されています。魔力値が減少を始めました。


 そうして、黒井は何がなんだかわからないまま、無の空間へと閉じ込められてしまったのだ。

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