第6話 一日目の夜
「お疲れになったでしょう。お湯を使ってからお休みくださいまし」
お婆さんがずいぶん丁寧な言い方をしたことに私は驚いていた。
あの宝石に手を伸ばしたことについて何も言わないのはどうしてなのか。それに私はお客様ではないのにお湯を使ってもいいのだろうか。
不思議に思いながらも体を洗いたい気持ちには勝てず、結局私はお風呂に入ってしまった。その後連れて行かれた部屋がどう見てもお客様用であることに首を傾げつつ、疲労感に負けて眠りについた。
――はずだった。
カツン、カツン……。
廊下を歩く人の足音が聞こえてくる。
しんと静まり返ったお屋敷の中で、遠くなったり近くなったりして絶え間なく靴音が響いている。誰かが廊下を行ったり来たりしているのだ。
どうしてこんな時間にそんなことをしているのか、私は気になって眠れなくなってしまった。
見に行った方がいいのかしら。……でも、もし見てはいけないものだったら。
何度も迷ったけれどこのまま眠れないのも困るので、私はそっと扉を開けて外を確認する。
廊下は先ほどと変わらず魔法
誰もいないみたいだわ……。
「何をしている?」
突然背後から声をかけられて、私は飛び上がらんばかりに驚いた。
心臓が激しく動いて変な音がする。
急いで振り返ると、そこには若旦那様がうんざりしたような顔をして立っていた。
「ごめんなさい、あ、あの、音がしたものですから」
「ああ、起こしてしまったのか」
若旦那様はため息をついて、ぼそぼそと消え入るような声でつぶやく。
「眠れないから歩いているんだ。まあ歩いても眠れないことに変わりはないが」
「眠れない……のですか」
若旦那様の目の下のクマは睡眠不足によってできたようだ。
とても眠そうにしているのにどうして眠れないのだろう。ベッドに入っていた方が寝られるのではないかしら。
「あの、お部屋に戻って体を休められたほうが……」
「いや、何をやっても眠れないんだ。横になれば体は楽になるし、目を閉じれば目も休まる。しかしどうしても眠ることだけができない」
「……?」
私には、食い気味に話す若旦那様の言葉の意味がよく分からなかった。
「この三か月、まともに眠っていないということだ。それで……」
若旦那様は急に視線を上げて、私の後ろにある部屋の中を探るような目つきをした。
「……ここは客間だな?」
「は、はい」
いきなり何を言い出すのだろう。私は若旦那様のことをよく知らないので、少し怖くなってしまった。
「立ち話も何だ、入らせてもらおうか」
若旦那様はそう言いながらズカズカと部屋に入ってくる。
ええっ、家族以外の男女が同じ部屋にいるのは不道徳で良くないって、言われているのに……。
でも私の立場で若旦那様を追い返すなんてとてもできない。むしろ出ていけと言われるのは私の方なのだから。
オロオロする私の前で若旦那様はごく自然に腰を下ろした。
私の寝ていたベッドに。
……ど、どうしてそこに座るの?
「あの……」
「応接間の黄色い石を見ただろう」
ベッドに座ったのを注意しようとした私を、若旦那様はその空色の瞳でじろりと睨んだ。私は震え上がって頭がくらくらした。
この人は私が怪しい行動をしたことを知っていて、それで怒っているんだわ。
「……はい、その」
「あれは三か月前に俺がこの手で掘り出したものだ」
「え?」
……宝石を掘り出す? お金持ちの家の若旦那様が?
たしか宝石というのは土の中の奥深くにあって、
「我が家では後継者が十八歳になって成人する時、一度だけ自分の手で掘ることになっている。正統な後継者であれば、その時に必ず何か特別なものが掘り出される、という言い伝えがあるんだ。……で、俺の時に出たのがあの石だった」
若旦那様の言葉が続く。
そんな大切なものに手を出そうとした私は、いったいどんな罰を受けることになるのかしら……。
私はまた落ち込みそうになる。
「父の時には虹色の魔鉱石が出た。祖父の時には当時未発見だった氷の魔鉱石だった。そして俺の
気持ちが塞いでいるところに何だか難しい話が若旦那様の口からどんどん出てくるものだから、一生懸命聞いていても内容がどこかに抜けて行ってしまう。
それに気付いたのか、若旦那様が私の顔を覗き込んできた。
「おい、聞いているのか?」
聞いてはいますが……人が落ち込んでいる時に押しかけてきて長話はないと思うんです……。
口に出せるはずもない愚痴を、私は心の中でこぼす。
そんなことを知らない若旦那様は、覗き込んできた姿勢のまま再び話し出した。
「あの石は呪われていて、触った者は眠れなくなるんだ。初代領主も俺と同じように眠れなくなったという記録が残っている」
「ええっ?」
まぶたに残っていた眠気が吹き飛んでいくようだった。
石を触った者は呪いによって眠れなくなる、ということは……。
「触らなくて良かったな、眠れなくなるところだったぞ」
若旦那様はいたずらっ子のような顔でニヤリと笑う。私は思わず何度もうなずいていた。
あの時私の手をつかんだお婆さんは、何も知らない私を呪いから守ってくれていたのだ。
それなのに私は疑われたとウジウジ悩んでばかりで……。
こんな自分が恥ずかしい。
「それにしても、そんな近くまで……のが……」
若旦那様はブツブツとつぶやきながら横向きにベッドに倒れ込んでいった。私は慌てて彼を支え起こそうとしたけれど、スウスウと規則正しい寝息が聞こえてきたのでそのまま寝かせておくことにした。
若旦那様の肩まで布団を被せると、私はそばにあった毛布にくるまってソファで横になる。このソファは応接間のものと同じようにフカフカしていて、私が家で使っていたベッドよりも寝心地が良かった。それに毛布も厚くて暖かいから十分寝られるだろう。
『眠れない』と言っていた割にはいい寝顔をしている若旦那様を横目で見ながら、あれは嘘だったのかしらと私は首をひねった。
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