第10話
「秀司くんにとって、私を選ぶことと昔の恋人を選ぶこと──。どちらが本当の“自由”で、どちらが本当の“不自由”なんだろうね」
「な、何を──」
「私が言いたいことはね。すごく簡単。秀司くんの心がいま揺れているのはね、彼女を愛しているからじゃないの。
あるいは、彼女を愛していた事実に気が付いたからでもないし、自分の過去の過ちを認めることができたからでもない。どうしてだと思う? そ、れ、は、ね──」
籠宮曜子は佐々木の耳元に甘く甘美な吐息を漏らす。そして同時に残酷な真実を最愛の婚約者へと告げようとしていた。
「彼女が、不自由な生き方しかできない貴方の、最低限の自由を補償してくれる最良の存在になってくれた、と心で感じとったから──。だから、貴方は迷っているの」
佐々木はたったいま自らの過去の過ちを認めたばかりだ。
それなのに、籠宮曜子は容赦なく、佐々木の心の中に眠る矛盾を付いてくる。暴き出そうとしてくる。
その可憐で美しい美貌で、
天使のような甘い唇で、
悪魔のような残酷な事実を突き付けてくる。
『どうしたの? 何かあったの秀司……』
片方の耳元で携帯越しに、かつての恋人が佐々木の身を案じてくれている。
けれど、もう片方の耳元では婚約者となった最愛の存在が、佐々木の心を惑わしてくる。
「ねえ、秀司くん。君が私を選んだ理由は何だったの?
秀司くんは私が好きだから、私と交際を始めたの? プロポーズをしたの?
違うよね。君は結婚相手が欲しかった。安心したかった。周囲から蔑まれたくなかった。誰にも縛られずに自由に生きることよりも、誰かに束縛される不自由な生き方を自身に望んだの。
自由よりも服従を。束縛されない自由よりも束縛される不自由を望んだの。
これまでも、これからもずっと──」
君に選択の余地はなかった。
君はいつも怖がっていた。
人から見下されたくなかった。
社会から外れたくなかった。
負け組になりたくなかった。
でも、君は不自由な生き方しか選べないなりに、心の底では自由を求め続けた。
だから、優しい伴侶を望んだ。
だから、温かい家庭を望んだ。
束の間の安息を、不自由極まりない自身の心を少しでも軽くしてくれる存在を──自由を施してくれる存在と場所を求め続けていた。
だから、私を選んだの。そうだよね。
でも、いま君の心は揺らいでいる。
揺り篭が傾くように、天秤が傾くように、心が揺れてしまっている。
だって、彼女は私よりも君の意思を尊重してくれるかもしれないのだから。
二年間も自分だけを一心に思い続けてくれていたかもしれないのだから。
きっと、彼女は曜子よりも自由を補償してくれるかもしれない。かつての過ちも認めてくれた。そうだ、きっとそうに違いない。とかね? そんな風に思ってたりするんじゃないかな。ふふ」
「ち、違う……。俺はそんなこと……」
でも、否定できなかった。
そうだ。俺はいつも望んできた。
職業も、働き方も、生き方も、結婚相手も、
自由に選択できるはずのこの社会の中にあって、
本当は、この“自由”というラベルが貼られた不自由極まりない鳥籠のような社会に──毎日のように押し潰されてしまいそうだったのだから。
不自由な生き方しか選択できない自分だからこそ、不自由の社会の中で生きるしかなくても、せめて安らげる自由な場所を、自由を与えてくれる伴侶を望み続けてきた。
これまでも。そして、きっとこれからもずっと──。
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