第24話 この人が好き
いつの頃からか私はお母様に甘えることができなくなり、淑女であるように、と教えられた通りに感情を抑え込むようになった。そうしていればお父様の機嫌が良かったから。
だから、私はそれが正しいのだと思っていた。
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「け、結婚……」
ベッドに横になったまま、私は口に出してみる。
改めてとんでもないことだと思った。こんないいお
そもそもこんな上流階級の方々には……。
「婚約者の方がいらっしゃるのでは?」
そう聞いた途端、エドアルド様の目つきがサッと変わった。
「こちらでは特に決めないことが多い。あなたには、いるのか」
なぜか怒っているようだったので、私は少し悲しくなった。でもそれ以上に社交界に出られなかった我が家の経済状態が急に恥ずかしくなり、思わず顔が熱くなる。
「……いません」
「良かった」
エドアルド様はふわりと
ほとんど真正面で彼と向かい合っていることに気が付いて、訳もないのに心臓の音が大きくなった。私は耐えきれずにうつむこうとして――
そこへエドアルド様の指が私の顎にかかり、逆に顔を上げさせられてしまった。
「じゃあ何の問題も、な……」
エドアルド様は途中まで言いかけると、突然目を閉じて崩れ落ちていく。
いきなり
驚いたことに、こんな状況で彼は眠っているようだった。
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「まあ、これも呪いなんでしょうな」
エドアルド様の様子を見たジルさんは、気の抜けた声で言った。
「眠れない呪いから、眠ってしまう呪いになったのですか?」
「根っこの部分は一緒ですよ。何事も思うようにはならんと言うことです」
ジルさんは私の問いに分かるような分からないようなことを答えると、エドアルド様に布団を掛け直した。
「こういうのは、あまり他人が口を出すもんじゃないんですよ。まあでも、夜になっても眠ったままなら、お嬢さんが添い寝してみてはどうですかな。まったく、甲斐性なしにも困ったもんだ」
グフォッグフォッ、と笑いながらジルさんは部屋を出て行った。仕えている家の跡取り息子が目を覚まさないというのに、こんなに気楽でいいの……?
困惑している私にバルバラさんがそっとささやいてくる。
「あなた様の方から口づけでもしてみるのはどうでしょう。案外目を覚ますかもしれませんよ~」
「そ、そんな、……そんなこと……」
からかわれているのだと分かっていても、想像するだけでドキドキして、平常心ではいられなくなってしまった。
「では例えば、もしこのまま坊ちゃまがお目覚めにならなかったとしたら、どうします?」
「えっ……」
バルバラさんの質問に、私は自分でも不思議なくらいの衝撃を受けていた。
振り返ってバルバラさんを見ると、なぜか満足そうに
「自分の想いを言葉にしてみるのは、大切なことですよ」
混乱している私を置き去りにして、バルバラさんはヒッヒッヒッと変な声で笑った。
自分の想いを言葉にする。
それは私がエドアルド様をどう思っているか、ということ……なのかしら。
最初にお会いした時のエドアルド様は何だか怖い人だと思った。夜中に廊下を歩き回った後で部屋に入って来た時は、変わった人だと思った。
そういえば次の日は手を握ってきて……その次には、一緒にベッドで寝たりもした。
――どうしよう、もうお嫁に行けないわ。
私は頭を抱えて卒倒しそうになる衝動をじっと耐えた。どうしようもなくモヤモヤしたものが胸にたまっているのを感じた。
エドアルド様は私がいなければ眠れないと思っているのだ。だから私なんかを……。
ああ、それで『結婚を』ということなのかしら。責任を取ってくださると。
そう考えると、エドアルド様の唐突な求婚にも納得がいく。
もしそうなら、きっと悪い人ではないわ。いいえ、とってもいい人だわ。
私をここに置いてくださっていることだって、普通ではありえないほどの温情なのだから。こんなにいい人に出会える奇跡が、私の今後の人生であるかどうかわからない。
だからというわけではないけれど。
私はエドアルド様が、好き……なのかもしれない。
胸の奥が焼け付くような息苦しさを感じて、私は両手を重ねて胸を押さえた。
そんなことを思ってはいけない。
いつか……いつかこの人から嫌われてしまったら、どうするの。この人がお父様のような冷たい目をして私を見るようになったら。
そうなったら私はきっと――この世から消えてしまいたくなる。
こんな想いは心に閉じ込めておかなくてはならない。忘れてしまわなければ。
でも、ずっと抑えているのも……つらい。
どうしたらいいのかわからなくて、私はバルバラさんの『口づけでも』という言葉に救いを求めた。
気付かれないように息を止めて、エドアルド様の青白い頬にそっと唇を当てる。
ただそれだけなのに、次の瞬間、私は激しく後悔していた。
――私は、この人が、好きだ。
自分ではどうにもならない感情が、膨れ上がって暴れ出すくらいに。
この人は毎日のように私のいる部屋に来てくれた。
少し前までの私は、お父様が私の部屋の扉を開けてくれるのを待っていた。でも今は、私が待っていたのはこの人だったような気さえしているのだ。
浅ましくて、都合のいい思い違い。だから決して口に出すことはできなくて――
「……やはりそうだったのか」
はっと顔を上げると、エルアルド様の目が開いている。
い、一番見られてはいけない人に見られてしまっていたなんて。
私は恥ずかしさと申し訳なさで、顔は熱いのに冷や汗がダラダラ出るという変な状態になった。涙も少し出ていたかもしれない。
「あなたが俺を好きなことはわかっていた」
――えっ……。
エドアルド様の発言が衝撃的過ぎて、私の視界は一瞬ぐらりと揺れた。
自分でも気が付かないうちに態度に出ていたということなの? もう「はしたない」などというレベルではないわ。
そんな、そんな恥ずかしいことを、よくも私は……。
どうしようもないくらいここから逃げ出したくなった。でもエドアルド様に肩を強くつかまれて、身動きが取れなくなる。
「ご、ごめんなさい、あの」
「だからと言うわけではないが……」
私は離してもらおうと思っていたのだけれど、エドアルド様の言葉の続きが気になって、じっと彼の青い目を見つめた。
「俺も、あなたのことが好きだ。最初に会った時からずっと」
……本当に?
――好きだ、好きだ、好きだ――
頭の中でエドアルド様の声が繰り返し響いている。
気が付くと私の背中にエドアルド様の手があって、目の前には彼の顔があった。唇にふわりと優しい感触がして、私は思わず目を閉じる。
ひょろっとしているように見えて意外とエドアルド様の力が強いことに、ドキドキしながら私はなぜか安心していた。
ずっと……ずっとこうしていられたら……。
肌に触れる空気が、まるで燃えているように熱くなった。
「……何だ?」
振り返った私の目に、無数のキラキラした白い光が部屋中を飛び回るのが映っている。窓の外にも同じものが飛んでいるのが見えたから、この現象はこの部屋だけのものではないようだ。
「きれい……」
これが良いものか悪いものなのかは私にはわからない。でもこんなに美しいのなら、きっと良いものではないかしら。
まるで夢を見ているような気持ちになっていたところに、突然何人も同時に走ってくる足音が聞こえて、次の瞬間、乱暴に扉を開ける大きな音が響いた。
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