睡眠不足の次期領主様は嫁が欲しい

アゼリア本舗

第1話 名前を奪われた日



「これ、アンタには似合わないわ」


 義妹のルチアナはそう言って、私の宝石箱から金細工の髪留めを取り出す。

 あれは亡くなったお母様の遺品なのに。

 私は心臓をぎゅっとつかまれたような息苦しさを感じた。


「……返して、大切なものなの」

「もう必要ないでしょ?」


 伸ばした私の手を追い払うように叩いたルチアナは意地悪く笑った。


「これからはこんな物とは無縁になるのよ」


 自慢の金髪を手でなびかせながら、ルチアナは私付きの侍女ジーナに宝箱を手渡す。そうしている間もルチアナの剣呑な光を含んだ視線はずっと私に向けられていた。


「今日中にこの部屋から出て、使用人小屋へ行って」

「ルチアナ様、それは……」

「ジーナ!」


 自分の名前を呼んだ侍女をルチアナは忌々しそうに睨みつける。


「今度間違えたら許さない、私は“グラーツィア”だって言っているでしょ!」


 グラーツィアは私の名前だから、ジーナはここでルチアナをそう呼ぶことができなかったのだろう。

 それを怒鳴りつけるなんて……。

 ルチアナは本気で私と入れ替わるつもりなのだ。私の心は苦々しい気持ちで埋め尽くされていく。


「申し訳ありません」


 ジーナは慌てて謝罪し、目だけを動かしてちらりと私を見た。

 長年、側にいてくれた彼女はきっと私の様子を気にしているに違いない。

 胸の内に渦巻くドロドロとしたものが重たくて、今の私にはその視線も煩わしかった。


「じゃあね、


 ルチアナは歪んだ笑顔を一瞬だけ私に向けると、何が忙しいのか、そそくさと部屋を出て行った。



 ##########



 お母様が亡くなったのは六年前――私が十歳の時だった。

 雪の舞う寒い晩だったのを覚えている。もともと体があまり丈夫ではなかったお母様にはその冬の寒さは厳しかったのだろう、とお医者様は言っていた。


 伯爵家とは言ってもこの家はあまり裕福ではない。領地が狭い上に度々災害が起きるからだ。何代か前のご先祖様が王様からの褒賞を受けた際に手違いがあったらしく、爵位だけ上がってなぜか領地が良くない場所になったと聞いている。


 お父様が指示した災害対策の効果は一向に上がらず、去年は水害、今年は干ばつといった感じで毎年天災が続いた。

 さすがにお父様も疲れが出たのか、その頃から「領地を返上する」「隠居する」などの言葉を頻繁に口にするようになっていった。


 そうして私が十五歳になったある日、父はあの母子おやこを連れて帰って来たのだ。

 ワルヴァという派手な化粧の女性と、その連れ子のルチアナを。


「この人が今日からお前の母だ」


 いきなりそんなことを言われても、私にはとても受け入れられなかった。私はお父様に反発して部屋に閉じこもり、食事も一緒にはとらなくなった。


 そんな日が何か月も続いて、私自身どうしたらいいのかわからなくなった頃――今から二か月ほど前になるだろうか。お父様が倒れたのだ。


 お医者様は『原因は疲労だから、休養を取れば回復する』と言っていた。

 でも、あれからお父様はずっと寝たきりのままだ。

 領主としての仕事はお父様の執事のモリスが代行しているけれど、また再び災害が起きた場合には、諸々の決裁を彼が下すことはできないらしい。


 その話を聞いていたのか、義母ワルヴァがモリスに対して、領主代行の権限を自分によこせと言い出したのだ。

 モリスはお父様の意見を聞かなくては判断しかねると答えていた。しかしモリスが仕事で長期間留守にしている間に、領主としての権限は義母ワルヴァのものになってしまった。


 私も一応貴族の娘であり、最低限の教養は身に着けている。

 領地経営については教えられていないけれど、少しでもお父様のお仕事を手伝いたくて執務室へ行ってみると、常に数人の兵士たちが扉の前にいて通してくれないのだ。兵士たちは口をそろえて「領主様の許可がないとここには入れない」の一点張りだった。

 それならばと寝たきりのお父様の寝室へ向かったら、やはり同じように兵士たちが見張っていて入ることはできなかった。


 兵士たちの様子がおかしいと感じた私が言い渋るジーナを問い詰めたところ、義母ワルヴァが使用人たちに対して『グラーツィアが領主様を殺して領主になろうとしている』などと言いふらしていることがわかった。


 私がお父様に対して反発していたことも、義母ワルヴァにとって都合のいい材料になってしまったのだ。


 気が付いた時には、この家のすべてがあの母子おやこのものになっていた。




 生前のお母様は体が弱く社交的ではなかった。しかもお父様との結婚は実家の両親に反対されていて、半ば家出のような形で結婚したせいで、お母様は実家と疎遠になっていたという。

 お父様の両親はお父様が成人する前に亡くなられていて、それは領地の災害対策が後手に回った原因の一つでもあった。

 常に領地経営に四苦八苦していたお父様が私の存在を気に掛けることはなかった。


 そのため私には貴族の子女に当然いるはずのお友達も婚約者もいなかった。加えてこんな経済状態では社交界デビューなどできるはずもない。

 だから社交界で私の顔を見たことがある人はほとんどいないだろう。



 ――そんなことは不可能だと思っていたけれど、考えてみたらルチアナが私に成り済ますための条件は揃っていたのだ。



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