第2話 義母と義妹の陰謀
この家には借金がある。
そう聞かされたのは、私が家の敷地内にある小屋で暮らすようになって一週間ほどたった頃のことだ。風が吹けば小屋の壁がギイギイと音を立てる環境に、私は未だに慣れることができずにいた。
――信じられない。
お父様は借金だけはしてはならないと何度も言っていたのに。
『借金の利子は高いから、こんな貧しい領地の税収では利息を払うので精一杯で、元々の借金は永遠に減らないだろう。だからどんなにお金に困っても借金だけはしないように』と、お父様はモリスにいつも話していた。
それなのに、どうして……。
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「アンタの服はどれも安っぽくて、捨てたわ。それにお母様は伯爵夫人なのよ、身分に見合うドレスを仕立てるのは当然のことでしょ。まさかあたしにアンタみたいなみすぼらしい恰好をしろというの?」
豪華な鳥の羽を付けた扇で口元を隠し、グラーツィアと名を変えたルチアナが
胸元と袖に縫い込まれた数え切れないほどの宝石、薄い生地を重ねた何段ものフリル。いったい
その横に立って汚いものでも見るような目をしているのが
ニヤニヤ顔の
「まったく、こんな貧乏貴族だと知っていたら結婚なんてしなかったのに。お前たちに騙された気分だよ」
さらに顔をしかめた
「この落とし前はつけてもらうからね。アンタがルチアナになって借金を返してくるんだ。さっさと荷物をまとめな」
いきなり酷い言葉を投げつけられた私は、返事すらできなかった。
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日が暮れる頃になってもまだ少し震えている手で、私はわずかな荷物をカバンに詰めていた。
「お嬢様」
ノックと共に低音の声が聞こえる。モリスの声だ。
私は慌てて扉を開けた。
この小屋に来てからは誰も私のことを見向きもしない。厨房の料理人だけがここまで朝晩の二食を届けに来てくれたけれど、人目を避けるようにしてスープ一皿を扉の前の棚に無言で突っ込むような感じだった。
だから私は嬉しくなって、久しぶりに顔を見るモリスの名前を呼ぼうとしたのだ。
「モ……」
しかし彼は素早く自分の唇に人差し指を立ててそれを止めた。
そのまま滑り込むように小屋に入って来たモリスは、無言で私の前に
彼は私が生まれる前からこの家に仕えているので、私にとっては祖父くらい歳が離れていた。グレーの髪に白髪がたくさん混じっているのが見える。
「何か……あったの?」
お父様付きの執事であるモリスがわざわざ私を訪ねてくることは滅多になかった。私は自分でも気が付かないうちに両手を組んで祈るような格好をしていた。
「……お嬢様、私はワルヴァ様にお暇を出されました」
「え? どうして……」
お父様が元気な時でもモリスは領地経営に欠かせない人だった。そのお父様が臥せっている今、彼を解雇したら領地の管理など誰にもできなくなってしまう。
モリスは言いにくそうに口を開いた。
「ワルヴァさ……いえ、あの女は結婚する前からかなりの額の借金をしていたのです。その上利息など一度も払わず、旦那様との結婚が成立するとすぐに、自分の膨れ上がった借金をこの伯爵家に肩代わりさせた……」
私は息をするのを忘れていた。もし彼の言うことが本当なら、ワルヴァはとんでもない疫病神ではないか。
「私はそれを知ってから借金をどうにかするために手を尽くしました。何しろ時間がたつほど利子が増えますので、お金のある他の貴族の方に肩代わりしてもらうのが一番良いのですが……その条件として、今回のお話があったのです」
「お話って?」
「それは……」
モリスはためらうように二回ほど首を横に振る。
「幸いに……というべきなのでしょう。ベスフィーオ伯爵様が肩代わりしてくださることになりました。ただ、その、返済の方は期待できない、と言われて……」
「ベスフィーオ伯爵様……」
その名前は私でも知っていた。国の西端の領主をしている名家だ。確かその領地にあるどこかの山には、千年もの間古代竜が住んでいたという伝説があった。
古代竜は死ぬ間際にその魔力を放出した。それによって山から採れる鉱石には竜の魔力が含まれるようになったという。人々はこの鉱石を魔鉱石と呼んだ。
少し魔力を注ぐだけで様々な魔法の効果が発現するため、魔鉱石は時代を経るにつれて大変な高値で取引されるようになっていった。現在、各国の王が持つ王笏には必ずこの魔鉱石が使われている――と、前に家庭教師から教わっていた。
つまり、ものすごくお金持ちの領主様ということだ。
……羨ましいわ。
「お嬢様」
私はモリスの声で我に返った。
「ご心労の程、お察し申し上げます」
そう言われると、何だか嫌な感じがする。そういえば
「動揺なさるのも当然です。借金の代わりに娘を差し出せなどと、とんでもないことですから」
「え?」
娘を差し出す? 何のために? その娘に借金分働いてもらう、ということなのかしら。
話が見えない私を置いて、モリスは涙を流しながらハンカチで鼻を噛む。
「しかしそれ以外に方法はなかったのです。他にあれほどの借金を肩代わりできる貴族の方はいませんでした。私はどうにか連れ子のルチアナを、という条件で契約を交わしたのですが、ここへ戻ってみればお嬢様とあのルチアナが名前を取り替えていて、しかも
「……そう、だったの」
なぜ急に入れ替わるよう言われたのか、私はようやく理解した。
おそらくあの
そうまでして彼女をそこへ行かせたくないということは、やはり借金分の労働を課されるに違いない。
グラーツィア(ルチアナ)の社交界デビューはモリスが帰ってくるまでに無理やり済ませたのだろう。もちろんその費用も借金に上乗せで。
……なんてこと。
どうしてこうなってしまったの。私たちの借金ではなかったのに……どうして。
心の中で何度も無駄な問いかけを繰り返しながら、私は床に落ちていく涙の粒を見つめていた。
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