第25話 離れたくない
「坊ちゃま、[竜の目]が消えましたぞ!」
飛び込むような勢いでジルさんがベッドの側まで滑り込んでくる。
エドアルド様はむっとしたような顔になった。
「じいや……今いいところだったのに」
飛び跳ねるように喜んでいるジルさんを横目に、エドアルド様は長いため息をついた。一歩遅れて部屋に入ってきたバルバラさんが、ジルさんを「まあまあ」と抑えながら私に軽く頭を下げる。
「おそらく[竜の目]を触った人が恋をして、その想いが通じ合えば……呪いが解けるのだと思いますよ」
興奮しているジルさんとは対照的にバルバラさんは冷静だった。でも珍しく頬が紅潮している。バルバラさんも喜んでいるのだろうか。
いったい、この白い光は何なのかしら。
初代領主様の呪いが解けて、それから魔鉱石が採れるようになったと聞いているけれど。
呪いが解けると……何が起こるというの?
(――ずいぶん時間がかかったな)
聞き慣れない低音の渋い声が部屋中に響き渡った。どこから聞こえているのかと見回してみたけれど、声の主は見当たらない。ジルさんの顔が一気に引き締まっていくのがちらりと見えた。
(――
白い光は一か所に集まって大きな光の塊を作り、ゆっくりと床へ降りてくる。
とても竜のようには見えない。肉体を捨てたということだから、姿も変わってしまったのだろうか。
「まあ……お嫁さんが来なかったのは、関係なかったと?」
「うーん、納得いかんな……」
バルバラさんとジルさんのささやくような声が聞こえた。
光の塊は大きくなったり小さくなったりを繰り返しながら、やがて人間のような姿をとり始めた。全身が光り輝いているから髪が長いのがわかるくらいで、顔かたちなどはわからない。
(――そこな者、
「はあ、そうでしたか」
やる気のない返事とは裏腹にジルさんは
私とエドアルド様だけがベッドに横になったままだ。
いけない、不敬になってしまうかもしれない。あまりにもいろんなことが続くから、頭がついていかなくて……。
慌ててベッドから降りようとした時、私に向かって一筋になった光の粒が伸びてきた。驚いてエドアルド様を見ると同じように光の粒が当たっている。
あの光り輝いている神様から来ているように見えるのだけど。
暖かいような……なんだか不思議な感覚。
(――試練を乗り越えた者と、その子孫が領主である時に、
最後の声は耳の奥で響くような聞こえ方をした。
わあ、という歓声がいろんな方向から上がってくる。あの声はこの辺りにいる全員に聞こえたようだ。
『試練を乗り越えた者』って、きっとエルアルド様のことだわ。神様と何かすごい約束をしたみたいなのに、そのエドアルド様はむっとした顔のまま考え込んでいるのだけど……。
お礼を言わなくてもいいのかしら。
わたしが迷っている間に、光る神様は空気に溶けるようにすうっと消えてしまった。
エドアルド様は、急にこちらを向いて私の手を取った。エドアルド様には今まで何度も手を取られているはずなのに、また私の心臓は鼓動を激しくする。
「グラーツィア、答えを聞かせてほしい。――俺の側にいてくれるか」
そういえば先ほど、エドアルド様は眠ってしまう前に『結婚を考えてくれないか』と私に聞いていた。その答えを、出さなくては……。
「エルドお兄様! さっきの声は? 頭に響いて……」
その時、バンっと音を立てて部屋の扉が開いた。フラヴィア様が前と同じように息を切らせて立っている。こちらの方を向いた途端に表情が固まり、大股で部屋の中に入ってきた。
「どうしてあなたが……イチャイチャしてるの、エルドお兄様と」
「フラヴィアー、そっち行ったらダメって言っただろー」
大きな男の人がドタバタと足音を立てて部屋に入ってくる。
私の手をつかんでいるエドアルド様の力が強くなった。
「ディック、フラヴィアを連れて出てくれ」
エドアルド様が大きな男の人に声をかけた瞬間、空気を割くような金切り声が上がった。
「離れなさいよ!」
フラヴィア様は私を睨みつけて、近くの棚の小さな花瓶をつかみ取る。
「わたくしの方が、先なのに! わたくしの方がずっとお兄様を――」
「フラヴィア!」
エルアルド様はたぶん、私の前に移動しようとしていた。けれどフラヴィア様の動きはそれよりも早く――
花瓶を振り上げた彼女は、そこで動きを止めた。
次の瞬間、フラヴィア様の姿はぐにゃりと歪み、砂糖のようにザラリと空気に溶けていく。
からん、と小さな花瓶が床に円を描いて転がった。
花瓶を投げつけられると思って身を固くしていた私は、何が起きたのかわからなくて、何度も花瓶とその周りを探した。
……フラヴィア様はどこに行ってしまったの?
(――悪意があったから領境の門まで飛ばした)
神様の声が響いてくる。
(――あれはもうこの領地には入れない)
つまり、フラヴィア様は生きているということなのかしら。いきなり目の前で消えたものだから、一瞬恐ろしいことを考えてしまったわ。
彼女はとても素直な性格をしていた。誰にも拒まれなかった子は、自分の要求に素直になれる。だからああやって口に出せるのだろう。
『離れなさいよ!』
私はそれを聞いた時。
「嫌だ」って思ったの。
――絶対に嫌だって思ったの。
#########
「……グラーツィア?」
思っていたよりも長い時間うつむいていたらしく、エドアルド様が私の顔を覗き込んできた。なんだか少し寂しそうなお顔で。
「エドアルド様」
「あ、はい」
私が決意を込めて名前を呼ぶと、エドアルド様は肩を跳ね上げて驚いていた。
どうしたのかしら。
「……エドアルド様が私のことを、嫌いに、なってしまったとしても、私は離れられないかもしれません。それでも、いいのですか」
「ん? ……俺があなたを嫌いになる? どこからそんな話が出てきたんだ?」
エドアルド様は大きな空色の瞳を揺らしながら、再び私の手を強く握る。
「……俺には、グラーツィアだけだ。他の誰も目に入らない」
こんなまっすぐな瞳のエドアルド様が、嘘をついているとはどうしても思えなかった。いつかこの言葉が嘘になる、と考えることもできそうになくて。
……信じて、いいのだろうか。エドアルド様が、私がいなければ眠れないと、勘違いしているのだとしても。
「私も……私も、あなたが、好きです」
かすれた声しか出なかったけれど、私はやっと言葉にすることができた。
心に沈んでいたものが消えて、空が飛べるのではないかと思うくらいフワフワした気持ちになる。
気が付いた時には、目の前にあの空色の瞳があった。前よりも強く唇が触れ合って、心臓が大きな音を立てる。
温かくて、溶けてしまいそうで――
「あっという間に二人だけの世界に入っちゃって……」
「私たちもここに来た時はあんな感じでしたよ……」
ジルさんとバルバラさんのヒソヒソ声が聞こえて、私たちは慌てて体を離すことになった。
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