第15話 モリスの手紙
目を開けると、私はベッドに横になっていた。
今までにないほど身体が
サラサラの髪がわずかな空気の流れに揺れている。とても手触りが良さそうだったので、私はごく自然にその頭を撫でてしまった。
「あ」
銀髪の向こうから青い瞳が私を見つめていた。いつか王都の家の窓から見た空が、こんな澄んだ色をしていたような……。
「目が覚めたんだな」
若旦那様……じゃない、エドアルド様は
「あなたを見ていると、なぜか眠たくなるんだ」
彼につかまれた手が熱を帯びた。その熱は腕を伝って、私の心臓の鼓動を早めていく。
「では、呪いは……解けたのですか?」
ホッとするような、寂しいような気持ちで問いかけると、エドアルド様は眠そうな顔をして首を傾げる。
「どうかな」
以前、『三か月も寝ていない』と不満そうに話していたのに、今の返事にはどうでもいいとでも言いたそうな雰囲気があった。
どうしたのかしら、と思った次の瞬間、エドアルド様は私の手にさっと口づけをする。
――な、何を??
「難しい顔をしているぞ」
不思議そうに私の顔を覗き込んでくるエドアルド様を、私は何度も見つめてしまう。男の人の顔をジロジロ見るのは淑女として良くないことだと教えられてきた。だから見てはいけないのだけれど、どうしても見てしまうのだ。
なぜそんな涼しい顔でこんなことができるの……。
「あなたのお父上の執事、モリスと言ったかな。彼から手紙が来た」
「えっ、ああ、モリスが……?」
たった何日か前に別れてきたばかりなのに、懐かしい名前を聞いたような気がした。彼は今どこで何をしているのかしら。何の手紙を送ってきたのだろう……。
そんなことをボンヤリ思っていたら、エドアルド様はさらに顔を近づけてくる。私は恥ずかしいのとドキドキするのとで思わず離れようとした。
でも手をつかまれたままだったので動くことはできなかった。
「あなたはルチアナではなく、バローネ伯爵の実の娘、グラーツィアだと」
「……!」
驚きすぎて息が止まってしまいそうだ。王都の家と違ってここではあまりルチアナと呼ばれることがなかったから、自分の中で油断していた部分があったのだろう。
仮に私が「自分の名前はグラーツィアだ」と主張したとしても、ここの人たちに信じてもらえるような証拠はどこにもなくて……だから言うことができなかった。
普通なら何の根拠もないと言われて終わる話なのに、こんな名家の人が信じてくれた……。
私は自分でも気が付かないうちに涙を零していた。
「ああ、泣かないでくれ。話はこれからなんだ」
エドアルド様が慌ててハンカチをそっと私の頬に押し当てる。
「彼は伯爵家の乗っ取りを国王に直訴したらしい」
「……え?」
乗っ取り……? その聞きなれない言葉に、私は心がすうっと冷えていくような恐ろしさを感じていた。
――やっぱり、そうだったのね。
悲しいと思うよりも早く、エドアルド様の柔らかな声が聞こえてきて、私はどこか救われたような気持ちになる。
「後妻のワルヴァとその娘のルチアナが首謀者である、ということだが、おそらくこのワルヴァは魔道具でバローネ伯爵を暗示にかけて、後妻になったのだろう」
「魔道具、ですか?」
「あなたも影響を受けていた暗示の魔道具だ」
魔道具とは便利なものだと思っていたのに。
それのせいでお父様は変わってしまった……ということ?
私はぞっとして腕を抱え込んだ。
なんて恐ろしい……。
気を失う前に聞こえてきた、あのワルヴァの言葉がそうだったのだろうか。
あんな普通の言葉を聞いただけで暗示にかかってしまうのなら、家にいた使用人たちがワルヴァの味方ばかりしていたのも、その魔道具の影響なのではないかしら。
「大丈夫か?」
エドアルド様が覗き込んでくる。
ぼうっとしていたわけではないけれど、王都の家がおかしくなってしまった理由がわかって、なぜかホッとしてしまった自分がいた。
気を引き締めないといけないわ。
私が無駄に力を入れてうなずいているのを見て、エドアルド様は少し笑った。
「それから、あなたの家の領地は……あまり豊かではなかったようだが――」
バローネ領が貧しくても何とかやってこれたのは、薬草の産地だったからだ。
それが天災のため今年の収穫は絶望的になった。
税を納められる唯一の作物が全滅する、というのは領民の生命を左右する事態であり、結果的に領民が難民化して近隣の領地に流れ込むことがよくあった。バローネ領の隣は王領なので、この場合は王様に助けを求めたとしても不自然ではない。
それを利用してモリスは伯爵家の乗っ取りを王様へ訴え出た――ということだった。
「しかし、大それた犯行の割には
エドアルド様は口をつぐむ。
きっと私に気を使ってくださっているのだ。
領主の家族として当然のことも知らないあの
それは、モリスがいては困るからだ。彼の仕える
モリスは当時借金返済のために奔走していたので、お父様とはあまり顔を合わせていなかった。だから気付かなくてもおかしくはない。
しかし彼が戻って来た時の我が家は、お父様の不在を彼に確信させるのに十分な状態になっていたのだろう。
私も……おかしいとは思っていた。
お医者様を呼んだのはお父様が倒れた直後の一回だけ。寝たきりになってからは一度も診てもらっていない。
ワルヴァが世話をしていると言い張っていたけれど、何かをした様子もなく、すぐに部屋から出てくるのを私は見ていた。
食事も水分も
だからこそモリスはあの日、私の前に
「わかっていました。父はもう、……死んでいるのだと」
「グラーツィア」
エドアルド様は心配そうな顔をする。でも私は泣かなかった。気を張っていないと泣いてしまいそうだけれど、強くなりたいから。
「国王には表向き、当家であなたを保護していたことにする」
ささやくようなエドアルド様の声が耳元で聞こえる。
いつの間にかエドアルド様に肩を抱き寄せられていた。いったいどうやって音もなく移動してきたのかと私は固まってしまった。
……こんな時にドキドキしているなんて、私は薄情な娘だわ。
じわりとエドアルド様の手の力が強くなる。ずっとつかまれている私の手がピリピリとしてきた。
「あ、あの?」
「俺は……あなたに、これからも側にいてほしいと思っている。結婚を考えてくれないか」
「ええっ!?」
雷に打たれたような衝撃、とはまさにこのことだ。
たった何日か前に出会ったばかりで結婚を申し込まれるなんて、とても現実のこととは思えなかった。
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