第0.8話 魔女
四面とも、そして天井と床までもが、白いパネル張りの部屋。
湖の水面に映っていたあの部屋と同じ。
違うのは、この部屋にはベッドがなく、彼女もここにはいない。
ゲートを開けるといっても、万能ではないらしい。
さすがに彼女の部屋に直接送り込んでくれるわけではなかった。
いや、監視されていたらそこに送られるのはまずい可能性がある。
おじさんたちが送ってくれた場所の方が最適だったのかもしれない。
僕が彼女の部屋に行こうと行くまいと、先にやらなければならないことがある。
まずは情報収集だ。
本来は人の外殻として機能するナノマシンには、その機能を維持する以外の処理が読み込まれないようになっている。
僕の体を構成するナノマシンには多少手を加えていて、本来は体を構成して人の外殻となる部分すらも僕の割り込ませた処理を任意に実行できるようにしてある。
ナノマシンは本来、様々な使い方ができる。
その機能制限を解除しただけだ。
ナノマシンのクラスターを分散させ、施設内の開口部を通って施設の拠点を探る。
その間、僕の体もバラバラになるが、触覚や温度感覚などのフィードバック機能は
全てのナノマシンが分散しているので、今の僕を見つけるのは不可能に近いだろう。
驚いたことに、この施設内では多数の生身の人間が活動している。
空気循環のためのダクトがあるなんて、なんという前時代的な建物だろう。
僕らのような大半の一般人は、基本的に生まれてすぐに生命維持装置の中に生身の体を置いて、マシンで構成された複数の体に意識をオーバーライドさせて生活している。
その方が、呼吸や食事、怪我や排泄や衛生面など、その他にも生体を維持するための機能が全て本体にいつでも供給されて、生命の維持には最適だがらだ。
複数の見た目を切り替えたり、体を切り替えることで複数の空間を瞬時に行き来できる便利さもある。
今のご時世、生身の身体だけで生活する旧世代の暮らしをしている人はごく一部だ。
そのごく1部の人間が多数活動しているこの施設は特異だともいえる。
たしか、
そのため、
ただし、生身なので命を落とす危険が常にある、ということでもあると。
施設内のいたる所にダクトが伸びていたおかげで、ナノマシンを拡散しやすい。
そろそろナノマシンを配置した近くで話されている内容や、記録データで彼女を
そもそも
赤髪の少女や眠っている少女など思い当たるワードで当たりをつけるも、なかなか彼女にたどり着くような情報は出てこない。
まだナノマシンを広げられていない範囲もある。
会話内容を文字データにして目で追う。
直近の噂のようなもので話されていないか?
噂話の類と思われる気になる会話を見つけて読む。
「2番の隊長補が魔女を連れ帰ってきた時はどうなるかと思ってヒヤヒヤしたよ。
けど、相手が寝てて本当に良かった。
もし寝てなかったら、今頃殺されてたかもしれないよ」
「まさか生きたままとかありえない!
仕留められないくらい強かったとか?
それか命令違反?」
「そう命令違反!
しかも隊の中でも現役で最強とか言われてたあの名門の跡継ぎだよ?
確実に仕留めてくるってみんなが思ってたけど……期待はずれだったみたい。
あれで最強とか、それこそありえない」
「巨人殺しは伊達だったのかもな」
『巨人殺し』といえば、あのヴァルキリーの異名だったはず。
ゲートで連れ帰った『魔女』が、あの赤髪の少女の事を言っているのだとしたら、ヴァルキリーの行動は作戦指示とは違った?
どうしてかはわからないけど、生きたまま連れ去られたのはヴァルキリーが命令違反をしたからということらしい。
他の会話の中にも『魔女』という単語が出てくるものがある。
おじさんたちがアリスちゃんと呼ぶ傍ら、
「回収された魔女だけど、本部からの処理命令はまだ出てないらしいぞ」
「あんなのさっさと始末してしまえばいいものを」
「それが、衆目のあるところで隊長補が派手にやらかしてたからさ。
一般人にも見られているし、上層部で話が止まってるらしい」
『魔女』と『隊長補』が登場する話に絞り込んでみるとかなりの数がある。
どれも似たような話で持ちきりらしい。
『隊長補』と『巨人』を含まない『魔女』だけが登場するものに絞り込んでみた。
「今回の魔女は
転送後、すぐに中継開始だそうだ。
最新の装置に換装が済んでいる区画の中から、特に危険な区画をいくつか選定しておけと
早速選定に入る」
「「はい」」(複数人の声)
どうやらこの新しい会話が彼女の処遇を決める鍵になるだろう。
おじさんたちの話によると、保護区にはエネルギーを吸いとる装置がしかけてあるらしい。
1度衆目に晒されているため、サバイバル番組の体裁で衆目の面前で彼女からエネルギーを吸い出しながら殺してしまおうということらしい。
彼女がどうなってしまうのかがわかったので、僕がこれからしなければならないことを1度整理する。
・彼女の部屋に行き、寝顔を見る
却下。みてどうする。みたいだけじゃないか。
・彼女をここから連れ出す
おそらく不可能。
ナノマシンの体なら可能かもしれない。
僕の使っているプログラムをチューンすればいい。
だけど彼女は生身だ。
何重ものロックを解除して誰にも見つからずに彼女を生還させる方法は、残念ながら無い。
あったとしてもすぐにゲートで連れ戻されたり殺しに来られてしまう。
・時間を稼ぐ
現時点で僕ができるのはそれくらいだ。
具体的には1ヶ月程度の時間稼ぎだ。
しかも、既に予定が組まれているサバイバル番組の中継はフォロワーにも通知されている。
もちろん僕にも通知が来た。
フォロワーと
それには彼女自身の地の忍耐力も必要だろう。
僕はできることをするしかない。
これまで組んだプログラムと、役立ちそうな誰かのプログラムをマッシュアップする。
区画選定グループの通信経路を電波探知して、バックドアを仕込み、
選定グループの1人のリーダーのユーザー情報を使って、リーダーが上に送信した彼女が送られる候補地のリストを取得。
エリア概要には、活火山地帯の区画や底なし沼がいたる所にある区画など、これまで多くの
全ての候補地の管理ディレクトリを開いて、エリア位置情報だけを期限付きで差し替える。
すなわち、彼女が送られる場所は、僕の指定したエリアになる。
これまでサバイバル番組で
あとは彼女と一緒に、僕のナノマシンを何個か忍ばせて、エリアでのサバイバルを補助しながら1ヶ月を何とか乗り切ってもらうしかない。
付けられるナノマシンは少ない。
生身の人間として認識されないと僕の計画にも支障がでてしまう。
最小限にしなくてはならない。
昼間はサバイバル番組の中継で十分に見えるから、目の機能はサーモ暗視用だけでいい。
いらない機能を削り、最小構成にして彼女の髪の1部に分散して忍ばせる。
サバイバル番組の通知がきたのと、彼女がゲートの先に運び込まれるのは同じタイミングだった。
ナノマシンに
今頃僕のしかけたエリア位置情報の変更は元に戻っているだろう。
番組が始まる冒頭では、今回の彼女が送られた場所では無い保護区の概要が紹介されている。
保護区に詳しい研究者や番組のマニアなら気づくかもしれない。
この区画は違うと。
彼女が犯したという罪というのも、全くの丁稚上げだ。
被害者遺族の女性として映されている人は、あの噴水にはいなかったと思う。
少なくとも僕がいた上空から見える範囲で、彼女が誰かや何かに危害を加えたなんて思えなかった。
生身の彼女が、眠っている状態でどんな被害を出せるというのか。
普通に考えたらありえない事だとわかるはずだ。
仕組まれた見世物に、僕が少しだけ手を加えた。
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