第8話

 ──七瀬翔子が高校二年生の時に、同じクラスへと転校してきた女子生徒が籠宮曜子だったそうだ。


 彼女は当時から美しかった。上品な言葉遣いや仕草、聡明で誰にでも優しい転校生。まるで一輪の花に群がる蝶のように、男女問わず、彼女の虜になっていった。


 ところが、奇妙なことを言うクラスメートが数人ほどいた。

 籠宮曜子の傍らに、黒い鳥籠が視えるのだという。彼女はいつも片時も離さずに鳥籠を抱えているのだと──。


 のに。


 七瀬翔子の親友だった少女も、籠宮曜子の隣に黒い鳥籠が視えるのだと、彼女に打ち明けてきたのだ。

 七瀬翔子は心療内科を受診するように親友に強く勧めた。取り合わなかった。幻覚を見ているのだろうと親友の言葉を真に受けることはなかった。



 籠宮曜子が転校してから半年が経過した。

 七瀬翔子が通う当時の高等学校は、その時、既に混沌と悲劇に呑み込まれていた。

 高等学校に通う生徒のうち、三人が立て続けに行き先も告げずに失踪したのだ。


 同時期に、同じ高等学校の生徒が失踪したことで、保護者たちだけでなく、警察やマスコミが連日のように騒ぎ立てて、この連続失踪事件は世間とワイドショーを一時期賑わせることになった。『ハーメルンの笛吹事件』と言えば聞き覚えのある人も大勢いるだろう。


 誘拐、集団自殺、連続殺人事件。いずれかの可能性があるのではないかと様々な憶測が飛び交った。


 ところが、失踪した生徒のうち一人の自宅の部屋から、隠された手紙が見つかり、集団で家出をする計画を立てていたことが分かったのだ。残りの二人についても同様の手紙が自宅から発見された。


 警察は、本件を事件性が低いものと見なして、早々に捜査を打ち切ることになる。毎年のように行方を眩ます数万人という失踪者たち同様に事件性は無い。そう判断した。


 マスコミやテレビも早々にこの『ハーメルンの笛吹事件』に興味を無くして、次にワイドショーを騒がせたのは、芸能人の不倫問題。世間の関心事はすぐに移り変わっていった。


 ただし、七瀬翔子はこの事件はただの失踪ではないと考えていた。


 ──籠宮曜子だ。あの女が三人を誘拐したんだ。


 行方不明になった三人のうち、一人は七瀬翔子の親友だった。黒い鳥籠の話を信じなかったことで、彼女との関係に溝が生まれた頃に、親友は籠宮曜子に依存するようになっていった。


 片時も籠宮曜子から離れようとせずに、彼女の寵愛を独占しようとしていた。当然のように、籠宮曜子に群がる生徒たちが女王蜂を守る蜂のように、七瀬翔子の親友に陰湿な虐めを開始した。


 すると、籠宮曜子が庇いたてる。

 すると、七瀬翔子の親友はより一層と籠宮曜子に心酔していく。

 すると、虐めはさらにエスカレートしていく。


 負の悪循環。その渦中には籠宮曜子。

 ただ、彼女はその渦中にあっても、

 一輪の花のように美しく、

 天使のように、悪魔のように、太陽のようにいつも朗らかに微笑んでいた。


 七瀬翔子は、籠宮曜子をこう評する。まるで甘い毒で虫たちを誘惑して捕食する食虫植物のようだと──。得体の知れない薄気味悪さを常日頃から感じとっていた。


 それも、親友と同じように籠宮曜子に必要以上に迫る生徒も大勢いて……失踪した残りの二人もその中に含まれていた。


 それなのに、警察や教師、保護者たちからの追及や質問に、“籠宮曜子が事件に関わっているかもしれない”と告げ口をする者は誰一人としていなかったのだ。


 籠宮曜子に咎められたくなかった。

 籠宮曜子に軽蔑されたくなかった。

 籠宮曜子に傷ついて欲しくなかった。

 籠宮曜子に安心して欲しかった。

 籠宮曜子に褒めてもらいたかった。

 籠宮曜子に愛してもらいたかった。

 籠宮曜子に、籠宮曜子を、籠宮曜子と、籠宮曜子が、



 ──籠宮曜子が恐ろしかった。七瀬翔子にとっては恐怖の象徴だった。得体が知れないのに近くにいると、いとおしい気持ちになる。愛らしくて、優しくて、狂おしい程に籠宮曜子の全てに魅了されて虜になってしまいそうになる。


 だから、七瀬翔子は籠宮曜子と距離を取り続けた。

 だから、親友がかつて話した黒い鳥籠の話が真実だったのだと考えるようになった。

 だから、籠宮曜子は奇妙な力を持った鳥籠で生徒たちを魅了して、ハーメルンの笛吹のように何処か遠くへと連れ去ったのだと考えるようになった。


 けれど、誰も取り合ってくれない。家族や親しい友人にだけ打ち明けた。

 籠宮曜子こそが、ハーメルンの笛吹なのだと、彼女は黒い鳥籠を使って人々を魅了し、連れ去った魔女なのだと──。


 それなのに、誰も七瀬翔子の話を信じてはくれなかった。

 その結果、七瀬翔子は両親からカウンセリングを受けるように言われて、病院に通院する日々を過ごすことになる。


 そして、誰も信じられなくなった七瀬翔子は大学に入学するまで心を閉ざし続けた。

 十年近い時が流れて、籠宮曜子のことも、親友のことも、記憶の彼方へと遠ざけて、ようやく遠い思い出の日々として受け止めることができた──はずだった。


「あ、あっ、ああっ──。なんで……どうして籠宮、曜子が……」

 クリスマスイブの今日。大人になった籠宮曜子の写真を目にするまでは──。

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