第17話 ルチアナはお姫様になりたい②
「……これは驚いた」
ジーナがお医者様だと言って連れてきた男を見て、あたしは声を上げそうになった。
慌てて口元を押さえるあたしには目もくれず、その男はママの顔を舐めるように見ている。
「”アリーチェ”じゃないか。こんなところで再び出会うなんて……運命的だね」
男はママに変な首飾りをくれたボンボン息子だった。あの時は上等な服を着ていて髪型も流行のものだったのに、今はボロボロの服で、髪は土埃にまみれてボサボサになっている。
そういえばあのお店にいた時、ママはアリーチェって名乗っていた。もちろん偽名だけど。
「この女に首飾りを奪われてから、ボクは家を追放され放浪の身となったんだ。『お爺様の大切にしている魔道具を見てみたい』などという言葉を真に受けた、ボクが愚かだった」
かつてのボンボン息子はすごく怖い顔をして、爪の汚れた指でママの首飾りを強引に引きちぎった。
「流しの魔術師なんて、安すぎてやってられないよ。これさえ返せば――」
ボンボン息子の歪んだ顔が、一瞬で固まった。
「なんだ? これ……壊れているじゃないか」
ボンボン息子は信じられないという感じで、銀色の石を手の平の上でひっくり返したり、つまんで振ったりしている。
あたしには『壊れている』の意味が分からなかった。その首飾りは最初に見た時と何も変わってなかったから。
「あの、治療は……」
ジーナの問いにボンボン息子は顔を険しくする。
「治療? 確かにそういう話だったが、そもそもこの女は……じゃない、これは誰の手にも負えないね、この女の自業自得だから」
吐き捨てるような言い方だった。あたしは不安でドキドキしている心臓を、ドレスの上からそっと抑えた。
自業自得って……。
ママがこのボンボン息子を騙したから、だからママを治療したくないってこと?
騙されて腹が立つのは当然だけど、でも、それってただの意地悪じゃない?
イラついているあたしには目もくれず、ボンボン息子はまったく別のことを喋り出した。
「魔道具の魔術回路が崩壊する時の影響を受けたのさ」
言葉の意味がわからなくて、あたしは思わず首を傾げる。ボンボン息子の目には暗い影がかかっていた。
「――この女、
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「グラーツィア様」
ジーナの声が聞こえても、あたしはしばらく返事ができなかった。
体が震えて動けない。どうしたらいいの、ママ。教えてよ。
『もう手遅れだよ。その女は死ぬ』
ボンボン息子はかつてのぼんやりした顔つきではなく、削げ落ちた頬にうつろな目をしていた。『どうせこの女は便利な道具としか思っていなかったんだろう』と続けて
どうしよう……ママ……。
「グラーツィア様」
「うるさい!」
抑えきれないイライラをジーナにぶつけてから、あたしはジーナの後ろにオジサンが三人立っているのに気が付いた。
「おやおや、ご機嫌斜めですかな」
ニヤニヤと含み笑いをする商人風のオジサンは、何度かこのお屋敷に来ていた男だ。この男に会った後のママがすごく荒れていたことを思い出して、あたしは嫌な気分になった。
「以前からお話をさせていただいていたのですが、領地で採れる作物の件で」
「……は?」
聞いたこともないような言葉が次々と出てくる話を聞かされたあたしは、思わず耳を塞いでしまいそうになった。
この商人は、この家の領地で作っている特別な作物を優先的に買い取るために、前払いをしていたんだって。今年はその作物が収穫できないことが明らかになったから、お金を返してくれって言うの。
前払いって何のことかわからないけど、借金とは違うんでしょ。だったらどうして返せなんて言うのよ。
それにあたしが「収穫できないってなぜ分かるの」って聞いたら、鼻で笑われた。
失礼じゃないかしら。今のあたしは貴族のお嬢様だっていうのに。
「何よ、お金お金ってしつこいわね! こんな紙切れ一枚、アンタたちが勝手に言ってるだけでしょ!」
言いがかりだと思って怒鳴ったら、今まで喋っていたオジサンが下がっていって、今度は別のオジサンが前に出てきた。
ここの領民約四百名が王家の領地へ逃げて難民になったんだって。災害が続いて作物が収穫できないから、だって。
そんなの知らないわよ。
それで王家の領地を管理しているこのオジサンが「確認しに来た」って言うんだけど、何を確認したいのかあたしには理解できなかった。
「災害が起こるのはあたしのせいじゃないわ。勝手に逃げればいい」
そう答えたあたしに向かって長いため息をついたお役人のオジサンは、何も言わずに部屋を出ていった。
最後に出てきたオジサンはちょっと気持ち悪い目をしていた。
ママのいたお店の支配人がたまにこういう目であたしを見ていたような気がする。
オジサンは「金が返せないならウチの店で働けばいいさ」って優しく言うんだけど、どこかで聞いたようなそのセリフに、あたしは鳥肌が立つのを感じた。
それって、つまり身を売れっていう……。
「冗談じゃないわ……あたしは、貴族なのよ」
「関係ないねぇ。元伯爵令嬢の末路、って売り出せば、少なくともその性格が変わるまでは高値がつくぜ。高慢な女の鼻をへし折りたいって趣味の男は一定数いるんだ」
オジサンの目がさらに気持ち悪く変わる。
そんなの嫌、と叫び出しそうになって、あたしは気が付いた。
――ママと同じ仕事をするのは、嫌だ。
あんな風になりたくなくて、あたしはママと一緒に逃げてきたんだ。あのままお店にいたら、支配人は絶対にあたしを売るから。
ママが言っていたんだ。ベスフィーオ領には魔鉱石の鉱山があるって。鉱山なんかで働くのは出稼ぎの荒くれ男に決まってる、女の子を差し出せって言うのはそういう男どもの行くお店で働かせようとしているからなんだって。
あたしはそれを聞いただけで死にたくなった。
だから消えてもらう予定だった彼女を身代わりにしたんだ。生きているだけでもありがたいと思ってほしいわ。
「……そうよ」
あたしの視界が暗く濁っていく。
「あ、あたしじゃなくて、本物の……貴族の娘がそういう仕事をしているから、その子に返してもらえばいいわ。だってあたしが返さなきゃいけないお金じゃないでしょ」
「何言ってるんだ。あんたの返すべき金だろうに」
「違うの! アンタにはわからないだろうけど、その子が関係あるの! だから」
自分でも知らないうちに必死になっていたあたしを見おろして、気持ち悪い目をしたオジサンは口元だけ笑っている。
「へえ、語るに落ちたな。あんたは『本物の貴族の娘』じゃないと」
「……! な、何を言って……!」
ヤバい、うまくごまかさないと。
ここさえ切り抜けられれば、まだあたしは……お姫様に、なれるんだから。
何か言い訳をしようと口を開いた瞬間、丸めた布みたいなものがいきなり口に突っ込まれて、あたしは反射的に身をすくめていた。そのわずかな間に手足を縛られ、目隠しをされてしまった。
まるで最初から用意していたみたいな手際の良さだ。あたしは自分が罠にかかったのだと気が付いた。
「なあ、こいつ貴族の娘ってことにしとかないか? その方が値段が……」
さっきのオジサンの声が聞こえる。
絶対に嫌だ。
あたしはとにかく逃げたくて、縛られている手足がちぎれるんじゃないかと思うくらいの勢いで、床を転げ回って大暴れした。
でも目隠しで周りが見えないから、イスか何かの脚に頭を思い切りぶつけてしまった。しくじった。痛みが頭にガンガン響いて力が抜けていく。
「おいおい、こんなに暴れる娘はそういないぞ」
「どう見てもニセモンだろ? にしても、本物の令嬢はどこへ行っちまったのやら」
「オレの馴染みの店にいたりしてな」
オジサンどもの下品な笑い声が床にまで響いてくる。
……なんだ、結局こうなるんだ。
あたしはお姫様にはなれないんだ。
ママが言っていたのは噓だったんだ……!
目隠しの布が涙を吸って重くなる。布からこぼれた涙が頬を伝うのを感じながら、あたしの意識は薄れていった。
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