終われなかった恋。始まらなかった恋。

ほにょむ

第1話



「この地に住まう物の怪か!?」


 枝垂桜の細い枝の上に腰掛ける不思議な女に向かって少年……と言うより子供は大声を出した。


 突然、幼い子特有の甲高い声を掛けられ女は、興が冷めたとばかりにその子供を睥睨する


 その顔が余程怖かったのか。そもそもが、なけ無しだった勇気が底をついたのか、少年は泣きそうになってそれを我慢している。我慢できている。あと一歩のところで耐えている。


 女は睨むのを止めて、ふわりと子供の前に降り立つ。

 泣くのを我慢しながら見上げる子供の顔が可愛く見えて、女は興味を持った。


「泣くのか?うるさく泣かれては迷惑だよ」

「泣いてない!」


 泣き声が混じりそうな大声に『まぁ、ギリギリそうかな?』と女は思わず笑ってしまった。



 この地に降りた時、女は結界を張った。誰も寄るな、と。

 魔力が薄いこの世界に来てしまい、次の世界に渡るのには足り苦しくて。のんびり花を見ながら待っていた。もう何年、何十年。ひょっとすると百年を超えたかも。

 

 子供に結界を通り抜ける力が有るとは思えない。なら何故……理由も見えない。不思議な子だ。



 女はしゃがんで、目線を合わせて話しかける。

「どうした?迷子か?なぜここに入ってこられた?」


 子供に対して『質問が多すぎたな』と女は反省しながらも、子供が返事を一生懸命にするものだから、思わず見入ってしまって。


「迷子では無い。ただ、家に帰れないだけだ」


 女は『それを迷子と言うのだ』とは言えない。

 子供が頑張って見栄を張っているのだ。壊してはいけない。


 この子が聞けば『嘘だ』と言ってしまうほどには長く生きていて、子供の可愛い見栄を大事にしてやるくらいの度量は女も持っている。


 女はそんな事を考えていたようだが、要するにこの子の事を一目で気に入ってしまったのだ。


 なるほど、と女は思った。

 たまに居るのだ。精霊と相性のいい存在が。精霊に好かれやすい、近付く事も、見る事も出来る、そんな存在が。



「そうか、家に帰れないだけか」

「そうだ!」


 クスクスと笑ってしまうのは許してあげてほしい。可愛く見えて仕方がないのだから。


 ふふ、と柔らかい笑みで子供に話しかける。

「名は?あるのだろ?」

吉一丸よしひとまるだ。北山きたやまの吉一丸よしひとまると言う」


 元気に答える姿はもう、笑顔になっていて。

 泣いたり笑ったり、忙しい子だね。と女は思った。


 ──見ていて飽きない。



「森の外まで送ってやるよ。そうしたら道を覚えるだろう?いつでも遊びにおいで」


 女は子供の成長を見守る事にした。

 この時は、子供が老いて死ぬまで見ていてやろうと思っていただけだった。いわば暇つぶしだ。


 永い時を生きて、このような戯れは初めてだ。と少しばかり興奮していたのは確か。自覚もある。それでも所詮、一時の興だろうと思っていた。


 けれど、その熱は冷めなかった。

 日を追い、再び会うまでに、なんと大きく成っていくものだと驚いた。姿形も、その心までも。あっという間に変わっていく。

 人の子とはそうなのかと、眼をみはった。


 素直に話を聞いて、適度に生意気で。元気に走り回って、疲れたら眠る。

 こんなに可愛いのか。と、お腹のあたりの不思議な何かがキュッと締め付けてくる。


 吉一丸が特にそうなのだろうか、と女は考えた。しかし、この世界の子供を他に知らないのだ。この世界でなくても、人の子に興味を持ったことが無いのだから、考えても答えは出ないのだが。

 少しくらいは興味を持っても良かったかもしれない。少なくとも自分が言祝ことほぎ、加護を与えた子達くらいは。

 印象に残った子達の名前くらいは憶えているけれど、それだけだ。

 




 人が過ごしていく時間の速さと言ったらない。あっという間に吉一丸よしひとまるは大人びた話し方をするようになっていた。


 女は初めて会った時に思ったことを、いまだに思い続けている。

 ──見ていて飽きない。



 そして、意外にも思っている。

 

 何よりも、こんなに続くと思っていなかった。


 女は楽しんでいたが、人の子の心など移ろうものだ。すぐに飽きて来なくなるだろう。そう思っていた。


 なのに。




 § § § §




「桜の女よ。元気にしていたか?」

「この前、会いに来てくれたばかりだろう?そうそう変わらないよ」


 あはは、と大きく笑う。『それもそうか』なんて言いながら。


「今日はどうした?着物が立派になってるよ。帽子まで。変わった形だね」

「これは、烏帽子えぼしと言うのだ」

 そう教えてくれる吉一丸よしひとまるに、綺麗な笑みで『教えてくれてありがとう』と礼を伝える。


 そんな事で頬を染める少年が可愛くて仕方がない女は、もう少しだけ揶揄いたくて、微笑みながら言った。


吉一丸よしひとまるも見た目を気にする事が有るの?」

「いつまでも子ども扱いするな。俺も元服を迎えた。名も改めた。もう吉一丸ではないぞ」


「ほーう、人の世にはそういうのも有るんだね」

「何でも知って居そうなほどに知恵が有るのに、そういう事は知らないのだな」


 女は『ふふふ』と笑う。少年はその綺麗に整った笑顔に、自分の顔が赤くなるのが分かる。

 先ほどからずっと照れて恥ずかしく思っていたのに、ついに耐え切れなくなって顔を背けてしまう。


 その行動も女には、何故かなんて事はお見通し。『おや?どうしたのかな?』とニヤニヤと言われてしまって、やはり揶揄われてしまう。


 少年は嫌では無かった。構ってもらって嬉しかった。

 しかし、それを認める事が出来るほどには大人にはなれていなかった。


ちか

「ん?」


「だから。俺の新しい名前だ」

 慧親を名乗る少年は女に背を向けたまま声を張る。


「そうか。で、どうしてまだ背を向けている?この国の男は女に背を向けて名乗るのか?」


 慧親の心臓は大きく跳ねた。

 慧親は初めて女に『男』と言われたのだ。

 今までは『子供』と。酷い時などは『お稚児さん』などと。それは幼児扱いではないか、と腹も立った。


 慧親は振り向く。口元を引き締め、瞳に力を込めて。

 ずっと仕込まれていた作法で正式に挨拶をする。


それがし北山きたやまの左衛門之介さえもんのすけちかと申す」


 驚くほどに綺麗に立礼する慧親に、女は『おおぉ』と感嘆の声を上げた。

「あの坊やがこんなに立派になるんだね。驚いたよ。さぁ、顔をあげて。その顔を良く見せてくれ」


 そそそ、と近付いて慧親の頬に手を添える。

 美丈夫と言っても言い過ぎではない顔立ちに、女はドキリとする。

 ──そう、こんなに変わってしまうのか。良い意味で、なんだけど……。


 成長を見守って来たつもりだったが、改めて見るとこんなに美しい若者だったか、と驚いてしまっている。


 慧親は頬に触れた女の手に自分の手を添える。


「桜の女よ。頼みを聞いてくれ」


 女は自分の心がざわざわと騒いでいるのが分かった。

 ──なんでも聞き届けてやりたい。


 本来の権能が使えれば、それだって可能だったはず。

 魔力の薄さがもどかしい。


 ──いや、まずは話を聞いてから。


「聞くだけで良いのなら、いくらでも」

 それでも揶揄う様に言ってしまうのだから、女も相当ひねくれている。


「俺は元服した。もう大人だ。だから……お前の名前を教えてくれ」


 女は『きょとん』としてしまった。名前などいつ聞いても良かっただろう、今更なんだ?と。


「子ども扱いではなく。一人の男として見てくれ。お前の、いや。貴女の名前を教えて欲しい」


 この子は自分が大人になるまで待っていたのか。子供とあしらわれてしまうのが嫌で。

 もう、その気持ちが男のそれだなと、女は思った。

 そして、まだまだ可愛いな。とも。


 見栄など張らずとも良い、と教えたやりたい所だが、それも無粋だ。


 しかし、そんな偉そうな事を考えている場合ではない。自分が、そんな男にどういう目で見られていたかを自覚すると、女の頬は赤くなる。


 満更ではないと思ってしまう自分は何なのだ、と。



 取り繕う様に偉そうに言い放つ。

「私の名前?」

「そうだ」


 名前を名乗っても良いけれど、きっと馴染みが無いだろう。この国の名前では無いのだから。

 どうせなら、名前も好いて欲しいと、欲張りにも女はそう思ってしまった。



 ふと、思いついた。意味など無い。けれど、いささか洒落では済まない。そんな、ただの思いつき。


「私に名前は無いんだ。どうか慧親よ。お前が私に名前を付けてくれないか?」

「お、俺が?」

「そう。お前が……いいや、あなたが呼ぶ名で私は振り向くよ」


 慧親は女へと、真剣な眼差しを送り少し黙考する。

 そして。


阿夜霞あやか

「阿夜霞……」


 慧親の声に女は繰り返す。


 ──悪くない。


 なんて、女はまた偉そうに思ってしまう。


「俺は貴女を阿夜霞と呼ぶ」

「なら、それが私の名前だ。慧親よ、綺麗な名前をありがとう」




 名付けなど、そんな関りを持たせてしまっては言い逃れなんて出来ない。


 異界の地で偉大な精霊として存在したこともある。そんな女が新しい名前を手に入れた。

 阿夜霞の心が可愛く踊り、初恋が始まった。


 ちかにしてみれば、幼い日より足繁く通い、やっと男として見てもらえた。いつ初恋が始まったかなど、もう覚えてはいない。


 問われれば、こう答えるのだろう。格好をつけて、見栄を張って。


 愛しさを込めて。





『気が付けば惚れていた』






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