第4話
「──とにかく、その新人が使い物にならないんだよ。厳しく叱責するとすぐに萎縮してモチベーションを落とす。親はどういう教育をしてきたんだか」
「まあ、それは大変」
「でも、最近は考え方を変えるようにしたんだよ。そういう使えない奴も……会社
という歯車を回していく為に必要な存在でもある。駄目な奴がいれば周囲も気が引き締まる。ああは成りたくないって仕事に真面目になる。だろ?」
「ええ、秀司くんは立派だわ。自分より劣った人に手を差し伸べられるんだもの。でも、分かってあげてね。みんな貴方みたいに優しくなれないの。貴方みたいに優れてる訳じゃないのよ──」
十月の深夜の公園のベンチで、籠宮曜子の膝に頭をのせて、横になる佐々木秀司は、彼女を見上げながら愚痴を溢していた。
佐々木の頭を撫でるようにして髪を鋤かす籠宮曜子は慈愛に満ちた微笑みを浮かべると、
「もうこんな時間。私、そろそろ帰らないと」
「あ……そっか。そうだよな……」
籠宮曜子は手首を捻り、腕時計を確認する。既に時刻は深夜の三時を回っていた。
暗黒が支配する公園の中にいるのは、佐々木と籠宮曜子の二人だけだった。仕事を終えて何時間も彼女をこの公園に拘束し続けた佐々木は、漸く我に帰る。
「ごめん。俺が会いたいって言って急に夜中に呼び出したのに、ずっと仕事の愚痴を聞いてくれて……いつも本当にありがとう曜子」
「いいの。いつも誰よりも頑張っている秀司くんの頼みだもの。嫌なんかじゃないわ」
半年以上前に、この公園で出会って以来、
籠宮曜子が探しているという彼女の
佐々木はこの半年以上の交際の中で、籠宮曜子とは半同棲のような奇妙な恋愛関係を築いていた。
二十代前半の籠宮曜子は、資産家だった父親を十代の頃に亡くしており、残された遺産を全て相続したのだという。母親も既に他界していて、天涯孤独の身でもあるという彼女は、孤独を癒す為に、数匹の
おそらく飼っている
その理由については、籠宮曜子自身が語ってくれた。
父親を亡くして以来、遺産目当ての人々に言い寄られることが未だに多い為に、知人を自宅に招くことに抵抗があるのだという。
当然だと思った。佐々木自身は籠宮曜子の遺産を目当てに近づいた訳ではないが、遺産目当ての大人たちや詐欺師紛いの連中に遺産を狙われて生きてきたのだ。恋人といえど警戒して家に招きたくない気持ちは分かる。
けれど、籠宮曜子は佐々木のことを信頼してくれたのか、佐々木の自宅マンションに連日のように訪ねて来てくれるようになった。
ある日のことだ。佐々木がお腹を空かして自宅のマンションに帰ろうとすると、携帯が震えた。
『晩御飯。秀司くんの為に作ってあげたいんだけど、今から家に行ったら駄目?』
了承した佐々木が家に着くと、彼の好物である肉じゃがや、色鮮やかに盛り付けられたサラダ、等々の御馳走の数々をテーブルに並べて籠宮曜子が待ってくれていた。
外食やスーパーの惣菜で夜食を済ませることの多い佐々木にとって、これ以上ないほどに嬉しい出来事だった。
「これ、本当に美味しいよ」
「秀司くんに褒めてもらえて嬉しいわ。それと、はい」
彼女は瓶ビールを傾けて酒をグラスについでくれる。自分の為だけに籠宮曜子が甲斐甲斐しく尽くしてくれている。
「そうだわ。秀司くんさえよければ明日、掃除もしてもいいかな。もちろん嫌なら断ってくれてもいいの。どう?」
小首を愛らしく傾けて訊ねてくる彼女は、相変わらず心まで美しい。理想的な女性だと思った。
その夜を境に食事も、洗濯も、家事も、掃除も。
佐々木が望むように支度をしてくれるようになった。
それなのに見返りを求めずに、佐々木の意思を尊重してくれる。佐々木が側にいて欲しい時にだけ、籠宮曜子は現れる。
佐々木が仕事で辛いことが重なった時や、鬱屈としてやるせない心情になると……不思議なことに決まって籠宮曜子は連絡をしてくる。優しく、蕩けてしまいそうなほどに甘やかしてくれる。
『秀司くんは悪くないわ。君は偉い。みんな秀司くんのことを知らないから冷たいのよ』
『 お仕事いつもお疲れ様。仕事疲れも残ってるだろうから、今日はもう帰るね。自分をたくさん労ってあげて』
『秀司くん。君はもっと自分の為にお金を使った方がいいと思うな。好きな服も、好きな食べ物も、好きな自動車も、我慢する方がずっと毒。もっと自分を大切にしてあげないとね』
『昨日ね。秀司くんのご両親と電話でお話したのよ。私が送ったお中元をとてもお喜びになられていたわ』
『明日は飲み会で帰るのが遅くなるの? わざわざ連絡をしてくれてありがとう。でも、そんなに気を遣わないでね。たくさん鋭気を養って、リフレッシュしてきてね』
佐々木の生活を適度に束縛せずに、
温かい言葉を、安寧をいつも与えてくれる。
彼女はいつも佐々木を支えてくれる。
温もりも、優しさを、愛情を、生活に余裕を、心にゆとりを、佐々木の選択を尊重して、他の何物にも代えがたい自由と解放感をいつも施してくれる。
佐々木はもう籠宮曜子のいない生活というものを想像できなくなっていた。
彼女が結婚にさえ承諾してくれれば、ずっと一緒にいられる。結婚を急かす両親や上司、世間から後ろ指を指されることもない。
この幸福な不自由を、不自由の中の美しい自由を──手放したくなかった。
彼女が片時も離さず持ち歩いている黒い鳥籠のように──彼女の側から離れたくなかった。
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