第2話
それは間違いなく夢であったのだが、実際彼女が体験したのは数か月間の実話であった。
美津江が十九歳の時だった。
そこは、滋賀県大津市という大きな町で、十キロほど西に行くと京都で北の彼方を見ると、比叡山が見える。そして、新羅神社にも、美津江はよく行って、鳥居の下に座って考え事をした。
その日は、今でもはっきりと覚えているのだが、六月日和の暖かい日だった。また一人になりたくて、新羅神社の鳥居から少し行った処にある石段に座って、ぼんやりとしていた。何でもないことだったが、それが気持ちよかった。時には奥の方に行って見ることがあったのだが、今日はそんな気分ではなかった。母君子が買い物に行った隙に、家を飛び出して来たのである。
今、美津江は一人だった。
その気分が堪らなく好きだった。
その雰囲気のまま、その日一日が過ぎて行く。
そして、夕方になり、母がいる家に帰らなければならなくなる。それを考えると、気分が堪らなくふさぎ込んでしまう。このまま・・・ずっとここにいようかな、と思う。なぜか、今日に限って帰る気分にはならない。
「どうしたんだろう!」
美津江には帰る気分にならない・・・自分に気持ちを理解していた。
そうこうしている内に、陽が暮れてしまい、夜空に星がちょこちょこと出始めた。
神社の中には人は一人としていなかった。
「やっぱり・・・」
彼女はゆっくりと立ち上がった。
と、その時、彼女はこっちにやって来る男の子に気付いた。走って来る。五六歳くらいの子で、手にはお菓子のようなものを持っているのが見えた。
「何処の子・・・?」
と、彼女は疑問を抱いた。
見たことのない男の子だった。この辺りの子ならば知らない筈はなかった。おまけに、白い服を着ていたのだが、その服も今の男の子なら着ないような変わった服だった。ベルトもしていなくて、その白い服も皺が寄り、今の親なら恥ずかしくて絶対着せないような服に見えた。
「こんにちは・・・」
美津江は声を掛けた。同じ年頃なら見過ごしてしまうのだが、なぜか気になり声を掛けてしまったのだ。
少年は立ち止まり、目の前に女を見上げた。
「この辺りの子・・・?」
と、彼女は訊いた。
キョトンとした顔で美津江を見つめたままで、一言も言わない。少年の様子から想像すると、彼はこれから何処かへ行くように思えた。違うな、と彼女は思った。少年は手にいくつかの駄菓子を持っていた。道を出て、東に少し行くと、六十くらいの老婆がいる駄菓子屋がある。どうやら、その店で買ったようだった。そこで、
「家に帰るの?」
と、彼女は笑顔を浮かべた。
それでも、少年は何も言わない。美津江を怖がっている様子もない。その後、少年は逃げるように神社の奥に走って行った。
その夜、美津江は昼間あった少年が気になり、なぜか眠れなかった。来ていたのは絹の白い服なんだろうが、今着る子供の服ではなかったのだが、顔立ちも・・・今の子供ではなく・・・何だか日本人ではないように見えた。
(明日も・・・行って見よう)
と、彼女は思った。
のだが、母の存在が気になった。
「ちょっと出かけて来る」
と、言っても、そう易々と外出させてはくれそうもなかった。いいか、もう十九なんだから、うまく逃げ出して見せる・・・と決めた。
次の日から、理由を言って家から飛び出して行った。その少年は夕方になると、やはり鳥居の方からやって来た。手には駄菓子を持っていた。
「こんにちは、また会ったわね」
と、彼女は挨拶をした。四五日すると、彼女はますます少年に興味を持ち、何処に住んでいるのか気になった。彼女は母に外出を止められない限り、毎日来ていた。いつか、午後から雨が降り始めた。
「来るかな?」
それでも、少年はやって来た。傘は持っていなくて、雨に濡れていた。
「風邪をひくといけないから、この傘を持って行くといい」
少年は躊躇していたが、ゆっくりと手を出し、傘を持って神社の奥に行った。少年は裸足だった。
美津江は駄菓子屋の老婆に、少年のことを聞いて見ることにした。
その次の日、いつもより早く家を出た。老婆は背の低い、白髪が混じっていて眼が細く可愛い人だった。
「こんにちは」
美津江はニコッと笑い、店の中に入って行った。子供が十人ばかり入る店の大きさで、周りと真ん中に駄菓子がぎっしりと並べてあった。店には誰もいなくて、老婆は店の奥の椅子に座っていた。白い服を着た男の子はまだ・・・いなかった。
美津江は男の子のことは聞くのをやめて、
「見せてもらっていいですか?」
駄菓子を見て回った。
「ええ、じっくり見て行ってくださいよ。もうすぐ子供たちもやって来ますから・・・」
そこで、彼女は聞いて見た。
「沢山の子供さんが来るんですか?」
「ええ、それ程でもありませんよ」
という答えが返って来た。
そこで、彼女は白い服の男の子のことを聞いて見ることにした。
「ええ、ああ・・・あの子のことかな。大分と前からよく来ていますよ」
「そうだと思います」
「この近くの子なんですか?」
「さあ・・・見ない子なんだけどね」
老婆は首を傾げた。
「でもね、変な子で・・・何もしゃべらないんだよ。店を閉めるまでじっと駄菓子を見て
いるんだよ。だから、私も店を閉めなくっちゃならないから、いくつか駄菓子をあげると帰って行くんだよ。この頃では愛着が沸いて来てね、いつの間にかあの子を待っている自分がいるのに気付いて・・・驚いてしまうのさ」
「今日も来るかな?」
「来ると思いますよ。
老婆は、なぜか・・・
「ハハツ」
と、笑った。
そうこうしている内に、子供たちが店の中に入って来て、駄菓子の周りに集まって来た。
美津江は子供たちの邪魔になると思い、外に出た。この時には、今日はあの子に後を付けて行ってみよう、という気分に彼女はなっていた。そこで彼女は先に鳥居の所に行っていて、隠れていようと思った。
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