第8話

 どうやら、鬼はただ回廊を徘徊しているわけじゃないらしい。


 それは偶然二体目の鬼をみつけ、気づかれないよう後をつけたことでわかったことだった。


 奴らは回廊の分かれ道に着くと丸めていた背を伸ばし、まるで臭いを嗅ぐような仕草をする。そして、再び背中を丸めると、迷っていた様子など微塵もなく廊下を進むのだ。


 黒井はそのあとを慎重につけた。戦闘を行えば鬼の侵食が進むため、気づかれないように十分な距離を取りながら……。


 やがて、奴らが何を目標として彷徨っているのかを黒井は知る。


 後をつけていた鬼の真正面に、別の鬼が現れたのだ。


 すれ違うわけではなく、友好的な挨拶を交わすわけでもない。


 そこで行われたのは、鬼同士の殺し合いだった――。


「ずいぶんと悪趣味なダンジョンだな……」


 彼らの戦闘がおわり、勝ち残った鬼がその場を去ったあと、敗者の死体を見下ろしながら黒井は顔を歪める。


 ゴブリンですら同族同士で殺し合うことはなかった。奴らは群れて組織をつくり、多数で探索者に襲いかかってくるからだ。


 そういった観点から言えば、ゴブリンのほうがよほど人間に近いのかもしれない。


 しかも。


「レベル上がってるな……あいつ……」


 勝利したのは黒井が後をつけていた鬼のほうだったのだが、最初に魔眼で観察したときよりも魔力回路に流れる魔力の勢いが増していた。


 横たわる敗者の鬼も、決して弱くはなかったはずだ。


 それは、覗き見ていた戦闘で十分にわかった。


 奴らはその巨大な体躯からもわかるように筋力が強い。事実、負けた鬼の腕は肩付近から強引に引き千切られており、その断面からは引っ張られて伸びきった筋が行き場をなくしたまま落ちている。そして、それらは辺りに強烈な腐敗臭を漂わせはじめていた。


「おぇっ……なんでこんなに腐るのがはやいんだ」


 その死体はみるみるうちに変色し色褪せ、濁った水泡を発生させながら朽ちていき、やがて骨の姿をそこに晒した。


「骨の見た目は完全に人だな……」


 ただ、人骨と呼ぶには、額から突き出る角があまりにも異様ではある。よく見れば、その角の根っ子は首の骨――第一頚椎けいついから伸びており、頭蓋骨の中を貫通して額からでていた。


 そして、その骨までもが時間を早送りでもしているみたく崩れてなくなっていく。


 これで回廊内に、他の鬼の死体が見当たらないのも納得した。


「さて、と」


 気を取り直して、勝利した鬼のあとをつけようと顔をあげた黒井。


 そして彼は、ジッとこちらを見ている鬼と視線をかち合わせてしまう。


 あ、やべ。


 立ち去ったはずの鬼が戻ってきていたのだ。


 まだ距離はあったがすぐに月影刀を構える。鬼の筋力は凄まじい。しかし、それよりも厄介なのは、敏捷速度にあった。見失えば確実に殺されるだろう。


 それでも、人間の動体視力には限界というものがあり、それを凌駕されてしまえばどうしようもない。


 そんな説明をまるで立証でもするかのように、こちらへ向かってくる鬼は動きを加速させ、黒井の視線を呆気なく振り切った。


 直後、メキメキメキと腕の骨が潰れる音を黒井は聞いた。


「ぐぁああ!」


 見れば、圧倒的な速度で接近してきた鬼が、月影刀を構える左前腕を掴み握り潰している。


 至近距離で鬼の口から吐き出される瘴気の臭いにむせ返るような恐怖が競り上がってきたものの、それよりも、その口の端が嬉しそうに吊り上がったことに黒井は怒りを覚えた。


「なに、笑ってやがるッッ……!!」


 脳内でアドレナリンが噴出する。左前腕は諦め、右手だけで月影刀を握り直すと、愉悦に歪んだ鬼の顔に刃を斬り付けた。


 浅い……!


 しかし、鬼が察して首を引いたため、致命傷までには至らず。それでも、斬り付けた刃は鬼の左目を潰すことに成功した。


「ガァアアアアア!!!!」


 鬼は痛みよりも怒りの感情を咆哮によって爆発させた。


 周囲の空気がビリビリと震え、纏う魔力はより濃度を増す。


 黒井の魔眼で見なくとも、キレたことで強くなったのは明らか。


 しかも、彼の左前腕は未だ掴まれたままだった。


 そして、鬼は見える右目で掴んだままの腕を確認する。


 しかし、その腕は肘から先がなかった。


「キレて一旦吠えるところは、ゴブリンと変わらないな」


 左から聞こえた声。鬼はその姿を捉えようと首を回したものの、その大回りは、黒井に月影刀を振らせる時間を与えてしまった――。



――レベルが1あがりました。能力値が上昇します。


「奴が俺をもてあそぶ傲慢な性格で助かったな……」


 黒井は痛みに耐えながら、殺した鬼の死体を見下ろす。


 この鬼は、一体いつから黒井に気づいて見ていたのだろう。彼は、視線があったときの瞬間を思い出してゾッとする。


 しかし、結果的にその性格が鬼自身を殺した。


 最初に左前腕を掴んだのも、遊ぶためだったに違いない。あのとき腕じゃなく首を掴んでいたなら、今ここに立っているのは黒井じゃなく鬼はだったはずだ。


「治癒術を使いたいが……くそっ」


 黒井は、肘から先が失われた左腕に歯ぎしりをする。それは千切れたわけじゃなく、黒井がとっさに月影刀で斬り捨てていた。だからか、断面はちょうど関節で切断されていて、綺麗な肉筋は見えているものの血はあまり出ていない。


 治癒術を使えば鬼の侵食率が上がるのはわかりきっている。


――治癒術を発動しました。


 ……それでも、片腕でこの先も戦えるとは到底思えず、黒井は躊躇いなく腕を治すことにした。


 判断は間違っていないと信じる。それほどに、鬼は脅威だ。


 魔眼で失われた前腕を見ながら、本来そこに流れているはずの魔力回路を意識的に形成させる。その回路構成に現実が追いつこうと骨や肉や血管が再生されていく。


――完治しました。

――鬼の侵食により筋力と持久と敏捷が上昇します。鬼の侵食率が増大しました。

――鬼化50%侵食しました。


「もう半分か……」


――鬼の芽が成長し、脳まで到達しました。脳と脊髄間を短絡させたことにより、電気信号の速度が大幅に上昇します。

――スキル【反射】を獲得しました。


「反射……?」


 そして、鬼の侵食を進めたことで黒井は新たなスキルを手に入れた。


 これが鬼との戦闘において、起死回生のスキルとなることを……まぁ、黒井は生意気にも何となく予感していた。


「あれ、これもしかして、速く動けるんじゃないか……?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る