第7話

「はっ、作り話も大概にしろよ」


 あろうことか、かつての恋人は婚約者の曜子を魔女呼ばわりしてくる。

 佐々木はあまりにも荒唐無稽な話を聞かされて、うんざりしてしまう。

 

 電話越しの京子は、それでも話を続けてくる。佐々木に電話をするに至るまでの経緯から順を追って話し始めた。


 ──クリスマスイブの今日。二年前に佐々木と別れて以来、恋人を作らなかった山本京子は大学時代の友人たち数人と食事の約束をしていた。


 互いに独身同士で気兼ねなく話せる間柄の級友たちと話していると、


「そういえば京子は聞いた? 貴女の元カレの佐々木秀司なんだけど、実はね──」


 京子のかつての恋人である佐々木秀司に交際している女性がいることを伝えられてしまう。京子は手に持っていたワイングラスを落としてしまいそうになったが、努めて平静を装った。


「あ、そうなんだ……。秀司に新しい恋人が……」


 京子はその話を聞いて密かに傷ついた。無理もない話だ。将来は結婚すると思っていた恋人から捨てられた彼女は、未だに失恋の痛手を引き摺っていたのだ。


 自分の何がいけなかったのか。何が不満だったのか。いつもどれだけ悩んでも、思考が堂々巡りを繰り返してしまうことが多かった。


 二人は仲そのものは良かったが、束縛されることを過度に拒む性格だった佐々木と京子の相性はあまり良くなかった。

 彼の周囲にも気を配り、二人の未来の為に、彼の為に、自分に出来ることをしようと考えて、佐々木の短所──金銭面への無頓着さからくる浪費癖や、外見や服装に気を配る一方で、必要以上に高い買い物をしてしまう高慢な悪癖──を直してあげたかった。


『あいつはプライドが高過ぎるよ。いつも人を見下してるようなところがあるし』

『大学時代も金遣い荒かったし、金銭感覚雑だったから、年中金欠だったよな、あいつ』


 佐々木のいないところで、彼の愚痴を言う友人たちの言葉を否定してあげたかったが、それは正しくもあり真実でもあった。けれど、京子は佐々木の長所も、数えあげたらきりがない程によく知っているつもりだ。


 自分が変えてあげたかった。だから、色々と助言のつもりで言葉を尽くしたつもりだったが──佐々木がそのお節介を重荷に感じている素振りがあったので不安だった。二人の間にあった愛情が薄れ始めているのではと、鬱屈とした感情が蓄積していき、彼の仕事上の人間関係にまで口を出すようになり、結婚を急かすようなことまでしてしまった。


 そして、振られた。捨てられた。


 今なお、心の傷は癒えない。


 ──私がやったことは間違っていたのかな……。 結婚すれば、夫の金銭面は妻が管理する。当然だ。大切な人が悪く言われたら腹が立つ。当然だ。だから、何度も悪癖を直させようとした。より身近な存在の自分の言葉になら耳を傾けてくれると思った。その結果がこれだ。結婚することもなく別れることになった。


 私が、佐々木秀司が嫌悪していた“過度な干渉”を止めていれば、結婚していたのかもしれない。

 でも、互いに過度に干渉し合わない関係性の果てに家庭を築いたとしても──そこに愛情と呼べるものは、果たして存在しているのだろうか。

 かといって、自分の行いの全てを肯定するのも少し違う気がした。きっとあの頃の私が何よりも大切にしなくてはいけなかったのは──、


 “当然”を疑うことだ。何が個人にとっての自由で、何が不自由になるのかを当人同士で話し合い、互いの意思と選択を尊重し合えるように言葉を尽くして、心を尽くして、理解を深め合わなくてはいけなかったのだろう。


 でも、後悔先に立たず。鳥は既に飛び立ってしまったのだから──。


「一応ね。秀司の交際相手の写真、あるんだけど見てみる?」

「ちょっと! 止めなよ、無神経だって」


 京子の二人の友人が、佐々木の新しい恋人の写真を見るかどうかで喧嘩を始めてしまい、京子は我に帰った。


「別にいいよ。もう終わったことだから」


 写真を見たら、泣いてしまうかもしれない。そう思いつつ、佐々木の恋人がどんな相手なのか気になるのも事実だった。


 京子の承諾を得たものと見なした友人の一人が、携帯を操作して、その場にいる全員に写真を見せようとしてきた。


「この間ね。秀司と仲の良かった男たち数人で一緒に飲みに行ったらしくて、その時に見せてもらった写真らしいんだけど……。ほら、この人」


 全員が身を乗り出して、その写真に映し出された女性に目が釘付けになった。


 京子はその女性──籠宮曜子をひと目見て、とても綺麗なひとだと思った。

 それにどこか気品があり、まるで人形のような精巧な容姿をしている。ただ……何故か恐ろしい。本能がそう感じてしまう。得体の知れない恐怖を感じた京子が友人たちの顔を伺おうとすると、


「あれ、どうしたの? 翔子……」


 友人の一人である七瀬翔子ななせしょうこが顔を真っ青にしていた。目を見開いて、唇まで青く染まるような驚愕の表情を浮かべている。


「あ、あっ、ああっ──。なんで……どうして籠宮、曜子が……」

「籠宮曜子。それがこの人の名前ってこと? 翔子はこの人と知り合いなの?」

「え、ていうか、どうしたの、大丈夫? 翔子、顔真っ青だけど…… 」


 その場にいた友人たちは口々に七瀬翔子を心配し始めた。憔悴している様子の彼女の背中を擦った京子は、


「この人と何かあったの? この籠宮って人はどんな人なの……」


 嫌な胸騒ぎがした。七瀬翔子は籠宮曜子に怯えているようで、頭を抱えながら、体を震わせている。


 そして、七瀬翔子はその場にいた友人たちに、、山本京子に、籠宮曜子という人物について語り始めたのだ。

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