第7話
――鬼化10%侵食しました。
黒井は、このダンジョンのクリア条件は脱出なのだろうと考え始めていた。
なぜなら、今まさに歩いている回廊はどこに行っても同じような景色が続くばかりで、鬼の侵食だけがじわじわと進んでいたからだ。
現在、スキルである覚醒魔法と手に握る月影刀だけが進行速度を抑えている唯一の対抗手段なのだが、それでも、侵食を完全に止めることはできていない。
回廊をさまよう黒井の足は次第に速くなっていた。
そんなとき、斜陽に照らされる視界奥に、ちいさな人影をみつけた。
「……あれは、なんだ」
何もなかったこのダンジョンで、最初に見つけた手がかりに
いや、回廊が同じ景色だから距離感覚のほうがおかしくなっていたに違いない。
それに気づいた時にはもう、人影は2メートル近くまで大きくなっていた。
「ゴブリン……か?」
そう思ったのも無理はない。その人影は後ろ姿だったが、ゴブリンのように盛り上がる背筋を持ち、ゴブリンのように下半身だけに布を巻きつける知能の低さを露呈していたから。そして、猫背で歩く姿すらも奴らと酷似していた。
しかし、ゴブリンの特徴である緑色の皮膚ではなく、そいつはより人間に近い色素をしていたため、もしかしたら自分と同じように迷い込んだ探索者なのではないかという可能性が拭い去れずにいた。
そして――そんな可能性はすぐに捨て去るべきだった。
ソイツは黒井に気づいたのか、歩みを止めて振り返る。そこでようやく人ではないことを確信した。
額にある角、充血する目、ヨダレを垂らす半開きの口。
それはまさしく『鬼』と呼ぶに相応しい。
ソイツが人の形をした魔物でしかないことに、黒井は魔眼を発動させる。
「ルーペ」
そう唱えた瞬間――視える魔力回路が、
は?
振りかぶられた拳を添えて。
「がっっ!?」
息が止まったのが先か、拳を打ち込まれたのが先か黒井にはわからなかった。
ただ、無理やり肺から吐き出された呻きとともに、自分の身体が浮き上がったのだけはわかる。視界が回転し、遅れて身体に固い壁が打ち付けられたことを理解しながらも、彼に為す術はない。
そんな中でできた唯一の抵抗は、回復魔法を自身へかけたこと。
その判断が明暗をわけた。
鈍痛に顔を歪めながらも顔を上げて確認すると、続けて二撃目の拳が振りかぶられていたからだ。
全身を奮い立たせて飛び起きる。回復魔法をかけていなければ、そんな瞬発はできなかったはずだ。
バキリと音をたて爆ぜたのは、たった今うずくまっていた頭の位置。
凶悪な拳が破壊した廊下の木っ端が、視界いっぱいにばら撒かれる。
筋骨隆々の腕に流れる魔力が、禍々しい速度で循環していた。それだけで、目の前のソイツが異常な強さを持っていることに肝が冷えた。
それでも、黒井は必死に月影刀を手繰り寄せる。長い探索者としての経験が、それを離させなかったのだろう。殴り飛ばされてもなお、得物を握りしめていた自分自身に彼は感謝した。
「おおおおお!!」
筋力が足りるとは到底思っていなかったものの、月影刀は黒井の意気に応じるように白刃の閃光を宙に走らせる。
そして、彼の頭蓋を潰さんとした太い腕は呆気なく本体から切り離された。
「ガアアアア!!」
言葉をなさない濁った怒号に、黒井はようやく落ち着きを取り戻した。鉛のように重い痛みを無視して、血管が浮き上がる首へと続けて刀を振り抜く。
醜い怒号は、強制的に断絶された。
――治癒術が発動しました。
――魔眼08が発動しているため、体内の魔力回路構成を確認しました。魔力回路が持つ形状記憶により治癒術の効果を上昇させます。
鬼の死体を前にして肩で息をする黒井は、体内の肉が蠢く妙な感覚に気持ち悪さを覚えてしまう。
治癒術は体を治すスキルだが、本来の治癒力を高めるだけのスキルであるため、回復までには時間がかかる。
しかし、魔眼を持つ黒井が使うとその時間を短縮することができた。
――完治しました。
――鬼の侵食により筋力と持久と敏捷が上昇します。鬼の侵食率が増大しました。
――鬼化30%侵食しました。
「30%……?」
思わぬ天の声に黒井は動揺した。先ほどまでは確かに10%だったはず。それなのに、一度戦闘を行っただけでパーセンテージが倍以上に増えたからだ。
おそらく、鬼を倒したからではない。天の声のログから推察するに治癒術を使ったからだろう。
そして、黒井は拳を何度も握り直しながら自身の力が増していることも確認した。
「これは……思っている以上にやばいのかもしれない」
改めて死体を見れば、見事なまでに腕と首は一刀両断されている。それは月影刀の斬れ味が良いせいなのかもしれないが、黒井自身の剣術と鬼の侵食によって上昇した物理能力のせいもあったかもしれない。
どうやら、鬼の侵食は諸刃の剣らしい。
「本当にこれは……称号を得た者だけのダンジョンなのか?」
黒井は疑問に思った。なにせ、それにしてはあまりにも難易度が高いように感じたからだ。
そして、探索者専用の攻略情報に【鬼狩り】の称号が記載されていなかった事を思いだし、とある可能性を考えハッとする。
「まさか……」
最初、記載がなかったのは開発会社側の洩れくらいに思っていた。そして、これまで【鬼狩り】の称号を得た者がいなかったからこそ情報もなかったのだろうと考えていた。
しかし、そうじゃなかったとしたら?
これまでの間に【鬼狩り】の称号を得た者たちがいたとして、彼らも同じようにこのダンジョンに迷い込んでいたとしたら?
記載がなかったのは、彼らが情報を売らなかったわけじゃなく、売れなかったのだとしたら?
そんな仮定が頭の中で明確な線を繋げていく。
やがて、それら全ての仮定を肯定できる答えに背筋が凍りついた。
つまり、【鬼狩り】の称号を得た者は既に全員死んでいる可能性――。
しかし、帰還しようにもこのダンジョンにゲートはない。あるとすればまだ見ぬダンジョンのどこか……もしくは、クリアした後に出現が濃厚。
どちらにせよ、ここでグダグダしている暇はなかった。
黒井は深呼吸をしてから心を落ち着かせると、再び歩みを進める。もちろん、進んでいるかは懐疑的。故に、それは彼の願望が大きく含まれていた。
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