神殺しのコロッケ

反田 一(はんだ はじめ)

神殺しのコロッケ

美代子さんは迷っていた。

午前中に洗濯と掃除を終わらせた。

午後一番で買い物に出るはずだったが、久しぶりの知人からの電話に思った以上の時間をとられた。

10年以上の空白の時間を埋めようとするがごとく、話し込んでしまった。

そのしわ寄せが今やって来ている。

コートを着込んではいるが、冬の道の寒さは身に染みる。

一戸建ての住宅が並ぶ中を歩きながら、美代子さんは呟いた。

「10年」

言葉にすれば一言。

振り返ろうとすると様々なことが思い出される。

ただ、美代子さんは今、考えるべきものがあるせいで、そのこと以外を考えることができない。

美代子さんは迷っていた。

「今夜のおかずはどうしましょう」

美代子さんはここ10年、家族4人分のごはんを作り続けてきた。

そう考えると、よくここまで来たものだと自分を労いたくなると同時に、世の妻や母の強さに感服する。

皆、同じような日々の中を生きているようで、毎日選択を迫られているのだ。

携帯電話のディスプレイに表示された時計を見る。

まだ余裕がある時間だ。

夫の帰りは読めない。

だが、たいてい夜の7時過ぎに帰ってくる。

問題は子どもたちだ。

小学五年生の長男と二年生の長女。

彼らは食欲が旺盛だ。

彼らは今でも十分によく食べる。

これが3年後、5年後にどうなっていくのか、想像するだけで恐ろしい。

ご飯を用意するのは妻であり母である美代子さんの役目だった。

それは最初からそうであり、今も、少なくとも数年後も変わらないだろう。

子どもたちは当然ながら、夫が手伝ってくれることはほぼない。

ほぼ、ない。

そう、そういえば何回かあった。

年に一度の、母の日。

「お母さんは何もしなくていい」と言われ、他の家族3人が全て家事をやってくれた。

夫に感謝を伝えると満足げな顔をして、それっきりだった。

どうやら年に一日だけ手伝えば、向こう一年は何もしなくていい権利を獲得するようだ。

美代子さんは思った。

母の日というものがあるからいけないのか。

じゃあ母の日が増えたらいいのか。

いや、むしろそんな日が一切ない方が良いのか。


「あら?」

気が付くと見慣れない道に立っていた。

どうやら道を曲がりそこなったらしい。

「まあ、いいわ」

こちらの道からでもスーパーにはたどり着ける。

ちょっと遠回りかもしれないが、気分転換にちょうどいい。

こちらの道は、いつも利用しているメインストリートに比べると、人通りが少ない。

と言っても暗くて危険というわけではない。

どちらかというと、メインストリートよりこちらの道の方が陽の光が当たって明るい。

高台の縁の道からは、一戸建ての家々が見える。

散歩する目的であればこちらの道の方が良いのが分かる。

ただ、散歩にしては人が多い。

疑問に思って歩いていると、まもなく左側にそれが見えて来た。

図書館。

利用できる時間と定休日の案内が掲示板に記載されている。

そうか、小道にしては人が多いのはこのせいか。

入口から敷地の中を覗く。

廃校になった小学校の校舎を利用しているため、随所にノスタルジーに浸る場所を見つけることができる。

「懐かしいわねえ」

図書館に対してか、小学校に対してか、美代子さんは口に出していた。

言いながら通り過ぎようとしたとき、「そういえば」と思った。

図書館にだったらレシピに関する本が置いてある。

参考になるかもしれない。

図書館の入り口の門を通り抜ける。

左側に見えるグラウンドは、今は地域の活動のために開放されているようだ。

子どもたちがボールを追いかける声がする。

まるで今でも小学校が機能しているかのようだ。

図書館の入り口の自動ドアをくぐる。

外観は小学校だった建物は、しかし中に入ると完全に図書館だった。

受付のカウンターがあり、検索機としてのコンピューターが数台置いてある。

教室の一つ一つが区切られていたであろう壁は取り払われ、本棚が並べられている。

料理コーナーは思ったより充実していた。

古い本も多いが、新しいものもある。

気になる本をいくつか抜き取り近くのスツールに腰かけた。

パラパラとめくってみる。

「あら、このコロッケ美味しそう」

そう思っていると、一枚の紙が本からはらりと床に落ちた。

何かしら、と拾い上げると、それはどうやら手紙のようだった。


「この手紙が同族の者の手に渡ってもらえていることを願う。

私は、この国に住むしがない物書きだ。

要点だけを手短に伝えたい。


我々の種族は、ご存じのように、自分たちのことを”神殺しの種族”として呼称してきた。

現に、我が祖先たちは、神に手を掛けるあと一歩まで行った。

だが、これもまた周知の事実のように、失敗に終わっている。

なぜか。

それは直前になって同族殺しが始まったからだ。

歴史書にはそう記されているのをうんざりするほど見て来た。

おかげで、我々は馬鹿な種族として他民族から指をさされて笑われる。

目に見えた侮蔑が見られなくなってきたとはいえ、今となっても皆内心はどう思っているかは分からない。

私は、甚だ疑問だった。

なぜ誇り高き我が種族の祖先たちは、大きすぎる栄誉を獲得する手前で、同士討ちなどという陳腐な争いに興じなくてはならなかったのか。

種族の誇りよりも私欲を優先するような愚かな行ないに走ったことを、私はどうしても腑に落ちなかった。

私は考えた。

そして、ある事件との関連があるのではないかと疑った。

それが、あの「宇宙移民計画事件」だ。

今まで、この星から放たれた宇宙探査船による調査は数多く行われてきた。

ただ、宇宙移民を前提とした航海は初めてだった。

世界は希望に満ちていた。

各国から選ばれた識者によって構成された国際チームによる探査となるはずだった。

だが、これも失敗している。

船が地球を出て間もなく、わが国のパイロットが殺害されたのだ。

犯人は、同じ船に乗ったパイロットだった。

そのパイロットは異国人だった。

この事件が国際問題になったのは火を見るよりも明らかだ。

希望から一転、人類は暗黒時代に真っ逆さまとなった。

たしかに、あれは悲惨な事件だった。

ただ、そこにこそ問題があったのだ。

あの事件は、逆に言えば、国際問題としてしか見られなかったとも言える。

より重大なものが隠されていたが、多くの国を巻き込んだ大規模プロジェクトだったがゆえに、その大きな陰に覆い隠されてしまったのだ。

また、その重大なものが露見しなかった理由に、それがあまりに突飛な考え方だったからということもあるだろう。


ここからは私の仮説だ。

結論から言うと、私には、どうも神の意志が働いているとしてか思えないのだ。


あなたは”意識”をどう思うだろうか。

自分の躰を支配しているのは、自分の意識だけだと思っているだろうか。

私はどうも全ての人の中に神の意志の、言うならば断片みたいなものが埋め込まれていると思っている。

その神の意志の断片は、神の裁量によって発動され、人の意識に影響を及ぼす。

そう、例えば、派閥争いの末の同族殺し、そして国際問題に発展する一発の銃弾を撃たせることも。


では、神の目的は何なのか。

それは、我々人類をこの星の中に留めることではないだろうか。

我々人類はこの星の自然によってもたらされた。

だが同時に、我々には自然をも超える可能性をも備わっているとも言える。

600年を隔てた二つの事件の共通点は、この星を出てフロンティアへの航海を目的としていたことだった。

故郷である星を出ることは、人類として初めて自然を超える試みだったのだ。

それを神は許さなかった。

いや、あるいはあれは神が与えた試練なのか。

地を這うことしか知らない人類が羽ばたいていけるかという試練だったのかもしれない。


ここまでこの手紙を読んだあなたは疑問に思うだろう。

神の意志の欠片が全ての人の意識にあるのだとしたら、なぜ私は神に都合の悪い内容の手紙を書くことができるのか。

それはどうやら図書館にあるようなのだ。

神はとりわけ人間の創作物をお気に召している。

創作に関しては、人間を認めているようだ。

そのせいか、図書館の中では神の干渉を逃れることができる、というのが私の予想だ。

私が、神の意識の断片の考えに至ったのも図書館の中だった。

だが、私が図書館から離れた瞬間に記憶を操作される恐れがある。

そこで、私は同じ手紙をいくつかの本の中に仕込んだ。


ここからが、私のお願いだ。

頼む。

この手紙を見つけたのが聡明な同族の方だと見込んで託したい。

この仮説を基にどうか真実を解明をお願いしたい。

そして、その際には、私の名前も添えてはもらえないだろうか。

どうかお願いだ。

私の名は__。」


「パーン」

聞えてきたメロディに美代子さんは顔を上げた。

夕方の定刻を告げる音楽が街に溢れている。

つい長居をしてしまった。

急いで買い物をして帰らなければ。

立ち上がり、手紙を本に挟み直して元の棚に戻す。

今夜はコロッケにしよう。

手の甲に買うものを素早くメモしていく。

図書館の出口へと急ぐ。

温かい室内には、新聞を広げるお年寄りや参考書を広げている学生がまだ多く残っている。

「それにしても」と美代子さんは思った。

「随分と想像力の豊かな手紙だったわねえ」

受付を過ぎ、図書館の入り口まで戻って来た。

室内から外が見える。

日も落ちてきて寒そうだ。

外へ出るのがためらわれる。

「神様の意識の欠片」

自動ドアをくぐる。

「そんなものが私の中にもあるのかしらねえ」

図書館の外へ出た。

室内とのあまりの温度差に身が縮こまる。

その寒さに意識の全てが一瞬持っていかれた。

「あら」

美代子さんは立ち止まった。

「私、今何を考えていたのだったかしら」

美代子さんは首を傾げた。

何かを忘れている気がする。

美代子さんは一生懸命記憶を辿ろうとした。

しかし、どうしても思い出せない。

思い出そうとしている部分が欠落して、その空白を埋めるかのように別のものが頭の中に湧いてくる。

そんな感覚に襲われた。

「そう、コロッケよ」

美代子さんは自分の左手の甲を見る。

美代子さんは、しばらく買うもののリストを眺めていたが、

「あら」

また首を傾げた。

「これを入れたら、もっと美味しいコロッケが作れないかしら」

美代子さんはカバンからペンを取り出し、リストの最後に一つ書き加えた。

「これでよし。さあ、急いで買い物を済ませて帰りましょう」

美代子さんは満足げに歩き出した。


美代子さんはこのとき思いもよらなかった。

数年後にこのコロッケをきっかけに世間の注目を集めることになるとは。

ユニークな味。

そして何より、斬新なネーミングのコロッケ。

そのコロッケの名前の後ろには副題が付くことになる。

神の頬も落ちるほどの美味しさ、と。


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神殺しのコロッケ 反田 一(はんだ はじめ) @isaka_haru

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