第16話 ルチアナはお姫様になりたい①



 冗談じゃないわ!

 こんな……こんな大事な時に。待ちに待った婚約の話が来るかもしれないって時に……。

 お母様ママが倒れるなんて!


「モリスを呼んで!」

「グラーツィア様、モリスはもう……おりませんが」


 侍女のジーナが言いにくそうにあたしに頭を下げる。

 そういえば昨日ママがモリスにクビだと言っていたような。あたしは舌打ちした。


「じゃあアンタでもいいから医者を呼んできてよ」

「あの……お医者様にヤブ医者だと……二度と来るなとおっしゃられたのでは?」


 ジーナの言葉であたしは二か月くらい前のことを思い出す。

 そうだった。しつこくお父様あの男を診察させろと言ってくる医者がウザくて追い払ったんだった。


 だって、困るんだもの。

 もうお父様あの男が死んでるってことがバレたら……。

 暗示が解けそうになったから、急いでママが毒を飲ませたのよ。あたしのせいじゃないわ。


 あたしは気まずさをごまかすようにジーナを睨みつけて、苛立ちにまかせて足を踏み鳴らす。


「だったら別の医者を呼んでくればいいでしょ! この役立たず、お母様に何かあったらアンタのせいだからね!!」


 ジーナの肩を突き飛ばしてそう脅すと、ジーナはゆっくりと顔を上げた。その目には光がなかった。


「かしこまりました」


 まったく、可愛げも何もあったもんじゃないわ。

 主人のために動こうって気持ちがないんじゃないの。侍女失格よ、もっといい侍女を雇ってこいつはクビにしなきゃ。


 音もたてずに部屋を出て行くジーナの後姿を、あたしはイライラしながら見送った。



 ##########



 ママは王都から離れた街で夜の仕事をしていて、あたしをそのお店で産んだらしい。でも別のお姉さんが、あたしのことを「ママが産んだ子じゃない」って言っているのを聞いたことがある。

 あたしにとってはどっちでもいいことだった。だってママはあたしに『お姫様になれる』って言ってくれたから。


「ほら見てごらん、あそこにいるのがお貴族様の令嬢だよ。きれいな服にきれいな髪だろう? お前もあんな風になるんだよ」


 ママがそう言って示す先には、髪を巻いてドレスを着たお姫様が白い馬車に乗っていた。すべてがキラキラ輝いていて、あんなところにいる人はきっとあたしたちとは何もかも違っているんじゃないか、ってあたしは思った。

 だけど、あたしはママを信じることにしたんだ。


「ほんとに? ほんとに、あたしが?」

「そうだよ。だからママの言う通りにするんだよ」


 ママはあたしの頭を撫でながら笑っていた。




 この国の宰相っていう偉い人はもうヨボヨボのお爺さんなんだけど、ずっと権力を握っているんだって。その孫を名乗っているボンボン息子がママを気に入ったらしくて、ある晩に不思議な首飾りを持ってきた。


 銀の鎖に銀色の石が付いただけの首飾りはあんまりキレイじゃなかった。でもママはすごく喜んでいるみたいだった。あたしはママの言いつけ通り、部屋の隅に隠れてそれを見ていたんだ。


「この魔道具は暗示の効果があるんだ。だけどこれを使うのはなかなか難しくてね。ボクは若くして魔術師の資格を持っているから理解できるんだけど」

「へえ、さすがね~」

「暗示というのは対象者の心が弱っていないとかからないものなのさ。例えば大切な人が死んだり、信じていた人に裏切られたりした人はかかりやすいんだ」

「まあ、そうなの~」


 ママは適当な返事をしながらそのボンボン息子にお酒をどんどん飲ませて、あっという間に酔わせて潰した。眠り込んだボンボン息子が揺すられても目を覚まさないことを確認すると、ママはあたしと一緒に荷物を持ってお店を出た。


 前々から支配人にはお店を辞めるって話はしてあったんだって。でもだいたいの娼婦は辞めてもまた戻ってくるらしくて、支配人もそんな感じの対応だったから、ママは意地を張って支配人から目一杯のお金を借りたんだって。

 もし期限までに返せなかったら、死ぬまでここで働くっていう条件で。


「絶対に戻ってくるもんか……」


 ママの小さくつぶやく声があたしの耳に入って来た。

 そうよ、あたしたちは貴族になるんだからね。



 ##########



 名前を変えて王都に部屋を借りると、ママとあたしは情報を集めることにした。

 働くわけにはいかないよ、ってママがうるさいくらい念を押してきた。顔を覚えられたら面倒なんだって。

 だからあたしは顔を隠すためにベールを被って、神殿でお祈りをするふりをしながら懺悔ざんげ室の声を盗み聞きしていた。いい服を着た人が来た時なんかは必ず付いて回った。


 でもなかなかママが言うような男の人は現れなかった。

 ママが探しているのは「貴族で、できれば奥さんがいなくて、心が弱っている男」だったから。

 貴族の人が貴族街から出てくることはあんまりないし、平民に対して横暴だから、心が弱っているかなんてわからなかったんだ。




 一年が過ぎて、たまに来る借金取りの人達をあしらうのも嫌になってきた頃、あたしは偶然貴族街の隅っこにある家が「不幸伯爵」と呼ばれているのを知った。


 その家は奥さんが若くして死んで領地は災害続き、娘が一人いるっていう噂だけど誰もその子を見たことがないんだって。

 これだ、って思った。それを聞いたママも目の色を変えていたから、間違いない。


 ママはその貴族のオジサンに暗示をかけるのに成功して、あたしたちは貴族のお屋敷で暮らすことになった。


 ようやくだ。

 ようやくあたしはお姫様になれるんだ。


 だけどその貴族のオジサンのお屋敷には、噂通りあたしより少し年上の女の子がいたんだ。


「本物の娘がいたのか……なら仕方がないね」


 ママは冷たい目をしてつぶやいた。

 ママはその辺のオバサンと違ってきれいな顔をしている。でもその時の顔は作り物みたいに動かなくて、すごく怖かった。


もらうかね」


 うなるように低いママの声。

 あたしは怖くてママの顔が見られなくなった。『』って、それは、まさか……。


 ………………。

 ……だけど。


 もしあたしがお姫様になるために、どうしてもそれが必要だって言うのなら。


 あたしはたぶん――



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